第一章(二)

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第一章(二)

 高校最後の夏休みを目前に控えたある日の放課後。私はとある商店街を歩いていた。  あれだけ活気に満ちていたはずなのに、いまでは人通りもほとんどない。かつての賑わいは、このまま遠い思い出になってしまうのだろうか?  そんなことを考えながら、近道をしようとメインストリートを外れ路地裏へ入った。  店の裏側にある小道は、商店街を営む人たちの生活道路になっているのだが、二匹の野良猫以外、ここでも誰一人として姿を見ることはなかった。  そんな小道を少し進むと公園がある。ブランコと滑り台だけの小さな公園だが、まったくと言っていいほど手入れがされてなく、雑草が伸び放題だった。  その公園を横切ったとき、視界の隅で何か動いたような気がしたので振り向くと……。 「は?」  思わず足が止まる。滑り台の横に一人の女の子がいたからだ。  いつから?  しかし一番気になるのは、少女は色鮮やかな振り袖姿だったということだ。  何かお祝い事でもあったのだろうか? でも一人? 暑くないの?  少女はおそらく十五、六歳ぐらいだろう。色白の小顔は、お姫様カットされた艶やかな黒髪によってコントラストをさらに強調している。そして切れ長の目とバランスのいい鼻と口。まるで日本人形の様な美少女だ。  そんな少女が、どういう訳か滑り台の陰から覗くように私を見ている。  もしかして迷子? 「どうかしたの?」  やさしく声をかけてみた、そのとき。 「え?」  少女の足が地面から浮いている。しかもそのまま、地表を滑るように近付いて来た。  そして思わず後退りした私の目の前で止まり、俯いたまま無言で私の手を取ったのだ。 「ちょ、ちょっと、何するの……よ?」  次の瞬間。辺りが暗闇に包まれた。目の前の少女以外は何も見えない。 「な、なに、これ……ひっ」  握られた少女の手に視線が向き、息が止まった。  その手が真っ赤に血塗られていたからだ。その滑り気と生暖かさ、そして錆びた鉄のような生臭さに全身が硬直する。  そんな少女が赤黒い影に包まれた。 「ちょっと、離して!」  手を振り解こうにも、思うように体が動かせない。そして赤黒い影が私を覆い始める。 「いや! 離してっ!」  次第に意識が薄らぎ、体から力が抜けていく。もう立っているのが精一杯だ。そんな私に、少女は顔を上げると息がかかるぐらいにまで寄せて囁いた、 「ようやく、見付けたぞ」  表情こそ無表情だが、その深黒の瞳は怒りを宿した冷酷なものだった。 「は、離してよ……」  すずめちゃん!  ぼんやりとだが、聞き覚えのある誰かの声がした。  同時に少女は、何かに弾かれたように手を離して後ずさった。そして鋭い目つきで周囲を見回してから、恨めしそうに言った。 「……邪魔が入りおった」  何が起きているのか分からない。しかし、それはどうでもよかった。早くここから離れないと。だが辺りを見回しても何も見えない暗闇。走り去りたくてもそれが出来ない。 「すずめちゃん、しっかりしなさい!」  今度はハッキリと聞こえた。途端、金縛りが解けたようで、全身に感覚が戻った。その拍子に危うく倒れそうになるが何とか踏み止まった。 「え? あれ?」  さっきまでと何も変わらない路地裏の公園前。振り袖姿の少女はどこにもいない。 「すずめちゃん、大丈夫?」  振り向いて声の主を見た。  緩いウェーブのかかった茶髪のロングヘアー。淡い水色のロングワンピースに白いカーディガンを羽織っている。知り合いの女子大生、摩耶薫さんだった。 「か、薫さん。大丈夫です。ちょっと引っ張られそうになっちゃいましたけれど。ありがとうございました」 「なんかヤバそうな感じだったわね」  動悸が激しくなる。今頃になって恐怖の感情が追い付いたようだ。 「はい。でも誰だったんだろう? 見た目はとっても綺麗な女の子だったのに……」 「え? あれって女の子だったの? 私には赤黒い影にしか見えなかったけれど」 「そうなんですか? 色鮮やかな振り袖を着た日本人形みたいな女の子でしたよ。なんか私、彼女にとても恨まれてたみたいで」 「心当たりは?」 「ありませんよ。そんな恨みを買うなんてこと」  しかしあの目は憎しみ以外のなにものでもなかった。 「ところで薫さんはどうしてここに?」 「ん? ああ。実は最近、この商店街で不思議な影を目撃したっていう投稿が寄せられたのよ。だからその調査」  そう言ってスマホを取り出し操作すると、ある画面を見せてくれた。  それは私がこれから向かう、都立科学文化大学の超神霊学研究室の公式ホームページだった。その掲示板に寄せられた投書の画面だ。 【○月×日 終電に乗り遅れないよう、F駅前の商店街を小走りしていたら、お店の看板の周りを赤黒い影が動いているのが見えた。怖くなって一気に駆け抜けた。電車に間に合ってセーフ。でもあれは何だったのでしょうか?】 【▽月□日 私も見ました。友人と二人で夜のF駅前の商店街を歩いていたら、気配を感じたので振り向くと、一瞬だけ赤黒い影が漂っているのが見えました。でも見たのは私だけで友人は何も見ていません。