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高城がスピカの事務所を訪れたのは、三島美鶴を除霊してから数日経った頃だった。東野碧依も一緒だった。出迎えたレオは、「珍しい組み合わせっすね」と二人を見比べた。
「下で鉢合わせたんだ。入りづらそうにしてたから、連れてきた」
「こ、こんにちは」
アオイはおどおどした様子で頭を下げた。レオは二人を招き入れ、ソファに案内した。スピカがパーテーションの奥から現れ、二人の前に座る。
「先日はお世話になりました。それで、今日はどのような用件ですか?」
「先にこの子の話から聞いてやれ」
高城に促され、アオイは口を開いた。
「この前はありがとうございました。みんなを助けてくれて」
「僕たちは依頼を遂行したまでだよ。もっとも、依頼主の彼女は死んでしまったけれど」
「それでも、ちゃんとお礼を言いたかったんです。最後に、ミツルとも会えたから」
アオイはうれしそうにはにかんだ。
「聞くのも野暮だろうけれど、彼女とは仲直りできたようだね?」
「ありがとうと言われた気がしました。ワタシ、何もしてないのに」
「いや、彼女は間違いなく君に感謝している。君が巳波侑里の病室に駆けつけてくれたからね」
「それは、チヅルから電話があったから」
「電話の相手は、本当に峰村智鶴だったのかな?」
スピカはゆるりと微笑んだ。
「え?」
「君にかかってきた電話だが、峰村智鶴はあの時電話をかけていなかったそうだ。発信履歴も残っていなかったらしい」
「え、でも、助けを求める電話があったんだから、俺たち、駆けつけたんだよな?」
レオも首を傾げた。高城が口を挟む。
「警察が調べたから間違いないぜ。三島美鶴の携帯から、君の携帯に発信された記録はなかった」
「ということは、電話の主は三島美鶴だったのかもしれない」
「でも、電話口で助けてって……」
「峰村智鶴を助けてほしかったってことか?」
レオの考えに同意するようにスピカが頷く。
「君だけは、本当に彼女の声が聞こえていた。だから、君に助けを請うたんだよ。姉を助けてくれとね」
「そう……なんでしょうか」
アオイは半信半疑のようだった。
「でも、ミツルのためになったのなら、うれしいです」
「そうか。ところで、峰村智鶴の容態はどうかな?」
「チヅルは、まだ入院しています。ユリに刺された傷がまだ癒えなくて」
「怪我、酷いのか?」
レオは三人分の紅茶を置きながら尋ねた。
「命に関わるほどじゃないって聞いてますけど、しばらく時間がかかるそうです。元々体が弱いらしいので。それに、その……」
言い淀むアオイに、スピカが「まだ何かあるのかい?」と首を傾げた。
「ちょっと、情緒不安定らしくて。ミツルの声がするって言うんです」
「君も聞こえるのかな?」
「いいえ、ワタシには、もう聞こえません」
「そうだろうとも。君も見たとおり、彼女は消えたからね」
「じゃあ、峰村智鶴は……」
言い淀むレオに、スピカが答える。
「精神的なものによる幻聴だね。妹を失って、復讐に取り憑かれていたんだ。精神的に負荷がかかってもおかしくない。だとすれば、医者に任せるほかないね」
「彼女なんだがな」
高城が言いづらそうに口を挟んだ。
「峰村智鶴は、仁科佳純の交通事故に関わっているようだ」
「というと?」
「付近の防犯カメラを調べて分かったんだが、仁科佳純はどうやら誰かに車道へ突き飛ばされたらしい」
「まさか、峰村智鶴の仕業っすか?」
「映像が不鮮明で断定はできないが、おそらくな。本人もそう証言している。ミツルが怒っている、だから押したんだとな」
「もしかして、木田澄玲の死も峰村智鶴が関わってるんすか?」
「直接手を下してはないだろう。これまた推測だが、駅のホームで峰村智鶴と会ったんじゃないか?」
スピカは高城の推測に同意するように頷いた。
「彼女は、双子の姉がいることを知らなかった。だから、瓜二つの峰村智鶴に驚き、足を踏み外して線路に落ちた。そんなところでしょう」
「峰村智鶴はどうなるんすか? 罪に問われるんすか?」
レオの問いに、高城は難しい顔をした。
「木田澄玲の件は事故だ。自殺教唆でもしてりゃ別だが、今さら立証はできないさ」
「仁科佳純の件は? 防犯カメラの映像も本人の証言もあるんすよね?」
「たしかにそっちの件は証拠も証言もあるが、そもそも未成年だ。成人だったら裁判所で起訴され、刑事罰を科されるのが通常だ。だが、彼女の場合は家裁に送られ、保護処分が下されるだろうな。場合によっちゃ、刑事処分が下されるケースもあるが」
レオは「そうっすか」と呟いた。司法の決定がどうあれ、罪は罪として償ってほしいと思う。一方で、その罪を断じるのは誰が適しているだろうかと考えた。答えはすぐに出なかった。ただ、彼女が真に罪を受けとめるには、法律だけでは通じないだろうなと感じた。
「巳波侑里はどうなりましたか?」
「彼女はがっつり人を刺してるからな。殺人未遂だ。峰村智鶴よりも重い処分が下される可能性が高い。だが、彼女は彼女で罪を問うのは難しいだろう」
巳波侑里は三島美鶴の悪霊に襲われても生きていた。だが、抉られた傷は治らず、醜く残ったままだそうだ。
「本人にとっちゃ、それが一番つらいみたいだな。自分の顔を元に戻せと狂ったように顔を掻きむしるもんだから、ますます傷が広がる。それを見て、また発狂する。負のループだ」
暴れる彼女は手がつけられず、強制的に精神病棟へ入院させられたらしい。アオイは痛ましそうに顔を歪めた。
