*東野碧依*

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*東野碧依*

 アオイの元に例の二人組が訪れたのは、カスミの死から数日経った頃だった。学校の帰り、声を掛けられた。スピカはなぜか高校の制服を着ていた。 「えっと……高校生、だったの?」 「あいにく、だいぶ前に卒業しているよ。色々と知りたいことがあってね。高校生のフリをした方が調べやすいんだ」 「そう……なんですね」  どう反応したらいいのかわからない。アオイは困ったように答えた。 「君ももう一人の彼女も、しばらく学校に来ていなかったらしいね?」 「……ユリは、まだ入院しているので」 「そうか。今日は君の話が聞きたくてね。外では寒いだろう。コーヒーショップにでも入ろうか」 「話すことなんて、何もないです」  アオイはぺこりと頭を下げ、通り過ぎようとした。 「あらかたの事情は把握している。もちろん、彼女のこともだ」  アオイは足を止めた。彼女とは、誰のことだろう。何人かの顔が頭をよぎる。 「知ってるなら、わざわざ聞かなくてもいいですよね」  カバンの持ち手を握りしめ、震えそうになる声で言った。「君の口から聞きたいことがあるんだ」とスピカは譲らなかった。 「君から見た彼女たちのことを知りたい」 「でも……」 「それに、君も思っているはずだ。早く終わればいいと」 「……あなたたちが、終わらせてくれるんですか?」  非難がましい言い方になってしまった。カスミが連れてきたのに、カスミは死んでしまった。カスミを助けてくれなかった。 「彼女の依頼はまだ有効だよ。だが、さすがに生きている人間に手を出されては敵わない。彼女の死は霊の仕業ではなく」 「わかりました。話します」  アオイはスピカの言葉を遮り、きつく睨みつけた。わかっていながら、話を聞き出そうとするなんて人が悪い。スピカはにこりと優雅な笑みを浮かべ、「そう言ってくれると思ったよ」と言った。  三人は近くのコーヒーショップに入った。アオイはカフェラテ、スピカは紅茶、レオはブラックコーヒーを頼んだ。 「うん、美味しい。コーヒーショップの紅茶も捨てたものではないね」 「それで、何を聞きたいんですか?」 「三島美鶴について」  アオイはスカートを握りしめた。その名を聞くだけで胸が締めつけられる。申し訳なさと恐怖が渦を巻く。話そうにも、うまく口が回らない。喘ぐように開閉を繰り返していると、ずっと黙ったままでいたレオが「大丈夫だぜ」と言った。 「今は、いねぇみたいだから」 「そう、ですか……」  彼女の霊は怖い。あれは、自分の罪深さの象徴でもある。それを他人に話すのは苦痛だ。だが、その苦しみこそ、自分への罰なのかもしれない。罰ならば、受けなくてはならない。アオイは意を決して口を開いた。 「……ワタシのせい、なんです。ミツルが死んだのは。ワタシが、ミツルをユリたちに差し出したから」 「差し出したというのは?」 「……遊び道具として、です。ユリは、他人を使って遊ぶのが好きなんです。他人に、他人をいじめさせて、自分は見て楽しむだけ」  レオが顔をしかめる。スピカは黙って続きを促した。 「高校に入学したばかりの頃、友達が出来ずにいたら、カスミに声を掛けられたんです。一緒に遊ぼうと。それがうれしくて、ユリやスミレとも行動するようになりました。でも、そのうち、いじめられるようになって」  最初は、ただふざけているだけだと思った。ウェーブがかかった癖のある髪の毛をからかわれ、もっとくるくるにしてあげると、ライターで火をつけられた。やめてと言えば、やめてくれるものだと思っていた。  だが、ユリたちの行動はエスカレートしていった。泣いて懇願すればするほど、ユリたちはアオイの反応を面白がり、さらに激しくなった。  きっと自分がユリの気に入らないことをしてしまったのだと思った。けれど、「悪いところがあるなら直すから」と言っても、「遊んでるだけよ」とユリは笑うだけだった。 「イヤなら、ウチらのグループから抜けていいのよ。またひとりになってもいいのなら」  抜け出すチャンスだった。けれど、アオイは離れられなかった。  小学校でも、中学校でも、ずっとひとりだった。ユリたちは、初めてできた「友達」だった。これまでのように、ひとりで過ごすのは御免だ。だから、自分さえ我慢すればいいのだ。  それに、いつもひどいことをされるわけではない。少なくとも、学校では何もされない。