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中学生になると、わたしの体もようやく悪あがきをやめたのか、しだいに体調を崩すことも少なくなっていった。母も落ち着きを取り戻し、仕事に専念するようになった。
校区が違ったので、ミツルとは別々の中学に通った。けれど、週末になれば二人でいろんな場所に遊びに行った。わたしもミツルも、友達はいなかった。けれど、お互いに満足し合っていた。少なくとも、わたしはミツルがいれば充分だった。
今まで姉らしいことをしてこられなかった分、ミツルのためなら何でもするつもりでいた。ミツルが、わたしの傍でいつも励ましてくれたように。
「ねえ、高校はどこに行くか決めた?」
そろそろ進学先を考え始めるようになった頃、わたしはミツルに尋ねた。たまたま立ち寄ったファーストフード店は家族連れや学生で賑わっていた。ミツルは注文したバニラシェイクを飲みながら「まだ決めてないわ。チヅルは?」と言った。
「わたしもよ。でも、ミツルと同じところにするつもり」
「そうなの?」
「うん。だって、小学校はほとんど通えなかったし、中学も違うでしょう?ミツルと学校生活を送るのが夢だったの」
ミツルは何も言わず、曖昧に微笑んだ。
「もしかして、イヤ?」
「そんなことないわ。わたしも、チヅルと一緒がいいと思ってたから。でも、いいなって思ってる学校が、チヅルの家から遠いのよ。それに、私立だから学費も高いし」
現実的な問題に、ミツルは顔を曇らせた。
「お母さんにこれ以上負担かけるわけにいかないでしょう? だから、もっと近くて、学費の安い公立の」
「待って」
わたしは遮った。
「わたしのせいでミツルが我慢するの、イヤだよ。ミツルの行きたい高校に、わたしも行くわ」
「でも」
「お金なら、何とかする。バイトして、授業料の足しにするわ」
「わかった。まずはお母さんに相談してみよう。わたしはお父さんに相談してみるから」
父は母に愛想を尽かしたものの、わたしのことを今も心配しているのだとミツルが話してくれた。離婚する時、母はミツルも引き取ると言って聞かなかったのだけれど、チヅルにかかりっきりの母がミツルの面倒まで見られるわけがないと強引にミツルを引き取ったのだ。
ミツルは、父と父の再婚相手と暮らしている。父の再婚相手とは良好な関係のようで、もうすぐ弟が生まれるらしい。異母弟の誕生に、わたしは興味なかったけれど、ミツルは心待ちにしているようだった。『姉』になれるのがうれしいようで、わたしは正直面白くなかった。
ミツルの兄弟はわたしだけでいいのに。
けれど、それを口にすればミツルが悲しむこともわかっていたので、黙っていた。
結局、母に高校の話をすることはなかった。わたしの体調がふたたび悪化したからだ。原因不明の高熱が続き、入院生活を余儀なくされた。熱が下がっても、退院は許されなかった。検査結果が思わしくなく、予断を許さない状況だったからだ。病名も判明せず、主治医は難しい顔をするばかりだった。
母はまた、狂気に呑み込まれていった。わたしは病室のベッドで中学を卒業した。ミツルは志望校に合格し、高校に進学した。わたしに話していた学校だった。
「また、叶わなくなっちゃったね」
見舞いに来たミツルに、わたしはぽつりと呟いた。窓の外は桜が舞い、春の日差しが眩しかった。病室は薄暗く、わたしの周りだけ冬が取り残されているようだった。
新品の制服に身を包んだミツルは、励ますように痩せ細ったわたしの手を握った。
「まだ来年があるわ。学年が違うだけで、同じ高校に通うチャンスがなくなったわけじゃない」
「そうね」と頷く一方で、どうしてわたしばかりつらい思いをしなければならないのだろうと思った。ミツルだって、同じ胎から生まれた双子なのに。