そのときは疲れていたのかなあ、と思っていましたが、他にも目撃した方がいたんですね。気になります】 【◇月△日 赤っぽい影、自分も見ました。F駅で降りて商店街を歩いて帰る途中、急に悪寒が走って。それで立ち止まり辺りを見たら、背後に赤っぽい影が一瞬だけ見えました。マジでやばいと思って、ダッシュして逃げた】 「赤黒い影……。私が見たのも赤黒い影でした。でも私、霊感ゼロだったのにハッキリと見えちゃった。これってやっぱりあの実験のせいですか?」 「まあ、確かにあの実験では、すずめちゃんの脳を使って演算処理をするけれど、副作用とかはないと思うんだけれどねぇ」  ない、と断言してくれないことに、苦笑いするしかない。 「あっ、そう言えば、涼真から急な案件だってメールがありましたけれど、何かあったんですか?」 「私も何も聞かされていないわ」 「そうですか」 「とりあえず、一緒に行きましょう」 「はい」  私たちは肩を並べて歩き出した。 「そう言えば、すずめちゃんは受験生よね? どこ受けるの?」 「え? ああ。はい。一応、科文大です……」  科文大とは都立科学文化大学のことだ。 「やっぱり。まあ、すずめちゃんの成績なら問題ないでしょうけれど……」 「なんですか?」 「いやさぁ。聖カトリーヌ女学院に通う松宮すずめ嬢が、そのまま大学に上がらずに、わざわざ科文大を受験するのって、やっぱりあの実験のせいでしょ? それですずめちゃんの人生を左右しちゃっていいのかなぁって思ってさ」 「それなら問題ありません。私の意思ですから」 「それならいいんだけれどさ」  そう言って心配してくれる薫さんに感謝した。 「でも受験生にとって大事な夏休みを目前に、こんなことしていて大丈夫?」 「それはそれで、ちゃんとやってますから」  私は胸を張って言い切った。こう見えても成績は上位なのだ。 「それならいいんだけれど……まあ、どうせ今から行くなら、さっきの事も教授に相談したら?」 「はい、そうします」  なぜ私が都立科学文化大学に向かっているのか。  それは私が、その大学の超神霊学研究室で行われているある実験の被験者だからだ。ちなみにその研究室で教授をしている早乙女涼真とは、親戚筋にあたる人物だ。  いまから3年前。私は青森で両親と暮らす普通の中学生だった。そんなある日、父親の仕事の都合で一家そろって上京することが決まった。それに合わせて、姉妹校である聖カトリーヌ学院へ編入することも決まり、父が都内に中古のマンションを購入。まさに新生活に向けて順調な日々を送っていたのだ。  しかしそんな矢先。突然の不幸が襲いかかった。両親が交通事故に遭い他界してしまったのだ。  一人残された私は施設に入るよう勧められたが、それは頑なに拒否した。理由はおそらく、ただの我がままだったと思う。住む所があるのに、何のつながりもない人たちと暮らすということに抵抗があったのだ。  しかしいくらなんでも、中学生の一人暮らしは物騒だ。そんな理由で、昔からよく顔を合わせていた親戚の早乙女涼真と同居することになったのだ。  その涼真だが、都立科学文化大学で教授をやっている。そして涼真の研究対象、それは〝霊障〟と呼ばれるものだった。  霊障とは、人が亡くなったときに生じる様々な感情の残留思念が引き起こす、環境磁場との共振現象のことらしい。  環境磁場とは自然環境のすべてを意味している。空気の温度や湿度、密度のほか、磁界や電界などなど、全ての項目の総称だ。  ただし、そうやって生じた霊障の全てが、必ずしも人の精神に影響を与えるという訳ではない。確率的にも、影響がない方が圧倒的多数を占めているらしい。しかし少ないとはいえ、悪影響を与える霊障があるのも事実だ。それが怨霊とか悪霊と呼ばれている。  そこで超神霊学研究室では、残留思念によって引き起こされる環境磁場の変化を、観測装置を使って測定することで、それによって引き起こされる共振現象、つまり霊障を科学的に分析しようという実験を行っていたのだ。  その実験に必要なシステムは〝マスパダス〟と呼ばれ、その使用者、つまり実験の被験者として、霊感ゼロにも拘らず最も適合していた人物が、私だったということだ。  去年の夏。  リビングのテーブルの上に、少し変わった形のゴーグルが置いてあった。それを新発売のゲーム機だと勘違いした私は勝手に装着。目の前に浮かび上がったスクリーンにタッチして、よく分からないまま適当に操作して遊んでいた。そこを帰宅した涼真が目撃。そしてこのシステム唯一の起動成功例となり、それ以来私はこの研究室の一員となったのだ。  ちなみに研究室にはあと2人いる。いま私の隣にいる摩耶薫さん。彼女は科文大の学生でプログラム系に強い人だ。そしてもう一人は、工学系に強い橋田凪さん。  そして涼真から口外しないよう強く言われているのだが、通常の捜査では迷宮入りしそうな殺人事件が起きると、警視庁捜査一課から正式な依頼を受け、被害者の残留思念が引き起こす霊障を科学的に解析して犯人像を割り出す。  そんな形で警察の捜査にも協力しているのだ。
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