第一章 帝・皇寄宿学院

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「ハハハ、愛されてるじゃねぇの。気に食わねえな」 浅葱と宵の威嚇にネクタイを引いた掌を見つめながら、男は言った。項に食い込んだ爪の跡が赤く線を引く。其れが、どうしようもなく自暴自棄にさせて乱暴にポケットへ突っ込んだ。 「…京介」 「なんだよ、牡丹」 久しぶりに、呼ばれた、呼んだ、なまえ。 形容し難い感情の波が押し寄せてくる。耐えるようにステージを見た。ワインレッドの幕が下りた、静かな空間。天井の壁画がこんなにも美しく見えたのは、初めてだ。 「痛かった」 「…わりぃ。けど、俺、そんな力入れてねぇよ?」 「五月蝿い。罰として連れてって」 「はァ?俺に運べっていうのかよ」 「遅れた言い訳もして」 「…はいはい、仰せのままにお姫サマ」 僅かに狼狽える番犬どもを押し退けて引っ付きやすいよう身を屈めてやる。幼い頃から幾度となく繰り返してきた、抱っこの合図。 首の裏に腕を回したところで背中と膝の裏に腕を入れて持ち上げた。もう既に機嫌はすっかり直ったようで呑気に俺の頭を撫でながら脚を組む。 この感覚も、全く久しい。 「そぉいえば二人は幼馴染だったねぇ」 「なんだ、ただのじゃれ合いかよ…ビビらせんな」 …否、それは違う。 確かにあの時、少し過ぎた悪巫山戯をして、すぐさま後悔した。軽く引っ張った筈のネクタイに大袈裟な程反応して、怯える顔に感じた僅かな違和感。 見て見ぬ振りをした、と言わねば嘘になる。 只、怯え恐れるアイツのサマが、初めて見たアイツの顔が、どうしようもないほどオトコの加虐心を刺激して。 気がつけば殺気を向ける番犬が立ちはだかっていた。 無論言い訳をして済む話では無いと重々承知しているし、見逃されようとも思っていない。大変、不本意だがコイツの機嫌が治るまで忠犬役を演じてやろう。 …かつて、そうだった時のように。
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