*チヅルとミツル*

6/7

21人が本棚に入れています
本棚に追加
/30ページ
 ***  スピカたちが駆けつけたとき、病室には二人の少女がいた。ひとりは倒れ、もうひとりは血のついたナイフを手に呆然と立ち尽くしている。 「ユリ! 何があったの?」  アオイが悲鳴じみた声を上げる。ユリはゆっくりと振り向いた。 「何って、こいつが襲ってきたから、返り討ちにしただけよ」 「そんな……」 「ねえ、アオイ、こいつ、誰?」  抑揚のない声で尋ねる。 「誰って……」 「あいつにそっくりだった。でも、口元にほくろはないし、何より、生きてるじゃん。あいつ、死んだんじゃなかったっけ?」 「か、彼女はミツルの双子のお姉さんよ」 「ふうん? アオイは知ってたんだ? あいつに双子の姉がいるって」  ユリは首を傾げ、笑った。いたぶるような目つきだ。 「それで、そいつと結託して、散々ウチらをいじめたワケ?」 「いじめてなんか」 「いじめたじゃん! 呪いとか言っちゃって、派手なパフォーマンスしたり、スミレやカスミを死なせてさあ! 二人が死んだの、アオイのせいだよ! この顔だって、全然治らないんだけど!」  ユリはヒステリックに喚き、ガーゼをむしり取った。縫合された傷跡は醜く腫れ上がり、化膿している。アオイは息を飲んだ。腫れ上がったそれはひとの顔のようにも見えた。 「ひどいじゃん、アオイ。一緒に遊んであげたのに。ひとりぼっちだったあんたを仲間に入れてあげたのに!」 「ひ、ひどいのはユリたちだよ!」 「……はあ?」 「うれしかったよ、声をかけてくれたときは。でも、ワタシやミツルにしたことは許さない!」  声を振り絞り、アオイは叫んだ。がくがくと膝が震えた。けれど、言わなければならなかった。たとえ、ユリには通じなかったとしても。 「あんた、今何て言った? 許さない? それはこっちのセリフなんだけど」  ユリは顔を歪めた。傷跡と相まり、化け物じみた形相だった。 「あんたごときが楯突くなんて、不快だわ。あんたも死ねば?」  ユリが手にしていたナイフを向ける。刃先は血に濡れていた。 「それ以上はやめた方がいい」  スピカがアオイを庇うように前に出た。 「邪魔するならあんたも」 「しぃ、静かに。ほら、聞こえるだろう?」  口に人差し指を当て、スピカはユリの背後を見つめる。つられて、ユリの背後を見たアオイは、その場にへたり込んでしまった。  何かが、いた。四つん這いになった女性らしき人間が、体長よりも長い髪を引きずりながら、呻き声とともにゆっくりと這ってくる。どす黒い血の涙を流しているが眼球はなく、ぽっかりと空洞になっている。けれど、アオイは目が合ったと感じた。 「目を閉じて。あれは見てはいけないものだ」  スピカの言われたとおり、アオイは慌てて目を閉じた。 「……バカらしい。そんな芝居には引っかからないわよ」 「アァ……ヴ、ァ……」  この世のものとは思えない唸り声に、ようやくユリも異変を感じ、後ろを振り向いた。突然現れた異形のものに、ユリは悲鳴を上げた。 「何よ、何なのよこれ!」  ユリが後ずさる。異形はユリに向かって這っていく。青白い肌はひび割れ、ところどころ出血していた。動くたび、どろりと黒っぽい血液が流れ出る。 「さて、これは何と言ったものかな」 「ちょっと! 何とかしなさいよ! どうせこれもあんたたちの仕業でしょ!?」 「あいにく、僕たちは関与していないよ。君の所業が呼び寄せたものだ。よく見てごらん」  ユリはぎこちなく顔を動かした。見たくないのに、無理やり顔を動かされているようなぎこちなさだった。 「ひっ……」  それの顔はミツルであった。スミレであった。カスミでもあった。顔はぐにゃりと歪み、さまざまな人間に変わった。ユリの知っている人間ばかりだった。 「何でよ、何でアタシなのよ! アタシは何にもしてないわ!」 