ふつうの友達のように、おしゃべりしたり、お弁当を食べたりしている。一緒に学校生活を過ごす「友達」がいないのは嫌だった。  揺らぐアオイに、ユリは提案した。 「代わりになるオモチャを探してくれるなら、考えてあげる」  誰かを身代わりにしろと宣告されたも同然だった。  そんなこと、自分にできるわけがない。  アオイは絶望した。  二年生に進級しても、アオイを取り巻く環境はほとんど変わらなかった。相変わらず、陰でユリたちにいじめられていた。  唯一の変化は、席替えがあったことだ。アオイは、隣の席になった三島美鶴と話すようになった。親しい友人がいないのか、彼女はいつもひとりだった。そのことを気にした風もなく、淡々と過ごしている彼女に、ほのかな羨望を覚えた。同時に、微量の妬みも。  ひとりになるのが嫌で、過激な『遊び』にも耐えてユリたちといるのに、どうして彼女はひとりでも平気なのだろう。ひとりでいたら、暗いやつ、変なやつと言われてしまうのに。  あるとき、アオイは彼女に尋ねた。どうしてひとりでも平気なのかと。彼女は「そんなことないよ。平気なフリをしているだけ」と答えた。 「そうなの?」 「だって、平気なフリしてないと、つけ込まれるでしょ?」  図星だった。平気なフリが出来なかったアオイは、そのせいでユリにつけ込まれたのだ。 「……じゃあ、本当は、友達がほしいの?」 「まあね。でも、本当に気の合う人がいいな。無理して付き合うなんてバカらしくて」 ――ああ、そっか、自分はバカなんだ。ひとりになりたくなくて、いじめられても一緒にいることを選んでいるのだから。  羨望と妬みは怒りにすり替わった。彼女に、ユリたちからいじめられていることは話していない。それでも、彼女からもバカにされたようで、アオイは許せないと思ってしまった。 「でも、アオイのことは」 「あのね、今度一緒にワタシたちと遊ばない?」  アオイは彼女の話を遮った。これ以上、惨めな思いはしたくない。 「巳波さんたちと?」 「うん」 「でも、あんまり話が合うとは思えないんだけど」  彼女は気乗りしないようだった。 「でも、一緒に遊んでみないとわからないでしょ?」 「まあ、そうね」と彼女は頷き、「今度誘ってよ」と言った。アオイはほくそ笑んだ。あとは、ユリが気に入るかどうかだ。 「それで、彼女たちに引き合わせたと?」 「はい。しばらくはふつうに一緒に過ごしてました。カラオケに行ったり、映画を観に行ったり。でも、あるとき、家族の見舞いに行かなくちゃいけないからと、ユリの誘いを断った時があって。ユリはそれが気に入らなかったようです」 「そんなことで? あ、いや、悪い」  レオは慌てて謝った。 「なんだっていいんです。いじめる理由ができれば。それから、ミツルはユリたちにいじめられるようになりました。言いなりだったワタシと違って、ミツルは胸をはだけさせられた写真を撮られ、それを盾にされました。写真を撮られたとき、ミツルはワタシに助けを求めました。でも、ワタシは止めませんでした。たぶん、それで悟ったんだと思います。はじめから、自分をいじめるつもりだったのだと」  スミレとカスミに押さえつけられた彼女と目が合ったとき、アオイは目を逸らした。彼女は失望したに違いない。裏切られたと思っただろう。 「ひとつ、いいかな? 写真を盾にされたということだけれど、彼女はそれだけで言いなりになったのかい?」 「どういう意味ですか?」 「上半身裸の写真がネットに出回れば致命的だろう。彼女が従わざるをえない状況なのは理解できる。だが、いつまでも黙ったままでいる性格なのかな? なんらかの手段を講じることもできただろうに」  アオイは力なく笑った。そんな正論、今さらだ。 「無駄ですよ。学校に相談したって、何もしてくれません。それどころか、ユリに知られたらもっと酷い目に遭います」 「それは、彼女の家族が有力者だからかい?」 「はい。学校にも多額の寄付を行なっているとか。教員も、ユリには強く出れないみたいで」 「彼女自身も、有力者である自覚があるのだろうね。他人を従わせたり、言いなりにさせることが当たり前になっているようだ。ところで、彼女は君が助けてくれなかったことについて、君に何か言ったかい?」  アオイは首を横に振った。 「何も言われませんでした。ただ、ずっと悲しそうな目で見られて……二人だけで話すこともなくなりました」 「君も被害者だったと、彼女は知っていたと思うかい?」 