*義眼の霊能者*

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*義眼の霊能者*

***  スピカとレオが事務所に戻ったのは、日付が変わろうとする頃だった。 「はあ……つっかれたー」  レオは大きく伸びをして、肩をぐるぐると回した。カスミが飛び出していった後、すぐに救急車を呼んだ。ユリの出血は酷かったが、命に別状はなかった。アオイは放心したまま、何も話せなくなっていた。  騒動を知った店側が警察を呼び、まもなく警察も駆けつけた。所轄の二人組の刑事は室内の有様に唖然としていた。四方の壁が刃物で斬りつけられたように無残な状態になっていたのだ。「鎌鼬でもあったのかい?」と初老の刑事は首を傾げていた。  だが、血の付着したカッターナイフが床に落ちているのを見つけるなり、緊迫した空気が流れた。当然、現場にいたスピカとレオは事情聴取を受けることになった。「どうすんだよ」と目配せするレオをよそに、スピカはすらすらと質問に答えていた。  初老の刑事がスピカの話を聞き、もう片方の若い刑事はもっぱら室内の状況を確認していた。 「なあ、さっき来た若い方の刑事って、お前の知り合い?」 「何故?」 「お前を見て、一瞬嫌そうに顔歪めてたから」 「高校の先輩だよ。ずいぶんと世話になったな」 「迷惑かけた、の間違いじゃね? すげー避けてたじゃん、お前のこと」  スピカもきっと気づいていただろう。 「人聞きが悪いな。ちょっとばかり手伝ってもらっていただけだよ。彼も引き寄せやすいタチだったからね」  懐かしそうにくすくすと笑う。「先輩、苦労したんだな」とレオは思ったが黙っていた。 「で、これからどうすんだ? 彼女、逃げちまったけど」 「彼女たちが生きているかぎり、また現れるさ」  スピカはあまり気にしていないようだった。 「けど、また被害が出たらヤベェだろ」 「鎌鼬程度であれば問題ないだろう」 「問題大有りだっての。なあ、遅い時間だけど、何か食うか?」  夕食を食べ損ねたせいで腹が減っていた。 「固形物はいらない」 「じゃあスープでいいか」 「ああ、頼むよ」  部屋の奥は扉を挟んで居住スペースと繋がっている。レオはそこで寝泊まりしていた。簡易なキッチンスペースとユニットバス、寝転がるだけで精一杯の狭い部屋だが、雨風を凌げるだけでレオには充分だった。  スピカは別の場所に住んでいるが、レオが事務所に居候するようになってからは、一緒に食事をしたり、泊まっていくようになった。  生活能力に偏りがあるスピカは、レオが家事をこなすのをいつも物珍しそうに見ている。まるで好奇心旺盛な子どものように熱心に見てくるので、何が楽しいのかと思って尋ねると、生きている人間の営みは見ていて心地良いと言われた。よくわからなかった。  けれど、家主がどう振る舞おうが、文句を言える立場ではない。せいぜい、火がついているコンロには近づくなと注意する程度だ。  二人はレオの居住スペースに移動した。部屋の隅には折り畳まれた布団と小型テレビが置いてある。あとは食事をするための小さな机と着替えが入ったボストンバッグしかない。殺風景な部屋だった。  廊下と一体化したキッチンスペースに置いてある冷蔵庫から、余り物の野菜と肉を取り出す。自分はスープだけでは足りない。手早く切り分け、フライパンで炒め始める。その間に電気ケトルで湯を沸かし、インスタントスープの素を椀に入れる。すぐに湯が沸き、椀に注ぐと、中華スープの香ばしい香りが立った。「熱いから気をつけろよ」と注意しながら、スピカの前に置く。そして、調味料で簡単に味付けした野菜炒めをあっという間に完成させた。  数分の内に料理を完成させてしまったレオを、スピカはやはり物珍しそうな目で眺めていた。 「すごいな。僕には一生かかってもできそうにない」 「そもそも作る気ねえだろ」 「料理は作れる人間がいれば事足りるからね」  スピカは品よくインスタントの中華スープを啜った。詳しく聞いたことはないが、話し方や仕草から、いい家の生まれだなと推察した。人を使うのにも慣れている。知り合ってまだ半年だが、雇い主兼家主は謎に満ちた人間だった。そういえば、本名も知らない。  レオが野菜炒めとスープを完食すると同時に、スピカもスープを飲み終えた。 「彼女は、どうして彼女たちを呪うと思う?」  