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消えた相方
アムはまるで敗者のようにうなだれてリングを後にし、檻から出た。ステップを下ると、蝶ネクタイの男が誰もいない客席に向かってもろ手を挙げて言い回った。
「勇気ある挑戦者に拍手を」
「あんたの白々しい称賛はいいよ。それよりも賞金はどこなんだ」
「ああ、忘れておりました」と、男は傍らの段ボール箱からTシャツを取り出し「はい賞品です。参加賞のTシャツをどうぞ」とアムに手渡した。Tシャツには幼体のアグーと、成竜になったアグーのかわいいイラストが描かれていた。
「何だって? おれは命がけで闘って勝ったんだ。それがこんなTシャツ1枚だなんてふざけるな」と、アムはそう言ってTシャツを床に投げ捨てた。
「さあ、ごまかさないで。ちゃんと賞金を払ってくれ」と憤慨して言った。
「困りましたな」と男は眉を八の字にし、困惑した表情をした。
「そもそもあなたは参加賞ももらえないのです。あなたは賭けから下りるといいましたからね。でも、それではかわいそうなので、私の一存であなたに参加賞をあげたのです」
「そ、そうは言ったさ」アムは一瞬言葉につまったが、すぐに言い返した。「でも、実際は闘っただろ。それに賭けから下りられないと言ったのはあんただ」
「言わせてもらいますが、あなたは闘いに負けました」
「何だって? あの竜を倒したのは誰だ」と、アムはリングで倒れている竜を指さした。
「先に、あなたは自分で負けだといいました」と男が目をつぶり、首を振って答えた。「もし、覚えておられないのなら、今からでもその音声を流しますが」
「覚えてるさ。だけど、あいつは襲ってきただろう」
「それも、あなたがアグーに自分を倒せと言ったからです。もし、覚えておられないのなら、今からでもその音声を流しますが。この一言がなければ、アグー君は命を落とし、修理工場に送られることはありませんでした」と男は瞑目した。
アムは言葉につまった。そしてあきらめた顔で「理屈っぽいやつだ」と呟いた。それから「そうだ。ポッシェは?」と辺りを見回した。
「ポッシェ様は、とっくに立ち去りました」
と、男は、あっ、とテレパシーで何かに気づいたような顔をした。それから言った。「今、ポッシェ様は外の自動支払機で賭けに勝ったお金の入金手続きをされました」
ボディに組み込まれた無線に情報が届いたのだろう。
「くそッ、逃げ足の速い女だ。今度あったらただじゃおかないからな」
「それは無理でしょう。警察庁が血眼になっても捕まえられないのですから、単純なあなたにはとても」
そこに会場の上の方からホステス風の花束を持った若い和服の女性が下りてきた。アムはその顔を見て、思わず、目をしばたたかせた。
「ラン?」
「ランって誰ですの。私はセシルと申します。勝者に花束を捧げに来たのです」
「いや、顔がランとそっくりだけど」と、アムはセシルの顔を凝視した。
いや、そもそも……とアムは気づいた。ランとセシルだけではない。紳士服の女店員の顔も、そっくりだ。彼女らは顔形が同じで、ただ服装と、髪型が違うだけだ。さらに、蝶ネクタイの男とレストランの男も顔が同じだということにも気がついた。接客用のロボットは男と女でみな顔も形も同じ量産型だった。
セシルはリングに上がると、喉に剣を立てられ絶命しているアグーの前に花束を掲げて立った。
「さあ、勝者にキスを」と男が言った。
セシルはソッと死んでいる竜の鼻先にキスをした。それから花束を渡そうと両手を伸ばした。しかし、竜はジッとしたまま動かなかった。セシルも花束が受け取られないのでリングでそのままジッとしていた。
と、竜の鼻先に止まってボウッと光っていた酒精が飛びあがった。酒精はリングの中を2、3周回ると、檻を出て、もとの台の上に戻った。アムは、その姿を見て、本物の妖精? と思った。しかし、酒精が台の上に止まると、催眠光が消えた。そして、電源が切られたようにカッチリと動きをとめた。
こいつもやっぱりロボットだったのか。
アムは光のせいで少し酔ったのを感じた。
了
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