*チヅルとミツル*

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*チヅルとミツル*

 あいつの笑い声が聞こえる。  刺された腹から血が流れていくのをうっすらと感じ、わたしは失敗したのだと悟った。復讐すらうまくできないなんて、やはりわたしは出来損ないの姉だ。  ごめんね、ミツル。  薄れる意識の中で思い出すのは、同じ顔を持った双子の妹だった。  両親が離婚したのは十二歳の頃だった。わたしは、妹のミツルに比べて極端に体が弱く、人生の大半を病院で過ごしていた。母親はいつもわたしに付きっきりだった。  退院した時でさえ、わたしに何かあれば大変だと、常に監視していた。クシャミひとつしただけですっ飛んでくるような、異常な過保護ぶりだった。  どうやら、わたしたち双子が出産時に死にかけたことが原因らしい。母親も一時生死の境を彷徨ったのだとか。それがトラウマとなってしまったのか、わたしたちを何としてでも守らねばならないと強迫観念にも近い使命を抱いたようだ。  ミツルは風邪ひとつ引かない健康優良児に育ったけれど、わたしは物心つく前から高熱を出したり肺炎にかかったりと目の離せない子どもだった。まるで、体が死に急いでいるようだった。  そのたびに母は発狂したようにわたしの看病に明け暮れ、父やミツルを蔑ろにした。父はそんな母に愛想を尽かし、よそに女を作った。わたしの見舞いに来ることはほとんどなくなった。  母はますますわたしを守るようになった。 「それはね、チヅル、依存ていうんだよ」  教えてくれたのは、ミツルだった。両親が離婚し、わたしは母に、ミツルは父に引き取られた。  離れ離れになっても、ミツルは学校の帰りにわたしの病室へ見舞いに来てくれた。その時のわたしは肺炎を拗らせて入院していた。ようやく熱が下がり、面会を許されたのは、夏の暑さがなりをひそめ、秋の冷たさを感じ始めた頃だった。  母は不在だった。生活のために母が働き始めたのもこの頃だ。わたしの治療費に関しては、父が面倒を見てくれることになったが、生活費は自分で稼がねばならなかった。  パートとわたしの看病で、母はしだいにやつれていった。元々線が細く、儚げな人だったけれど、さらに拍車がかかっていた。高熱にうなされ眠りっぱなしだったわたしが目を覚ましたとき、母は大粒の涙を零し、よかったと安堵の息を漏らした。そしていつものセリフを吐く。 「お母さん、チヅルがいないと生きていけないわ」  そのセリフを聞くたび、わたしは何とも言えない気持ちになった。母はわたしのためにいろんなことを犠牲にしている。父もミツルも切り捨て、わたしを生かすことに注力している。ありがたさと申し訳なさのほかに、わずかな鬱陶しさも感じていた。  生かされていることに感謝しなければならないのに、また母のあのセリフを聞かなければならないのかと思うと、いっそ死んでしまいたいと思ってしまう。  そんなに必死になって、わたしを守らなくていいのに。  わたしが漏らした言葉を、ミツルはやさしく否定した。 「お母さんは、チヅルに依存してるの。そうしなきゃ生きていけないから」  ミツルは大人びた考えの子どもだった。ほとんど学校に通ったことがないわたしでも、ミツルは同年代と比べて達観しているように思った。看病に狂う母とそんな母を異常だと切り捨てた父を間近で見てきたからかもしれない。 「じゃあ、わたしが死んだら、お母さんはどうなっちゃうの?」 「すっごく悲しむと思う。そして、チヅルを追いかけてしまうんじゃないかな」  ミツルは言葉を選んでくれたが、あの人なら後追い自殺しかねないなとわたしは冷静に考えた。 「それなら、わたし、死ねないね。死んでからも追いかけられるなんて、イヤだもの」  ミツルは悲しそうにわたしの手を握った。わたしは途端に申し訳なくなった。 「ごめんね。お母さんがおかしくなっちゃったの、わたしのせいなのに」 「ううん。チヅルは悪くないよ。チヅルが元気になってくれたら、お母さんもきっと安心すると思う。わたしもうれしいよ」  ミツルはやさしい妹だった。わたしばかりを優先する母や寝込んでばかりいるわたしを恨んでも当然なのに、誰よりもわたしを理解して、傍にいてくれた。 「元気になったら、一緒に遊ぼうよ。わたし、チヅルと出かけたい場所、たくさんあるの」  そう言って励ましてくれるミツルを、わたしは愛した。同じ胎から生まれた、同じ顔を持つ片割れ。違うのは、口元にあるほくろくらい。世界で唯一の、わたしの味方。ミツルさえいれば、わたしに怖いものはなかった。  ミツルが高校に進学し、あいつらと関わるようになるまでは。
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