第一章(六)

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第一章(六)

 何だ?  山道を進んでいた小野町は、微かな違和感を覚えた。近寄ってよく見るとそれは二本の木の柱だった。草木に紛れて、うっかり見過ごしてしまうところだったが間違いなくこれは人工物だ。  リュックを下ろして封書の中から地図を取り出す。  そして深呼吸して気分が高揚するのを抑える。間違いない。ここから山に入るようだ。再びリュックを背負うと小野町は山道を逸れ、木々の生い茂る斜面へ足を踏み入れた。  ほとんど足場のない斜面。小野町は進みながらも困惑した。本当にこの先なのか? 例えあったとしても既に誰も住んではいないだろう。  限界集落の末に廃村。そんな場所なのかもしれない。だとすれば、そこに歴史的な価値などあるのか?  しかし、それでも小野町は先へと進んだ。理由は父親が大切に保管していたあの写真があったからだ。  国内外を問わず、考古学の世界で知らない者は少ない。これまでに発表した数々の論文や著書は数か国で出版され、教育の現場でも教材として使われているほどなのだ。  そんな父親が大切に金庫で保管していたということは、何か理由があるはずだ。例え廃屋でも家屋の痕跡でも構わない。俺はそこから何かを見つけ出してやる。  そんな決意を胸に、木々や草が生い茂る道なき斜面をさらに奥へと分け入って行く。  予想以上の険しい斜面に阻まれながらも、数十分ほど登ったときだった。突然目の前が開けた。道だ。さらに、その先の光景に息を飲む。  それは茅葺き屋根の家屋が十数棟、中央の砂利道を挟むようにして規則正しく左右に別れて並んでいる。まぎれもなく集落だ。こんな所に、しかも健在だったとは。  感動と興奮、逸る気持ちを抑えながら小野町は集落に足を踏み入れた。  しかし進むにつれ、聞こえてくるのは砂利を踏む自分の足音だけだ。人の気配が全く感じられない。 「誰もいないのか……」  数十メートル先の行き当たりまで進んだ小野町は、来た道を振り返った。  そして無言のまま手頃な岩に腰かけると、煙草を取り出して火を点けた。そして深く吸い込んで吐いた。さっき程の興奮は消え失せている。  これまでいくつもの遺跡や廃墟、廃村といった場所へ赴いてきた。だから分かる。ここにはもう人はいないのだ。無人になってからあまり時間が経っていないようだが、とりあえず一軒一軒尋ねて回ろう。きっと何か発見があるに違いない。 「さてと……」  腰を上げ、最も近くにある家屋に向かおうとした足が止まる。  誰かに見られている?  そんな気がして、ふと背後を振り向いた。しかしそこは集落の行き止まり。木々の生い茂る雑木林しかない。  ところが次の瞬間、まるで何かに吸い寄せられるかのように、小野町はその雑木林に足を踏み入れた。そして分け入って進むとすぐに足を止め、再び目を見張った。  そこは少し開けた場所だった。そして巨木の前に建つ祠と神社があったのだ。 「この祠!」  急いでリュックを下ろして封筒から写真を取り出すと、立ち位置を変えながら目の前の祠と見比べる。そしてある所でピタリと足を止めた。 「ここだ!」  巫女装束の少女が写っている写真。そして祠とその背後にある巨木。このアングルで撮られた写真だと判明したのだ。  小野町はその祠に引き寄せられるように近付いた。しかしある物に気付くと、足を止めた。その視線は祠の下を見ている。  花だ。誰かが花を供えていたのだ。しかもまだ新しい。  ゆっくりと祠に近付く。中は空だ。手で触れ細部を観察した。何か文字が書かれているのを見つけた。 「寛文八年建立だと?」  と言うことは……1668年。4代将軍、家綱の時代だ。だが、そんな時代に造られた祠が現代に残っているわけがない。これは誰かの悪戯だ。  祠は背丈より少し高く、広さは畳一畳ほどだろう。祠としては大きい方だ。背後にある巨木は皂莢樹の木だった。その周りも、人の手が入っていることは間違いなかった。雑草が綺麗に刈り取られ、落ち葉も掃き取られている。誰かが管理をしているのだ。  しかし、さっぱり分からない。  寛文8年はあり得ないとしても、写真が撮られたのはおそらく戦前のはず。せいぜい今から八十年ほど前だ。それなのにあの集落といい、ここの祠や神社といい、令和の現代になってもこんなに良い保存状態で存続しているなんて。  ふと神社に視線を送ると足早に駆け寄った。  ここで何を祭っているんだ?  扁額を見ると、若宮神社という文字が辛うじて読み取れた。随分と古めかしい書体だ。扉には時代劇で見るような巨大な南京錠が掛けられている。中を覗こうにも扉は格子ではなく、丈夫な一枚板で建付けもしっかりしている。これでは強引に開くことは無理だ。  神社の周囲も確認した。祠と同様に雑草がきれいに刈り取られている。  いったい誰が管理しているんだ? さっきの集落に住人はいないはずだ。そしてここに来るまで人が行き来しているような道などなかった……いや、待てよ。  小野町は神社の周囲をさらによく見回した。そして背後の崖に近寄って下を覗き込んだとき、そこにも茅葺き屋根の小屋があるのを見つけた。  しかも、狭い庭らしき一角には、布きれのような物が干されている。  住人がいる!  鼓動が高鳴った。誰かがここに行き来をしているのではなかった。ここに住んで管理をしていたのだ。いったいどんな人物だ?  さらに辺りを念入りに調べた。  どうやったら崖下に降りられるんだ?  すると、膝丈ほどの草に埋もれた小道を見つけた。小道というより獣道に近いが、どうやらそこから下に降りることが出来そうだ。  小野町は足元に気を付けながゆっくりと降りた。 「やっぱり……」  それは集落にあった家屋よりも一回り小さく質素な小屋だった。申し訳程度だが庭もあり、手ぬぐいのような布きれが数枚干されている。  こんな場所にひっそりと暮らす人物。小野町は年老いた仙人を想像した。もし話が聞ければ、貴重な発見につながることは間違いないだろう。  戸口をノックしようとした、そのとき。背後に人の気配を感じ振り返った。そして、心臓が止まるほどの衝撃を受ける。  そこにいたのは、色鮮やかな振り袖を着た美しい一人の少女だった。  歳はおそらく十五、六。切れ長の美しい目に憂いを纏わせた瞳。しかしその顔は写真に映っていた巫女装束の少女と瓜二つだ。  そんな少女に小野町は一瞬で心を奪われた。 「あ、あ……」  言葉にならない声を出しながら、その場に立ち尽くす。  そんな小野町を見つめる少女の目が潤みだす。そして小野町に抱きつくと、上目使いで微笑みながら囁いた。 「ずっと、会いとうございました」  すると二人は赤黒い影に包まれ、姿を消した。
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