「わかりません。ワタシから話したことはありませんが、気づいていたかもしれません」 「これは僕の憶測なのだけれど」  慎重に言葉を選び、スピカは続けた。 「彼女は、自分が逃げ出したり、告発したら、君にも害が及ぶと思い、あえて甘んじていたのではないかな?」 「そんなはずありません! だって、ワタシは彼女に恨まれているんです! だから、ずっと声も聴こえて……」 「霊障はあるだろうね。恨みかどうかはともかく」 「恨みじゃなければなんだって言うんですか?」  アオイは食って掛かった。だって、ずっと聞こえるのだ。彼女が死んだと知った日から、ずっと、彼女の恨めしい声が。 「そればかりは本人に聞いてみなければわからない」  スピカは淡々と答える。 「しかし、仮に僕の憶測が当たっているとして、君のためにいじめを受け続けた彼女が悪霊となって君を苦しめるだろうか?」 「……どうでしょうか?」 「いや、霊というのは理性がない我欲の塊だからね。生前は他人のために我慢できたとしても、死んだとたんに恨みつらみを爆発させてもおかしくないな」 「ええっと……」  二転三転する発言にアオイは目を白黒させた。何が言いたいのかさっぱりわからない。 「聞き流していいぜ。こいつのでけぇ独り言だから」  レオが苦笑いしながら言い添えてくれた。 「あ、はい……」 「しかし、僕が彼女と対話したかぎり、彼女自身の欲と言動がちぐはぐな印象を受ける。彼女は恨み言を吐きつつも、呪う相手を気にかけたりと矛盾が生じている。呪い殺してやると言った直後に逃げてと言ってみたり、逃がさないと言ってみたり、そんな具合にね。気分屋なんてレベルではなく、明らかに他者の意思や介入を感じる。そこで、峰村智鶴の登場だ」  滔々と垂れ流された独り言は、最後のひと言だけアオイに向けて発せられた。アオイは正直に答えた。 「……ミツルの、双子の姉です。名字が違うのは、両親が離婚したからだそうです」 「別々に引き取られたんだったね。君と峰村智鶴との出会いは?」 「おばあちゃんと同じ病院に、ミツルの姉も入院していたんです。ユリたちに引き合わせる前、たまたま病院でミツルに会って。その時に、双子の姉を紹介されました。本当に瓜二つで、違うのは口元のほくろくらいでした」 「死んだはずの彼女を見たというのは、双子の姉である可能性は充分あるね?」  確信を持った問いかけだった。もはや隠し立てはできない。 「ミツルが死んだと教えてくれたのは、チヅルです。病院で一度会ったきりのワタシに、ミツルの携帯を使って知らせてくれました。自殺だったと言われ、ワタシはチヅルにすべて話しました。贖罪のつもりだったんです」 「君も自殺だと信じたんだね?」 「……違うんですか?」  アオイは目を丸くした。自殺でなければ、何故彼女は死んだのだろう。死ななければならなかったのだろう。 「警察の見解は、事故死だそうだよ。とはいえ、君たちの行いが無関係とは言えない。だから、彼女の姉も君に連絡を取ってきたのだろうね」 「前々から、ミツルがいじめられているようだと感づいていたみたいです。でも、本人が何も言わないので自分も黙っていたと。チヅルはワタシを詰り、自分に協力するよう言いました」 「具体的には?」 「ユリたちに、復讐すると」 「自覚はなくとも、自分たちがいじめていた人間と瓜二つの人間が現れたらどんなに恐ろしいだろうね。そのうえ、実際に霊障まで起きている」  スピカは納得するように頷いた。 「それで、君は彼女に何を頼まれたんだい?」 「ユリたちの動向を知らせることと、ミツルがユリたちを呪っていると印象づけることです」 「ちょっといいか?」 レオが口を挟んだ。 「実際に三島美鶴の霊が霊障を起こしてるってのは、峰村智鶴も知ってるんだよな?」 「はい。初めてカラオケボックスで霊障が起きた時、チヅルにその話をしました」 「彼女は何か言っていたかい?」 「当然だって言ってました。ミツルは怒ってるんだからって」  電話口で、チヅルは怒っていた。その怒りはユリに、スミレに、カスミに、そしてアオイに、すべてに向けられていた。 「現象自体を引き起こしているのは三島美鶴だとして、そもそも彼女の意思がどこまであるのか、あるいは峰村智鶴の介入が強いのか」  スピカは考え込むように呟いた。 「呪具で強化してんなら、峰村智鶴が三島美鶴の霊を操ってる可能性もあるよな?」 「今の時点ではなんとも言い難いな。あの呪具は霊の力を増大させるのが目的だからね。