ひょっとして、生まれてくるときに、ミツルがわたしの命を吸い取ってしまったのではないか。本当は、わたしは生まれた時に死ぬべきで、ミツルだけが生き残るべきではなかったのか。
「チヅル?」
わたしの昏い考えを打ち消すように、ミツルが呼ぶ。わたしは一瞬でもミツルを恨んだことを恥じた。
「ミツルの言うとおりね。早く元気になって、勉強しなくちゃ。ミツルと同じ学校に行くんだもの」
わたしが笑うと、ミツルもうれしそうに笑い返した。
けれど、わたしの希望を嘲笑うかのように、体調は良くなったり悪くなったりと波があった。わたしは病院に閉じ込められたままだった。そうして、一年が過ぎた。
ミツルの異変を感じたのは、十七歳の夏が始まろうという頃だった。
春先に、学校の友達だという東野碧依を紹介された。大人しそうな子だった。だからこそ、ミツルと気が合ったのかもしれない。
わたしは内心、苛立ちを覚えた。友達なんか、わたしたちには必要ないと思っていたからだ。ミツルはそうではなかったことに、すこしがっかりした。
ミツルが楽しそうに学校生活を語って聞かせてくれるのも、この頃は苦痛だった。ミツルの世界は広がっていくのに、わたしは消毒くさい病室に閉じ込められたままなのだ。
ミツルが、そんなわたしを憐れんで、外の世界の話をしてくれるのもわかっていた。それは、ミツルのやさしさだ。けれど、わたしは素直に受け取れずにいた。ミツルも、わたしと一緒に閉じた世界にいてほしかった。
その願いが通じたのか、しだいにミツルは学校の話をしなくなった。元々静かな子だけれど、沈み込むような表情を浮かべることが増えた。わたしは、何があったのかと尋ねたが、ミツルは何でもないと笑って答えた。無理をしている笑い方だった。
アオイという子と、喧嘩でもしたのだろうか。わたしは、「つらければ無理しないで」と言った。ミツルは「大丈夫だから」と繰り返すだけだった。双子の勘とでも言えばいいのだろうか。ミツルが抱えている問題はもっと深刻だと察した。
それからのわたしは、ミツルを注意深く観察するようになった。ミツルは何でもないフリが平気だったけれど、わたしはいじめに遭っているのだと気づいてしまった。
きっかけは、病室に忘れていったミツルの携帯を覗き見てしまったことだ。チャットアプリには、心無い言葉がずらりと並んでいた。それから、「言うことを聞かなければあの写真を晒す」といった脅し文句も。
わたしはすぐに理解できなかった。何故ミツルがいじめられなければならないのだろう。何故ミツルは言いなりになっているのだろう。わたしが知るミツルならば、たとえ脅されたとしても、泣き寝入りなんかしないはずだ。
ミツルが忘れ物をしたと病室に戻ってきた時、わたしは携帯を握ったままでいた。ミツルは何も言わなかった。けれど、わたしが知ってしまったことに気づいていただろう。わたしは黙ってミツルに携帯を返した。ミツルも、黙って携帯を受け取った。
わたしが尋ねても、ミツルはきっと答えない。だから、いつかミツルから打ち明けてくれるのを待つしかなかった。
それからしばらく、ミツルは見舞いに来なかった。その間にもミツルがいじめられているのではないかと、わたしは気が気ではなかった。早く、ミツルに会いたかった。待つのはやめて、今度こそ単刀直入に聞こうと決めた。わたしは、ミツルの姉なのだから。妹を守りたい一心だった。
ようやく、退院できるまでに体調が回復した。この調子なら、退院の許可を出しても問題ないと医師が告げた。わたしはすぐにでもミツルに知らせたかった。ミツルと一緒に喜びを分かち合いたかった。母がミツルに連絡をすると、用事を済ませたら見舞いに行くと返事があった。
けれど、その日、いつまで経ってもミツルは現れなかった。母が青白い顔で病室に入ってきた時、わたしはミツルに何かあったのだと察した。母は唇を震わせ、ミツルが死んだと告げた。
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