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時計塔広場で人々が優雅にダンスを楽しんでいる間、犬と女性は走り続けていた。
大通りや坂道を走って走って、いつの間にか犬と女性は、元いた市場の近くへ来ていた。
犬は、市場へと通じる小路に入った。
女性が小路を覗き込むと、犬は向こうの通りに出たところだった。
一瞬、犬が女性を振り返った。
が、すぐに通りの右側へと駆けていってしまう。
「待って!」
女性が小路を抜けて右へ曲がると、犬は大人しく座っていた。
背の高い細身の男性に頭を撫でられている。
「あ」
女性は男性の顔を見て、驚きと歓喜の声を上げた。
彼は彼女の恋人だった。
「お」
男性は女性に気づいて眉を上げた。
「探したよ」
男性は左手に女性の赤いマフラーを持ち、右手はコートのポケットへ入れ、女性に近づいた。
「これ、忘れてったろ」
そう言って、男性は右手を掲げた。
骨ばった指の間には、ストールピンが握られている。
「あっ」
「あわてんぼうさん」
照れ笑いをする女性に、男性は笑って言った。
女性は男性に抱きついた。
ふたりの足元で、犬がしっぽを振っている。
ふわり。
風が、沈丁花の甘い香りを運んできた。
「ん? いい匂いがする」
「ほんとね、春の花の香りだわ」
ゴーン、ゴーン。
時計塔の鐘が鳴った。
「まずい、仕事に行かないと」
「待って、朝食は? フルーツサンドが無事ならいいのだけれど」
女性は眉を下げながらフルーツサンドが入っている四角いかごバッグを開いた。
「あ」
「お」
二人は顔を見合せた。
フルーツサンドは、きちっと形を保っていた。
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