「ユリにとって、美しいことが絶対の価値でしたから。死ぬよりつらいと思います」
「死ぬよりつらい、か。死んでしまったら、元も子もないのだけれど」
スピカはぽつりと呟いた。
「俺の話はまだ終わっちゃいない。お前の仕事に協力したんだ。約束どおり、祓ってもらうぞ」
高城がずいと身を乗り出す。スピカは目を細め、高城の全身を眺めた。
「おや、また増えていますね? 僕の忠告を無視して、女性が多く集まる場所に行ったんですね?」
「仕事でな! おかしな言い方すんな! こいつらドン引きしてるじゃねえか!」
レオは「千秋サン、何してんすか……」と戸惑った表情を浮かべ、アオイは話についていけず、困った顔をしていた。スピカはくすくすと笑い、「わかってますよ」と言った。
そして、高城の肩と腰の辺りを目掛けて拳を突き出した。シュッと小気味のいい音が鳴る。
「お、軽くなった」
どうやら除霊は成功したらしい。心なし、高城の顔色が良くなった。
「千秋先輩はとくに女性の霊に取り憑かれやすいんですから、優しくするのは生者のみでお願いしますよ」
「俺だって、幽霊にはモテたかねえよ」
そう言って、高城は事務所から出て行った。アオイも、もう一度礼を言ってから帰って行った。レオがティーカップを片付けていると、ソファに座ったままでいたスピカが独り言のように呟いた。
「生きて苦しみ続ける罰と、死をもって完結する罰、被害者はどちらを望むだろうね?」
その問いに対する答えを、あいにくとレオは持ち合わせていない。レオもまた、自分の疑問を吐き出した。
「なあ、三島美鶴は本当に罰を与えるのを望んでいたんかな?」
「というと?」
「だってよ、罰を与えるんだとしたら、あの四人だろ? けど、峰村智鶴だって、罰を受けたようなもんじゃねーか」
「理由がどうあれ、人を死に追いやったのは間違いなさそうだからね。報いを受けたという意味では、自業自得だろう」
ティーカップを洗いながら、レオは呟いた。
「姉貴を巻き込んでまで、罰を与えたかったのかなって思ってさ」
「彼女は峰村智鶴の復讐心に引きずられたのかもしれない。ミツルが怒っていると彼女は繰り返していたそうだけど、本当に怒っているのは彼女自身だ。自分の復讐心を妹のせいにしたわけだね」
「あー、だから、最後、三島美鶴はあんな穏やかな顔してたのかもな」
消滅する寸前の表情を思い出す。
「姉の復讐を止めたかったのか、あるいは解放されたかったのかもしれない。過ぎた力は、本人を苦しめただろうからね」
レオはスピカに視線を向けた。スピカはどこか疲れたようだった。見てはいけないものを見てしまったようで、そっと視線を逸らす。ティーカップを布巾で拭きながら、「なあ、お前、本当は今回の依頼、あんま乗り気じゃなかっただろ」と言った。
「何故?」
「なんとなく」
依頼を請け負ったからには遂行すると言いつつ、除霊には慎重だった。カラオケボックスでレオが取り逃がした直後に、スピカが祓うことだってできたはずだ。あのとき、スピカはわざと逃がしたのではないか。義眼に宿るあれを見てしまったあとでは、そう思えてならない。
「なんとなく、か。ふふ、そうかもしれない」
スピカはそっと右目を撫でた。
「すでに知っているだろうけれど、僕の右目には、死んだ双子の弟が宿っている」
「おう、千秋サンから聞いた」
「生まれて間もない頃、事故に遭ったんだ。僕は右目を失い、弟は即死だった。父も母も、その時に亡くなったよ。僕だけが生き残った。僕は、ひとりになった」
スピカが自分のことを語るのは珍しかった。レオは黙ってティーカップを拭き続けた。
「幸い、お金だけはある家だったからね。生活には困らなかった。僕は祖父母に引き取られて育てられた。ある時、弟の声が聞こえたんだ。自分は僕の中にいるとね。声は日増しに強くなる。僕はついに狂ってしまったのかと思った。そんな時、夏実さんが義眼を作ってくれたんだ。弟はそこに宿り、僕を守ると言った」
「じゃあ、その義眼も呪具なのか?」
「そうだよ。いつも僕を守ってくれる。だからかな、峰村智鶴の気持ちも、三島美鶴の気持ちも理解できてしまうんだ。奪われたことに対する怒りも、残された者を守りたい気持ちも、両方ね」
「俺にはいつも同情するなって言うくせに」
わざとらしくむくれてみせると、「共感はしていない。理解しただけだ」と反論された。
では何故、ぽつぽつと語るスピカは憂えた表情をしているのだろう。双子の姉妹に自分の境遇を重ねて心を寄せてしまったのではないか。それを認めたくないのだろうか。
いくら考えても、レオにわかるはずがなかった。ただ、スピカにはいつものように腹立たしいほど余裕綽々の態度でいてもらいたい。他人の慰め方なんて、レオは知らないのだから。
「なあ、紅茶のお代わり、いるか?」
ティーカップを拭き終えたばかりだが、使ったら、また洗えばいい。スピカは目を瞬かせ、いつものようにゆるりと微笑んだ。
「今度はアールグレイがいいな」
リクエストを出され、「アールグレイの茶葉、置いてあったかな」と頭を巡らせる。事務所の棚には市販のティーパックしかない。あるとしたら、キッチンの棚だ。なかったら、近くのスーパーまで買いに行けばいいだろう。「ちょっと待ってろ」と言って、レオは居住スペースに確認しに向かった。
その後ろ姿を眺めながら、スピカはひそかに目を細めた。儚く、やわい笑みだった。
終
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