食器を片付けていると、スピカは唐突に問いかけてきた。 「そりゃ、あいつらにいじめられたからだろ。相当恨みが募ってたんじゃねえか?」  悪びれる様子もないユリたちを思い出し、レオはまた苛立ちを覚えた。自分たちがしでかしたことを反省するどころか、加害の自覚すらなかった。思わず除霊対象の彼女に同情するところだった。  安易な同情や共感は、霊を引き寄せやすくする。レオは体質的にも性格的にも引き寄せやすく、そのせいで散々な目に遭ってきた。家を失ったのも、元を辿れば自分の厄介な性質のせいとも言える。  スピカに拾われてからはまともな生活を送れるようになったが、それでも引き寄せてしまうことがある。そのため、スピカには注意されてばかりいる。 「レオ、怒りはそこまでに。悪いものが寄ってきてしまうよ」  今もまた、スピカに言われてしまった。 「他人のために怒れるのはある意味才能だとは思うけれど、お前は心を寄せすぎる。彼らにとって、心を寄せられるのはとても心地の良いことなんだ。この人間なら自分を救ってくれるはずだとね。けれど、取り憑かれた人間にはたまったものじゃない。お前が一番よくわかっているだろう?」 「……わかってっけど」  レオは口を尖らせた。子どもっぽい癖だと思うが、なかなか直らない。 「まあ、僕がいるのだから滅多なことにはならないけどね。話を戻そう。僕が疑問に思っているのは、彼女の悪霊化の進みが早いのではないかという点だ」 「あ、そういやそうだな。箱に取り込ませていたとき、年季入った悪霊並みにめちゃくちゃ重かったぜ」 「いわゆる霊という存在は、残留思念や負のエネルギーとして語られる。霊の力が強いと、重く澱んで感じられるんだ。生者に害をなすほどの霊は、俗に悪霊や怨霊と呼ばれる。日本で有名な怨霊といえば誰だと思う?」 「え? えーと、映画になったやつ? 井戸から女性が出てくる」  咄嗟に思い浮かんだ霊の名前を答える。 「たしかに彼女は有名だね。あの呪いの感染力は実に見事だ。フィクションとはいえ、彼女は誰もが知る怨霊となった。存在を認知されれば、それだけで力を増す」 「フィクションなんだろ? 実際にはいねえじゃん」 「この世界に彼女は現れないだろうね。けれど、彼女の強烈な存在感は記憶に植え付けられている。誰もが恐れる存在だ。たとえ現実に存在しなくても、彼女の存在を連想させるものがあれば人は恐れるだろう。たとえば、ほら」  スピカは部屋の隅に置かれたテレビを指さした。 「画面をよく見てごらん。白い服を着た女性が這って出てくるかもしれない」  映画のワンシーンを思い出したレオは青褪めた。 「やめろって! 俺、ここで寝てるんだぞ!」 「ふふっ、ほら、実際にいなくても、彼女は君を怯えさせた。生者に害をなす立派な呪いだよ」 「怖がらせたのはお前だろうが!」 「僕は彼女の話をしただけだ。彼女を思い出して怖がったのはお前だよ」  釈然としなかった。だが、口では勝てないので言い返すのはやめた。 「映画の彼女はさておき、古くから人々に恐れられている怨霊について話そう」  話が長くなると思ったレオは、眠気覚ましのコーヒーを淹れた。話を遮るという選択肢はない。ついでに、スピカのために紅茶も用意する。どうせ自分も飲みたいと言い出すに決まっている。スピカが持ち込んだ茶葉を適当に選び、ティーポットに入れる。紅茶の淹れ方はスピカに習ったのでお手のものだ。 「日本に数多いる怨霊の中でも有名なのは、菅原道真、平将門、崇徳院だろう。聞いたことは?」 「なんとなく聞いた覚えがあるようなないような」  紅茶とコーヒーがそれぞれ入ったカップを机に置きながら答える。歴史が得意ではないレオにはピンと来ない名前だった。 「三人とも怨霊となった事情はそれぞれだが、共通しているのは非業の死を遂げていることだ。菅原道真は無実の罪で宮中から左遷され、流された大宰府で死没した。平将門は朝廷に謀反を起こしたとして討死、崇徳院は保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐へ流されたのち崩御した」  スピカは紅茶を飲み、「ダージリンか。いいね」と呟いた。機嫌を良くしたスピカはさらに饒舌になった。インスタントのコーヒーをすすりながら、もっと長くなるなと覚悟した。 