*義眼の霊能者*

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***  夏実の店は入り組んだ路地の先にある。人ひとりがやっと通れるほどの細い道を抜けると、そこだけ時間に取り残されたような古びた木造の平屋にたどり着いた。看板ものれんもない。人が住んでいることすら怪しい。  レオは引き戸を開け、「ちわっす」と声を掛けた。応えはない。構わず中に入る。  店内の棚には所狭しとばかりに木箱がぎっしりと並べられていた。店主の夏実いわく、すべて年代物の呪具らしい。どの木箱もうっすらと埃を被り、道具の名前らしき言葉が書かれた和紙が貼ってある。土蔵の中にいるような古臭い匂いがかすかに鼻につく。いつ来ても薄気味悪いなと思いつつ、奥に進む。 「何だ、またお前か」  奥にある居住スペースから、白髪まじりの男がひょっこりと顔を出した。伸びた髪を無造作に結えた作務衣姿の男は不思議そうに尋ねた。 「数日前に来たばっかだろ。また物入りか?」 「今日は夏実サンに聞きたいことがあって」 「まあ、上がれ」と言って、夏実は持っていた煙管で部屋を指さした。案内された部屋は六畳の和室で、和綴の本や用途のわからないガラクタじみた物品が無造作に置かれていた。文机の上にあるノートパソコンが場違いに映る。  レオは窓際に座った。そこから中庭が見えた。庭の隅に数本の竹が生え、真ん中には水のない池があった。 「昔は魚がいたんだけどな。野良猫が食っちまうから、水抜いたんだ」  夏実は湯呑みに茶を注ぎながら言った。 「今じゃ、野良猫の昼寝場所になってる」 「日当たり良さそうっすもんね」  相槌を打ち、淹れてもらった茶を飲む。寒風の中を歩いてきた体に、茶のぬくもりが染みわたる。夏実はぷかりと煙管を吹かし、「で、聞きたいことってのは?」と尋ねた。 「死んだばかりの霊を短期間で悪霊にする方法や道具ってあるんすか?」 「また唐突だな」  夏実は盛大に眉をしかめた。 「あいつに聞いてこいって言われたのか?」  レオは頷き、依頼の件を話した。あまり説明が得意ではなかったが、夏実は黙って聞いていた。煙管の灰を落としながら、「なるほどね」と呟く。 「恨みはあるが、霊の力としてはふつう。なのに、悪霊並みの力を持ってると。そりゃたしかにおかしいわな」 「スピカが言うには、何かカラクリがあるんじゃないかって」 「悪霊になるパターンは主に二つ。死後、霊の状態で漂っているうちに周囲の負のエネルギーを集めてしまい、悪霊に成る。あるいは、呪うぞ祟るぞと宣言して死後悪霊と成る。崇徳院て知ってるか?」  昨夜聞いたばかりの名前だ。 「えーと、日本で有名な怨霊で、どっかに流されて死んだ人……っすか?」 「まあ、概ねその通り」  ざっくりとした返答に苦笑しつつ、「簡単に言えば、貴族の内部抗争に敗れたんだな」と補足する。 「で、讃岐……今の四国に流された。その地で仏教に深く傾倒し、五部大乗経の写本作りに専念した。そして、完成した写本を京の寺に奉納したいと申し出た。だが、勝者である後白河院は呪詛が込められているのではと疑い、申し出を突っぱねた。すると、激怒した崇徳院は『日本国の大魔縁となり皇を取って民とし民を皇となさん』『この経を魔道に回向す』と自らの血で写本に書き込んだ。そして、死後怨霊となった」 「え、そんな話なんすか? めっちゃヤベェやつじゃん」 「まあ、真偽の程はさておき、呪うぞと宣言した崇徳院は怨霊と認知されるようになった。そして実際後白河院に近しい者が死んだり社会情勢が不安定になったりと不幸が起きた」  夏実の話をかみ砕くように、レオはうーんと唸った。 「つまり、それくらいじゃないと死後すぐに悪霊や怨霊にはならないってことっすよね」 「そうだな。生者に害をなすほどのモンにはならねえ。だが、お前の話を聞くかぎり、鎌鼬起こしたり、あいつに祓われずにいるんだろ? だとしたら、考えられるのは呪具で強化しているパターンだな」 「呪具で強化?」 「負の思念や感情を集める呪具に死者の名前を書くんだ。すると、その死者の霊に負のエネルギーが集まり、悪霊怨霊の類となる。そもそも霊ってのは、残留思念だ。似た思念や感情を引き寄せやすい」 「呪具があればさらに引き寄せちまうってことか。けど、そんな道具あるんすか?」 「似たような道具で言えば、この前お前に渡した箱もそうだ。あれは霊を取り込ませることに特化させてるから、一度取り込んじまえば出られねえ。だが、引き寄せたモンを循環させ、自分の力として振るうように細工すりゃできんこともない」  さらりと夏実は言ったが、そんな細工をできる人間が大勢いるとは思えない。呪具の製作や修理を行う夏実のような呪具師でもないかぎり。 「夏実サンもできるんすか?」 「道具や素材があればな。つーか、今回のそれ作ったの、多分俺だな」 「えっ!? どういうことっすか?」  レオは驚きのあまり、身を乗り出した。その拍子に傍に置かれていた本の塔が崩れた。 「すんませんっ」  レオは慌てて本を片付けようとした。 「あー、いいって。