「彼らはそう思ってないみたいだね」  ユリの足元まで這いずり寄ってきた何かは、ユリの足を掴んだ。 「離しなさいよ!」  ユリは振りほどこうとしたが、力強く引っ張られ、その場に尻餅をついてしまった。 「おい、どうすんだよ、あれ!?」 「ふむ。元は三島美鶴なのだが、他人の妄執やら憎悪やらを大量に取り込んでしまったようだね。悪霊の集合体とでも言おうか」 「夏実さんも厄介な代物を作ってくれたものだ」と呟く。 「さすがにあれを取り込むのは無理だぞ。俺が死ぬ」 「わかっているよ。箱を使え」  レオは箱を取り出し、「来い!」と叫んだ。何かはレオの方を向いた。獣の咆哮にも似た絶叫が空気を震わせる。 「あ、う……」  アオイは耳を押さえてガタガタと震えた。勝手に涙が零れてくる。 「あれの言葉が聞こえているね?」  スピカの問いに、弱弱しく頷く。 「耳を傾けてはいけないよ。気が触れてしまう」 「でも……ミツルは、ワタシのせいで……だから、罰を、受けなくちゃ……」 「あれがそう言っているのかな? だとしても、聞いてはいけない。念仏でも何でも唱えているといい」  それだけ言うと、スピカは何かに目線を戻した。 「ヤベェぞ、こいつ! この前より重くなってる!」  レオは腰を落とし、必死で箱を抱えていた。 「箱の容量を超える程の霊力か。並みの悪霊ではないね」  何かは呪詛ともつかない叫びを発し続けている。箱がひび割れ始めた。 「マジかよ!」  レオは慌てたが、箱のひびは広がる一方だった。ついに箱が割れ、取り込まれかけていた何かはさらに大声を発した。レオは後ろによろめいた。 「仕方ない。彼に任せよう」  スピカは琥珀色の義眼を取り出した。  何かはユリの上に覆い被さり、血まみれの手でユリの顔を掴んだ。ボロボロになった爪で、腫れ上がった傷を抉る。ユリの悲鳴が上がる。 「くそ!」 「待て。お前が行くと彼がやりづらくなる」 「じゃあ早くそいつを呼べよ! 殺されちまうぞ!」 「……とっくに来ている」  冷たい低音が響いた。義眼は眩く光り、ゆらりと人の形をとった。 「頼めるかい?」 「誰に言っている。当然だ」  人の形はスピカとまったく同じ顔をしていた。だが、両の瞳に眼球はなく、下半身は茫洋として形をとっていなかった。  鎖骨から腹にかけて、中心がぱっくりと割れる。そこには闇が広がっていた。スピカに似た何かはユリに覆い被さる何かを吸い込んだ。 「ヴァ……あ、ァ……」  何かは抵抗するような素振りを見せたが、それも一瞬だった。あっという間に裂け目は閉じてしまった。スピカに似た何かも消え、スピカの手のひらには琥珀色の義眼が載っているだけだった。何食わぬ顔で、スピカは義眼を眼窩に戻した。 「どうなったんだ?」  展開の早さに追いつけず、レオは呆気に取られるばかりだった。 「彼に吸い込んでもらった」 「掃除機かよ」 「そんなようなものだ。お前はホイホイ系だが、彼は吸引系でね。彼に吸い込まれたら最後、どうなるかは僕にもわからない」 「ホイホイって、もっと言い方あんだろ。引き寄せ系とか」  静寂が戻った。何かがいた場所には、ひとりの少女がいた。その近くには、真っ二つに割れた人形が落ちていた。夏実の作った呪具だろう。 「三島美鶴か? でも、さっきあいつが吸い込んだんじゃねーの?」 「わざと残したようだね。何か意図があるのかな? それとも、君が望んだのかな?」  ミツルは薄ぼんやりとして今にも消えそうだった。話しかけてきたスピカを一瞥し、アオイに向かってうっすらと笑みを浮かべる。やわらかな笑みだった。口が動いた。音はなかった。それでもアオイには伝わったのか、アオイは激しく頭を振った。 「ごめん、ごめんね、ミツル」  ミツルはやがて消えた。泣きじゃくるアオイの声だけが残った。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加