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ガァン!と鈍い音を立てて煉瓦造りの壁に押し当てる。万が一がないように頭を庇って掌で衝撃を和らげてしまうのは、最早反射条件だ。
髪が乱れて瞠目する。
飼い犬の突然の反抗に、彼はあり得ないと音にならない声で小さく呟いた。見開かれた双眸の奥で、凶暴なツラの男が睨みを返す。
掴んだ肩は予想以上に、薄かった。
一瞬の間をおいて、男の顔が怒りに染まる。
「おまえッ!誰に乱暴していると…ッ!」
「乱暴?乱暴されるって思ってるのか?…ハッ、自意識過剰も甚だしいな」
「な、」
「安心しろよ、あんたの尻には興味ねェ。そのお綺麗な顔に傷つけてぇだけだからよ」
そう言って小さな顎を掴み上げる。片手に収まりきってしまったその顔は困惑と恐怖に震えていた。
常に人を見下した高慢な態度は鳴りを顰め、眉が八の字に寄せられる。
己の一挙手一投足にビク、と体を揺らすその様は、日頃の行いとかけ離れていてどうしようもなく興奮した。
思いっきり手を振り翳せば、殴る予備動作に彼は堪えるようキツく目を閉じる。
ギュッと寄せられた弱気な眉根。
震える指先と、滲んだ涙が頬をつたう。
「…興が冷めた」
急速に獰猛な熱が冷めてゆく。
驚く彼に、背中を向けた。
わかっていた筈だ。
この男は何処までも小賢しく、狡猾で、自分の身がカワイイ。プライドなんて、即刻捨てて自己保身に走る、正真正銘のクズヤロウ。
チィ、と大きく舌打ちする。
背後の男が肩を震わせたのが肌で分かった。
「牡丹」
「な、なに」
「…誰にも云うなよ」
殺気を込めて視線を送る。グッ、と屈辱を噛み締めた唇がこくんと頷くのを見届けて軍帽を深く被り直した。
傍に転がる傘を拾って三歩後ろに何事も無かったかのよう控える。先程とは打って変わって縮こまった背中を、じっくり嬲るのも悪くないと鋭い眼光が三日月を掻いた。
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