「恨みが深ければ深いほど怨霊となり、生者に害をなすのだけれど、誰もが怨霊になるわけじゃない。それこそ、この世界には恨みを呑んで死んでいった人間など山程いる。けれど生者に害をなすほどの影響を与える霊というのは滅多にいない。何故かわかるかい? 端的に言って、エネルギーが足りないんだ。漂ううちに自然消滅してしまうのさ」 「じゃあエネルギー源みてえなもんがあれば怨霊になれちまうってのか?」 「理屈上はね。では、怨霊と化すためのエネルギーとは何か。妬み、恨み、憤怒、悲嘆、恐怖……自分が抱く感情と似ているほど、霊は引き寄せられやすく、それを糧とする」 「じゃあ、生きてる人間が知らないうちに作り出している場合もあるのか」 「彼女の場合は少々特殊だね」  スピカは楽しそうに話し出す。 「特殊?」 「死んですぐの割には、年季の入った悪霊並みに重いと言っていたね?」 「ああ、今までの中で一番重かったかも」  スピカとは半年の間にいくつかの依頼をこなしたが、対象さえ見つけてしまえば、レオの体に取り込ませ、スピカが除霊すれば万事解決だった。だが、今回の対象は違った。用意した箱に収まりきれないほどの重みを感じた。 「あいつらを恨んで死んでったにしちゃ、不釣り合いな気ぃすんだよな」 「お前の所感を聞こうか」  スピカは面白そうに続きを促した。そろそろ寝たいと思ったが、レオの話を聞くまで終わらせてくれそうにない。 「今までもさ、何人かの霊を捕まえたけど、軽かったんだよな。そいつらだって、恨み抱えて死んでったケースだけど、食い過ぎて胃もたれしたかなってくらいの重さだった」 「霊の重さは霊の力に比例するからね」 「正直、今回のあいつもそんな感じかなって思ってた。話聞いてるだけで胸糞悪ぃし、仕返ししたいってのもわかるけど、力が漲りすぎてるっつーか」  レオの所感にスピカも「そうなんだよ」と頷き返す。 「彼女の怒りはもっともなのだけれど、振るう力が強すぎる。依頼主の彼女が来た時も、彼女は鎌鼬を起こした。僕がいるにも関わらずだ」 「大体のやつは、お前がいるだけで避けて通るもんな」  スピカの場合、特異な体質のために低級霊や雑霊であればその場にいるだけで祓われてしまう。ゆえに、祓われまいとする霊は寄りつかない。ふつうの生活を望むのであれば良い体質なのだが、仕事上不都合が生じる。霊がスピカを避けるので、その場に現れなくなるのだ。対象が現れなければ除霊のしようがない。だからレオが引き寄せている。  今回の対象は、スピカがいても祓われず、おかげで本人から垂れ流される呟きにより、彼女が恨みを抱く理由を知ることができた。さらには鎌鼬を起こしてみせた。 「霊としてはふつうなんだ。僕たちが関わらずともいつか消えるレベルのね。けれど、現実に彼女は不相応な力を持っている。おそらく、彼女に力を与えた者がいる」 「力を与えるって、どうやって?」 「方法は色々あるけれど、身にかかる不幸や災いを呪いや祟りだと定義することもそのひとつだ」 「たとえば」と言って、菅原道真を例に出した。 「菅原道真の死後、帝がいる清涼殿に雷が落ち、死傷者を出した。その中に道真を陥れた藤原時平の命で道真の動向を監視していた藤原清貫がいたことで、道真の怨霊に殺されたという噂が広まった。呪いや祟りだと思えば、恐れが生まれる。恐れる人間が多ければ多いほど、怨霊の存在は広く認知され、力を持つ」  レオは納得がいかないように首を傾げた。 「それって、本当に道真の仕業だったのか? こじつけのようにも思えるけど」 「罪悪感があるからこそ、道真の仕業だと思ってしまう心理が働いた可能性は否定できないね。だから、本当に怨霊の仕業なのか、偶然に起きた出来事を関連付けてしまう心理が働いたのか、判定は微妙なところだ。ただ、今回に関しては、間違いなく彼女の仕業だ」 「でも、彼女の霊に遭遇しているのは今のところ三人だけだぜ? 存在が認知されただけで、あんなに力を持つもんか?」 「ああ。だから、カラクリがあるはずなんだ。死んで間もない彼女がなぜ強大な力を持つに至ったかね」  スピカは考え込むように目を閉じた。ティーカップは空だ。 「とりあえず今日はもう寝ようぜ。明日考えりゃいいだろ」  スピカは答えない。レオは返事を待たず、布団を敷き始めた。
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