*木田澄玲*

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***  通りすがりの人に、病院の人を呼ぼうかと声を掛けられた。けれど、とても戻る気にはなれず、私は病院から離れた。  ふらつきながら駅に向かう。電車に乗り、疲れたように座席に座った。車窓を流れていく景色がくすんで見える。窓ガラスにあいつが映った気がして、咄嗟に下を向いた。視線は感じないが、それでも付き纏われているような感覚がこびりついて離れない。  自宅の最寄り駅に着いた。のろのろと立ち上がり、電車から降りる。改札から出て、家に向かう足取りは重かった。家に帰る気になれなかったが、ほかに行く場所もなかった。まだ母親は帰ってきていないはずだ。あまり早く帰ると、何事かと詮索される。  煩わしいと思いながら、近くの公園に寄り道した。三時をまわったところで、子供連れの母親や低学年の小学生たちが思い思いに過ごしている。私はベンチに座った。しばらくぼんやりしていると、「お姉ちゃんだ」と声を掛けられた。妹のハヅキだった。 「今帰りなの?」 「うん。一度家に戻ってから、ピアノと塾に行くの」  七つ下の妹を、私は憐れんだ。ハヅキは、過去の自分と同じように習い事をいくつも掛け持ちしている。私が母親の期待から脱落すると、矛先はハヅキに向かった。今はまだ、ハヅキも文句を言わず、楽しそうに習い事に通っている。私とは違い、結果も出しているようだ。  母親が褒めそやす姿を思い出し、口の中に苦いものが広がった。表立って自分と比較することはなかったものの、塾も習い事もやめ、以前ほど勉強しなくなった私に愛想を尽かしたようだった。高校受験が始まるまで、私の成績は底辺を彷徨っていた。  そうなったのは、中学二年生の頃だ。同級生からのいじめも始まり、私は完全に壊れた。家にも、学校にも、居場所はなかった。どちらも地獄でしかなかった。  親に、いじめられているとはとても相談できなかった。落ちこぼれだからいじめられるのだと言われそうで怖かった。だから、学校に行かないという選択肢は、はなからなかった。  いじめがやんだのは、主犯格の子が親の仕事の都合で転校したからだ。その子がいなくなったとたん、誰もいじめて来なくなった。かといって、話しかけてくる子もいなかった。私は無視されるようになった。暴力がなくなっただけ、マシだった。  いつか、ハヅキも耐えられなくなる時が来るかもしれない。あるいは、才能溢れる人間に育っていくかもしれない。どうでもよかった。でも、自分のようになっては欲しくないと思う。 「あ、そうだ。さっきお姉ちゃんのお友達に会ったよ」 「友達? 誰?」 「名前は聞いてない。教えてくれなかったの。でも、お姉ちゃんに伝えてほしいことがあるんだって」  わざわざ妹に伝言を頼むなんて怪しい。そもそも、ユリたちに妹の話をしたことはほとんどない。何故ハヅキのことを知っているのだろう。わざわざ調べたとしか思えない。 「その子、何て言ってたの?」 「あのね、次はお姉ちゃんの番だって」 「私の? どういう意味?」 「わかんない。でも、お姉ちゃんに言えばわかるはずって言ってたよ」  意味が分からないし、気味が悪い。まさかと思いつつ、「どんな姿だった?」と尋ねた。 「お姉ちゃんと同じ制服だったよ。髪の毛は黒くて、肩くらいまであったかな」  ユリは暗めの茶髪のロング、カスミは黒髪のボブだ。ならば、アオイだろうか。 「髪の毛、パーマかけてるみたいだった?」 「ううん。まっすぐだった」  思い当たるのは、あいつしかいなかった。ありえない。妹の前にまで現れるなんて。 「そいつ、口元にほくろあった?」  目立つほくろだった。カスミとアオイに押さえつけさせ、マジックでさらに黒く大きく塗り潰したことがあった。ユリはニヤニヤと笑いながら、スマホをあいつに向けていた。 「うーん……あったような、なかったような。覚えてないや」  ハヅキはすまなそうに答えた。 「そいつに変なことされてない?」 「されてないよ」 「そう」  本当に伝言だけのようだ。気味の悪さは残るものの、ハヅキが無事でよかった。 「お姉ちゃん」  躊躇いがちにハヅキが呼んだ。 「何?」 「あのね、ハヅキはお姉ちゃんの味方だからね。お姉ちゃんがまたあんなことしたら、泣くから」  ここ最近の私の異変を感じ取っていたのだろう。慰められてしまった。私は何と言ったらいいかわからず、「そう」とだけ答えた。  私が自殺しなかったのは……できなかったのは、風呂場で手首を切ろうとしたところをハヅキに見られたからだ。驚き、泣いてしまったハヅキに、母親には絶対に言うなと口止めしているうちに気がそがれてしまった。私はハヅキに死ぬ機会を奪われ、助けられてしまった。 「ピアノの時間に遅れそうだから、もう行くね」  ハヅキが手を振りながら駆けていく。 「うん、気をつけて」  手を振り返しつつ、伝言の意味を考えた。  次は私の番。  何の順番だろうか。いくら考えても思いつかない。薄気味悪さを抱えたまま、私はしばらくベンチに座っていた。
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