もし峰村智鶴が妹の霊を操っているのなら、ぜひともその手法を教示願いたいな」  スピカは目を輝かせて言った。琥珀色の瞳が楽しげに煌めく。この人の感覚はよくわからない。アオイは困ったようにレオを見た。レオは気にするなというように首を振った。 「さて、残るは君たち二人だけになったわけだけれど。次に復讐されるのは君かな? それとも彼女の方かな?」 「おい」とレオが嗜める。 「言い方ってもんがあるだろ」  スピカは肩を竦め、口を噤んだ。レオが代わりに口を開く。 「もし知ってるなら教えてくれ。俺たちは彼女を止めたい」 「……ユリです。彼女で終わりにすると」 「具体的に、何をするか聞いてるか?」 「ワタシが伝えたのは、ユリが入院している病院と病室の番号です。何をするつもりなのかまではわかりません。聞いても教えてくれませんでした。いつ行なうのかも」  レオは迷うように唸った。 「そっか。なら、峰村智鶴に会いに行った方がいいよな。それとも、巳波侑里のところに行くか?」 「君はどうなんだい?」  スピカはレオの質問を無視してアオイに尋ねた。 「どう、とは?」 「死んだ彼女たちは、君にとっても加害者だったはずだ」  何が言いたいのだろう。スピカはアオイの心の奥底、自分ですら意識していない部分まで覗こうとしてくる。とても、いやだ。いやなこと、言われたくないことを言うつもりだ。スピカは容赦なく続ける。 「峰村智鶴と三島美鶴。彼女たちの復讐を、完遂させたいとは思わないのかい?」 「……ワタシ、は」  脳裏に彼女の言葉がよぎる。  アオイはいつも嵐が過ぎ去るのを待っている。  彼女の霊が、そう言ってアオイを詰った。今もそうだ。彼女たちの復讐を傍観している。彼女たちを止めようとする彼らに任せてしまおうと頼りきっている。  チヅルに協力を持ちかけられた時、思いはしなかったか?   チヅルへの協力は、ミツルへの贖罪と同時にワタシの復讐にもなりえると。 「おい、そんなこと言って、彼女たちを見逃すってのかよ」 「そんなことは言っていないさ。ただ、彼女がどう思っているか知りたいだけだよ」 「知って、どうするんですか?」 「単なる興味本位だよ。贖罪も復讐も結局自己満足だ。罪を贖っていると思えば、良心の呵責に責められるよりずっといい。復讐であれば、失ったものは戻らずとも、いっときの慰めになる。君がどう思おうが、僕たちは彼女を止める。それが依頼だからね。だが、当事者たる君は、どんな結末を望むのかと気になってね」  怖い。言いたくない。けれど、スピカの問いからは逃げられない。  アオイはおもむろに口を開いた。 「……わかりません。ユリたちにされたことは、たしかにイヤだったし、死んだ方がマシと思いました。逆に、ユリたちがいなくなればいいのにって思ったこともあります。でも、死ねばいいのにとは思えないんです。相手の死を願うことが、怖くてたまらないんです」 「彼女の声が聞こえるほど、君は霊感が強いんだったね。負の感情や思念は引き寄せやすいから、余計に怖いのだろう?」 アオイは小さく頷いた。 「一方の峰村智鶴は対照的だ。憤怒と怨嗟と殺意を隠そうともしない。妹を失ったこと――奪われたことを、深く根に持っているようだね」 「チヅルが言ってました。自分は昔から病弱で、姉らしいことは何ひとつ出来なかったから、退院したらミツルのために何でもするのだと。ミツルが死んだのは、彼女の退院が決まった日だったそうです」 「なるほど。妹のために何でもする、か」 「それが復讐でもか?」  レオはわずかに眉をしかめた。 「おや、レオは復讐に反対かい?」 「いや、妹のためってのが引っかかるだけだ。結局自分のためだろ」 「だから言ってるじゃないか。自己満足だと。それでも、それを糧に生きてくしかない瞬間もあるんだよ」  アオイの携帯が鳴った。表示されたのはミツルの名前だが、通話の相手はチヅルだ。チヅルはミツルの携帯を使って連絡をとっていた。「彼女からかな? どうぞ」とスピカに促され、電話に出る。 「もしもし?」  応答がない。ザザッとノイズが混じる。電波の悪い場所にいるのだろうか。それとも……何かあったのだろうか。とてもイヤな予感がする。 「あの、何かあったの?」  電話越しに聞こえたのは、「助けて」という聞き覚えのある弱々しい声だった。
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