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一章
山田は左手の指先に意識を集中していた。右手でダイヤルを回しながら、鍵穴に挿し込んだ鍵を小刻みに揺する。家庭用のダイヤル式耐火金庫の前に座り込み、指の感覚に心を研ぎ澄まし、四枚のハネの窪みの位置を探る。いちばん手前のハネのキリカキの位置はすでに判明していた。ダイヤルを右に四回回した25のところで、なにかを乗り越えるような感触が指に伝わった。いちばん手前のハネのキリカキの数字は83だった。
山田が作業をしている背後では、この金庫の開錠を依頼してきた家族の話し声が聞こえている。三十代半ばの男女。顔立ちは似ていた。
「暗証番号も教えずに死にやがってよ」
「兄きさあ、ほんとうにあの金庫のなかにお金がはいっているの?」
「ああ間違いねえ。ろくに金もよこさねえで、貯め込んでいやがったんだ」
山田は作業を続ける。三枚目のハネに取り掛かるところだった。
ダイヤルを左に二回回し、三回目にはいったところで、山田はダイヤルを回したり戻したりしだした。三枚目のハネのキリカキにはいつも少々手こずる。鍵を摘まんだ指に微妙な変化を逃さぬように注意を払う。親指と人差し指のあいだに擦るような感触があった。いちど最初に戻り、右に四回回して25、左に三回回して……そう、やはりここで違和感を感じる。三つ目の暗証番号はおそらく62だろう。
「――通帳にもろくに残高がなかったんだぜ」と兄が言った。「あとはこの金庫のなかの金だけが頼りだぜ」
「兄きさあ、ちょっとは働いたらどうなの? お袋にたかってばっかだったから、そんなに貧乏なのよ」
「うるせえ! 金庫のなかの金さえ手にはいったら、とうぶん遊んで暮らせるんだ」
四枚目のハネは正直時間の問題だった。金庫のダイヤルの目盛に刻んである数字はぜんぶで99。目盛をひとつずつ当たり、最大で九十九回試してみればいいだけだ。だがそれはうまくない、ひとつずつ目盛を合わせて確かめているうちに指の感覚と集中力は削がれてゆく。いままでの三枚のハネを探り当てたように、鍵穴に挿し込んだ鍵に伝わる感触の微妙な変化に意識を集中し、キリカキの位置を探るのだ。それもハネの感覚を熟知したうえで成せる業なのだが。
山田は四枚目のハネをおおよそ探り当てていた。右に二回で数字は35。最後に左にいちど回してダイヤルの目盛を83にして、鍵を揺さぶり、確かめる。鍵穴の鍵が軽くなった。――四つのハネのキリカキが同じ位置に揃っている。あとはこの鍵を回してやれば、金庫の扉のかんぬきが引っ込み、この金庫は開錠する。
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