つーか、俺も上背がある方だが、お前も大概でけぇよな」  夏実は目を細めた。目尻に笑い皺ができる。自分の父親と同じくらいの年齢だろうか。もっと若いようにも、年上のようにも見える。 「話の続きだが、元々あった呪具を俺が細工して売りに出した。おそらく、それだな」 「誰かに依頼されたんすか?」 「いいや。面白いモンができたんで、知り合いの行商人に売った。だから、そいつから買った誰かが使ったんだろう」 「呪具って、そんな簡単に買えるんすか?」 「昔はツテを辿って売買したようだが、今じゃネットで何でも買えるからな」  一般的な通販サイトで本物の呪具を売っているとは思えない。いわゆる裏サイトや闇サイトで流通しているのだろう。 「知り合いの行商人ていう人に聞いたら、誰が買ったかわかるっすよね?」 「当然知ってるが、絶対に教えないさ。顧客情報は守秘されるからな。ネットとはいえ、信用第一の世界だ。買った人物が特定されてしまったら、そいつが呪い返されるリスクもある」 「そうっすか……」  情報を得られるのはここまでのようだ。「だが」と二杯目の茶を淹れながら夏実は続けた。 「除霊対象の正体がわかってるなら、近親者から割り出すことは出来るかもしれない」 「どうしてっすか?」 「あの呪具にはな、死者の遺骨が必要なんだ。そんなモンを手に入れられるのは家族ぐらいだろ。首謀者あるいは協力者に家族がいる可能性は高い」 「それって、どうやって使うんすか?」 「あれは、入れ子になってる人形なんだ。マトリョーシカみたいなもんだよ。で、一番小さい人形に死者の名前を書き、死者の遺骨と一緒に入れる。二番目に、道具の使用者の髪の毛を巻きつけて入れる。最後に、呪いたい相手の名前を書いた紙を入れる」 「呪いたい相手の名前を書くのはひとりずつっすか?」 「ああ。一体につきひとりだ。だから、ひとり呪い終えたら、次に呪いたい相手の名前をまた書いて入れる。使い回せるなんてエコだろ?」 「嫌なエコっすね」  正直に感想を言うと、夏実は豪快に笑った。 「で、最後に人形に念を込める」 「念?」 「呪ってやる祟ってやる殺してやる。そういう念を人形に入れ込めば呪具が発動する。死者の霊は悪霊となり、生者に害をなす程の存在となる」 「それって、死んだ人を利用してるってことっすよね?」 「まあな。死者自身が特定の人物を呪ってほしいと託した可能性もなくはないが、残された者が復讐に使う場合の方が多いだろうな。『よくも家族を酷い目に遭わせたな、呪ってやる!』ってな」 「なんか、イヤっす、そういうの」  レオは腑に落ちない顔をした。 「復讐がか?」 「復讐自体は別にいいんすけど、死んだやつを巻き込むのは、そいつの独りよがりじゃねえかって思って」  死んだ本人が呪いたいならいくらでも呪えばいい。祟ればいい。けれど、他人が己の復讐のために死者を利用するのは納得がいかなかった。本人の恨みを、あたかも本人が望んでいるかのように語り、他人が晴らすのは、レオには違和感があった。 「さて、どういう事情かわからんがな。一度発動しちまえば、永遠に負のエネルギーを集め続ける。肥大化すれば、厄介なことになるな」 「どうなるんすか?」 「呪いたい相手の周囲まで巻き込んで害をなす。言うなれば、災害と一緒だな」 「そんなやつ、祓えるんすか?」 「あいつならできるだろうが」  夏実はレオをじっと見つめ、眉間に眉を寄せた。 「お前に取り込ませるのはやめときな。お前の方が取り込まれちまう。生身の人間が悪霊怨霊の類に乗っ取られたらもっと厄介だ。この前渡した箱を使え」  言われなくても、御免である。神妙な面持ちで、「スピカに伝えときます」と言った。 「じゃあ、俺、そろそろ戻ります」  レオは暇を告げ、事務所に戻ろうとした。立ち上がると、夏実に呼び止められた。 「お前、大丈夫か?」 「何がっすか?」 「あいつ、色々大変だろ」  スピカのことだ。レオはすこし考え、「まあ」と苦笑いした。 「無茶振りすげぇし、何考えてんのかわかんねえし、偏食ひでぇし」  昔からの知己である夏実に言うべきことではないが、言い出したら愚痴が止まらなかった。 「この前なんか、鎌鼬起きて依頼主が傷ついてんのに何もしなかったんすよ! マジでありえねえ」 「ああ、うん、そういうとこあるわ、あいつ」  夏実も苦笑いを浮かべていた。 「まったく、誰に似たんだか」 「そういえば、夏実サンて、あいつと付き合い長いんすよね?」 「まあな。あいつの親父と友人だったんだよ。あいつが生まれてすぐに死んじまったがな」 「……そっすか」  あいつにも親がいたのかという驚きと人の子だったんだなと謎めいた安堵を覚えた。 「まあ、半年もあいつといられたんだ。これからも頼むわ」 「はあ……」  夏実はひらひらと手を振った。 「あ、たまには顔を出せって言っといてくれ」 「うっす」  レオはぺこりと頭を下げて店を出た。太陽は雲に隠れ、空は薄暗い。冬の気配を纏った冷たい風が通り過ぎていく。身震いひとつして、事務所に戻った。
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