第一章(七)

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第一章(七)

 超神霊学研究室のソファー。  身体の震えが止まらない。薫さんに抱きついたまま無言で震えるしかできない。  そんな私を心配してくれた凪さんが、ハーブティを入れてくれた。 「ありがとうございます……」  呟くような声しかでない。震える手でカップを掴むと一口すすった。すると、震えが嘘のように止まった。ホッと大きなため息をつくが、すぐにまたあの場面を思い出し、寒気を覚えた。  あれは、あの青い影は、背の高い人などではなかった。あの木で首つり自殺をした人の姿がそのまま影となって現れていたのだ。 「ちょっとこれ読んでみろ」  涼真が一枚のプリントをローテーブルの上に置く。 【公園で男性が首つり自殺か】  そんな見出しで書かれた新聞のコピーだ。  今から半年ほど前のこと。朝の公園で散歩をしていた近所の住民が、あの木で首を吊った遺体を発見した。自殺したのは都内に住む四十代の男性で、妻と三人の小さな子を持つサラリーマンだったという。長引く不況に追い打ちをかけたコロナ騒動。そして会社をリストラされ自殺をした、ということらしい。 「マジですか……」 「つまり自殺した場所に今でも留まっていたってことだな」  そんな涼真の言葉に頷いた薫さんが言った。 「ここでさんざん迷った挙句に、家族との別れを惜しみながら命を絶ったのかもしれないわね。影も青色だった訳だし。そんな思いでずっと留まっているのね」 「そんな……。ん? もしかして涼真、知っていたの?」  視線を逸らした涼真を見て、恐怖が怒りへと変わった。 「ちょっと! 酷くない? これじゃあ実験台そのものじゃん」 「いやあ、悪かった、悪かった。本当にすまん。でも悪霊や怨霊の類じゃない訳だし、新しいシステムの試運転には丁度いいかもと思ってさ」  涼真は悪びれない表情であっさりと認めた。  怒りが収まらない私はその後も拗ね、高級スイーツをご馳走してくれるという言質を取り付け、何とか落ち着いた。 「それで本来だったらあのあと、キャプチャーモードで霊の動きを束縛して、その間にサーバーで作られた除霊コードを受け取り、除霊するんだよね?」 「そうだ。どのタイミングで次のステップに移行するかは状況次第だが、それはアーサーと相談しながら進めてくれればいいさ」  ファントムグラスを装着した。 「ということだから、よろしくね、アーサー」 《うん。状況次第ではすぐに除霊しなければならないケースもあると思うけれど、基本的にはケースバイケースだね》 「そうなんだ……」  AIなのに意外とアバウトな回答だ。  テーブルの上のコピー用紙に視線が戻る。  家族を残して自殺した男性。それは悩んだ末の選択だったのか、それとも発作的なものだったのか。いずれにしても、彼は今でもあの場所で悔い改めながら留まっている。  そんな彼の家族が今、何を思い何をしているのかは分からない。しかし、彼がいまだに留まっていることは知らないはずだ。  だったら。  私はゆっくりと立ち上がった。 「なんか吹っ切れたみたいだな」  涼真に言われ、ゆっくりと、しかし大きく頷いた。そして誰にともなく、 「もう一度、行ってくるね」  そう言って研究室を後にした。  すっかり日が落ちて、頼りない街灯だけが灯っている公園。  大きな池を囲うような遊歩道。さっきまで愛を囁きあっていたカップルたちは、もっと明るい灯りに引き寄せられたのだろう。そんな誰もいなくなった道を奥へと進み、雑木林の前に戻ってきた。  その中で一番大きな木。ふと根元に視線が向いてハッとなる。さっきは気付かなかったが、花が供えられていた。しかもまだ新しい。おそらく家族だろう。彼の死は今でも悔やまれているのだ。 「サーチ、オン」 《Searching》の文字がすぐに《Catch》に変わった。 「アナライズ、オン」  文字は《Analyze》から数秒で、青い《regret》に変わる。  自分でも驚くぐらい冷静に淡々と、呪文のようにコマンドを唱えた。  リアルな映像として現れた青い人影。後悔と懺悔を抱き、吊るされたままの霊障。 「さっきはごめんなさい。驚いたし、正直言って怖かったの。でも大丈夫。もうこんなところに縛られてないで。逝くべきところに送ってあげる。私が見届けるから」  呼吸を整える。 「行くよ、アーサー」 《了解!》 「キャプチャー、オン」  すると画面上に、鎖の巻き付いた髑髏のアイコンが現れた。 「は?」  想定外の展開に言葉を失う。 《すずめ。それが捕縛アプリだよ。対象となる霊障を捕縛して動けなくするために必要な電磁波を送信したのさ。その間に除霊に最も適したコードを作っているから》 「それは分かっているけれど……この髑髏って、誰の趣味よ?」 《それは……企業秘密》  聞くまでもない。嘆息すると、ピコンという音がした。画面には蓋のひらいた棺のアイコン。しかし棺といっても日本のそれではなく、ドラキュラが入るような西洋の棺だ。 「なんか緊張感が欠けるなぁ……」  ため息が出る。 《さあ、仕上げだよ》 「はい、はい」  気を引き締めて、締めくくりの言葉を口にした。 「エクソシズム、オン」  次の瞬間。棺の蓋が閉じ、目の前の青い人影は急速に形を失い消滅した。  しばらく立ち尽くす。これで終わったのだろうか? しかし訳の分からない感情が心に溢れてくる。これはなんだろう? 寂しさ? 切なさ?  でも、これで終わったのだ。後悔と懺悔に縛り付けられた霊障は、逝くべきところへ行ったのだから。画面に現れた《Complete》の文字。私はそれを信じることにした。
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