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✤ side 多恵子(Last)✤
いい加減にしろよと、目くじらを立てる夫と喧嘩をして出てきた。
「夜になっても、絶対に帰らないんだから」
家事の一つも出来ないくせに。大輔と一緒にお腹を空かせていればいいんだわ。
子供じみていると判っていても、多恵子は家を飛び出していた。
いつもの地下鉄に乗り、大通まで出てみた。夏の賑わいを見せている大通公園。さっぽろテレビ塔前の噴水は憩いの場。観光客や子連れのファミリー、さらに散歩をする人々に合わせ鳩までもが集まっている。
高々と空いっぱいに煌めく水滴を見上げた。
噴水のベンチに一人で座る。軽い綿素材の白いブラウスが、風を吸い込んでふんわりと膨らんだ。頬杖、多恵子はふてくされ噴水の花を眺める。
『あの絵が、札幌から出て行ってしまうんだぞ。藤岡さんがギリギリまで置いているから見に来て欲しいって』
「いつから藤岡さんと親しくなったのよ」
つい最近まで、まったく知らなかった。
数日前になって、充が神妙な面持ちで帰ってきたかと思うと、彼が多恵子を諭すように言ったのが『雪子が札幌から出て行く』という言葉だった。最初はなんのことかさっぱり分からなかった。
その何も分かっていない妻の顔にも充は驚いていた。『自分が裸になった絵のタイトルも知らなかったのか』と。今度は多恵子が『なんでミチがそれを知っているのか』という質問に彼が口ごもり……。やっと聞き出せた今日までの彼の行動に、多恵子も驚くしかなかった。
いや。一度は妻が裸になった絵を見に行っただろう、ぐらいは予測していた。彼の心を痛めてまで、勝手に裸になったのだから。彼にはあの絵を誰よりも先に見る権利があると思った。だけれどそれもまだ雪があるうち、出来上がって直ぐのことだと思っていた。
それから充も何も言わないから、多恵子もそれで見終わって作品は受け入れてもらえたものと思っていたのだ。
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