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昼食をすべて戻したあと、真っ青な顔で教室に戻った。カバンを持ち、担任に早退すると告げる。担任は私の顔を見てぎょっとした。体調の悪さを誤魔化しようがない程の青白さに驚いたのだろう。ユリの視線を感じたが、気に留めている余裕はなかった。
睡眠薬を処方してもらおうと病院に向かう。近所の病院では知り合いに見られる可能性がある。変な噂が立つのは嫌だ。スマホで調べ、数駅離れた先にある総合病院を選んだ。
とにかく眠りたかった。あいつにも、過去にも邪魔されず、安眠を貪りたい。切実だった。
受付を済ませ、待合室の椅子に座る。何人か診察待ちだった。スマホを弄る気にもなれず、ぼんやりと宙を見つめていた。
不意に、視界に見知った影がよぎった気がした。咄嗟に影がいる方向を見やる。あいつが、廊下の角を曲がっていくところだった。一瞬しか見えなかったけれど、あいつの横顔を見間違えようがない。学校の制服も私と同じだった。
「いるわけない」
私は無意識に呟いた。
「いるわけない。だって、あいつ、死んだって」
学校で噂になっていた。けれど、誰も死んだ場面を見たわけではない。葬式が行われたのかすら、知らない。
もしかして、死んだというのは単なる噂で、実は生きているのかもしれない。ひょっとすると、私たちに復讐しようと死んだフリをしているだけなのかもしれない。そして、陰でひっそりと笑っているのではないか。
だとしたら、許せないし、許さない。自分をこんなにもしんどい目に遭わせて、自分はのうのうと生きているなんて。
私は立ち上がり、影の後を追った。曲がった先の病室から、制服を着た女子生徒が出てくる。私は詰め寄り、「あんたっ!」と肩を掴んだ。
「きゃっ」
声を上げて振り向いたのはアオイだった。
「アオイ!? なんでこんなところにいんのよ」
「お、おばあちゃんのお見舞いに……」
病室の入り口に掲げてある名札には「峰村智鶴」とあった。アオイとは名字が違う。母方の祖母なのかもしれない。
「そう……」
私は気が抜けようにのろのろと手を離した。
「スミレは何で病院に? どこか具合でも悪いの?」
「何でもないわ」
取り乱したのが急に恥ずかしくなった。私は誤魔化すようにつっけんどんに答えた。
きっと自分の勘違いだ。あいつとアオイを見間違えるはずがない。寝不足の頭が幻覚を見せただけだ。
「で、でも、ものすごく顔色悪いよ?」
「ほっといてよ」
「ご、ごめん……」
アオイはすぐに謝った。本当に私を案じているようで、すこし居心地が悪い。よく見れば、アオイも顔色がいいとは言えなかった。ウェーブがかかった髪はぼさぼさで、手入れがされていないようだ。見るからにやつれている。
「あんたこそ、学校来てないじゃん」
「うん……学校まで行くんだけど、中に入るのが怖くて」
「何それ」
「なんか、ずっと見られてる感じがして、気分が悪くなるの」
鼻で笑うことができなかった。自分にも身に覚えがあるからだ。それでも、虚勢を張って、「気のせいじゃないの?」と返した。
「そう思いたいんだけど、校門の前まで来ると、足が竦んで、先に進めなくて。大丈夫な日もあるんだけど」
決して冗談を言っている雰囲気ではない。真面目な様子で話すアオイにゾっとした。そういえば、呪いがどうとか言い出したのはアオイだ。
「ねえ、あいつ、本当に死んだと思う?」
アオイは大袈裟なほど大きく体を震わせ、カッと目を見開いた。異様な反応にぎょっとして、思わず身を引く。
「どうして? あの子が死んだって言い出したの、スミレだよね」
「そうだけど。隣のクラスの子が話しているのを聞いただけよ。ほら、あいつと同じ中学だった子、いるでしょ」
そうだ。私は噂話を聞いただけだ。事実かどうかなんて、知らない。その噂を聞いたときは話のネタになると思っただけで、真偽はどうでもよかった。
「アオイの方こそ、詳しく知ってると思ってたわ。あいつと仲良かったでしょ」
「そんなことないよ!」
通りがかった患者が迷惑そうに私たちを睨む。
「大声出さないでよ」
私は眉をしかめた。
「ごめん……でも、あの、その」
アオイは真っ青になり、慌てたようにどもった。
本当に仲が良ければ、ユリにあいつを紹介などしなかっただろう。当時、ユリのターゲットにされていたアオイは、たまたま席が隣になり、話すようになったあいつをユリに差し出した。
あいつも、アオイのように大人しかったから、ターゲットにするのは簡単だった。けれど、アオイと違って泣くこともなく、黙って耐えるような奴だったから、私はむきになっていじめた。
はじめこそ、「やめて」「なんでこんなことするの」と抗っていたけれど、しだいに何も言わなくなった。それがせめてもの抵抗であるとばかりに。
泣いて、無様に許しを請えばいいと思った。かつての自分のように。そうしたら、私の気は晴れただろう。けれど、あいつが無意味に耐えるものだから、私は意固地になってさらに痛めつけ、ユリはますます楽し気に笑っていた。
あいつを差し出した負い目からか、アオイは積極的に加わろうとはしなかった。ただ、見ているだけだった。
「あの……あの子、本当に死んだと思う」
「……何で言い切れるのよ」
「……だって、あの子の声が聞こえるの。耳元で、ずっと」
そう答えるアオイの目は虚ろだった。焦点が合っていない。けれど、私は妙に安堵した。自分だけではなかった。あいつに付き纏われているのは。
「どうすんのよ、それ」
「一生、このままだと思う」
「……は? 何で?」
「それが、ワタシたちの罰だから」
「冗談じゃないわ!」
アオイの返答に、私は反射的に叫んだ。
「何で私たちが罰を受けなきゃいけないのよ! 罰を受ける奴なんかもっとほかにいるじゃない!」
何故、私なのか。
自分をいじめた奴らはのうのうと生きているくせに。
何故、自分だけが罰を受けなければならないのだ。
自分はただ、他人にやられたことを、他人にやり返しただけだ。
私があいつをいじめた一番の理由は、それだ。
ユリを楽しませるためでも何でもなく、昔の自分を慰めたかった。やられたら、やり返せばいいのだと。死にぞこない、生き延びてしまった無価値な自分を励ますためにも。
「だって」
アオイは薄笑いを浮かべていた。薄気味悪く口元を歪ませ、言い放つ。
「あの子が死んだの、ワタシたちのせいだもの。あの子も、そう言ってる」
だから、罰を受けなくちゃ。
アオイの背後に、あいつがいる気がした。
私はアオイを突き飛ばし、走り出した。途中、すれ違った看護師に呼び止められたが、構わずに外に出た。晩秋の風が冷たく肌を撫でる。私は足を止めた。アオイとあいつが重なる。
いるわけない。いるわけ、ないのに。
背中に視線が突き刺さる。恐る恐る振り向くと、病室の窓辺にあいつが立っていた。病的なまでに白い顔は恨みがましく、カーテンの影から覗くように私をじっとりと睨みつけている。
不可解な現象が始まったあの夜に、外から私を見上げていたあいつだった。
「あ……あぁ……」
私はその場にへたり込んだ。アオイの言葉が繰り返される。
あの子が死んだの、ワタシたちのせいだもの。
罰を受けなくちゃ。
通りすがりの人に声を掛けられるまで、私は放心していた。あいつの姿は、いつの間にか消えていた。
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