【一】私と年増女

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【一】私と年増女

「ほう。そなたは棕櫚(しゅろ)と申すか」 「はい。口馴染みが悪うございますゆえ、等と呼ばれております」 「勿体ない。いと高き方に与えられた名、大事になさい。棕櫚」  そう言って微笑んだ、あの輝かしい御顔。  あんな美しい人、います?  パアッと後光が射して、ほわっといい香りがしたというものよ。 「まったくねえ。〈洗礼〉なんてものを受けてから、すっかりお優しくなっちゃって。味土野にいらっしゃった頃の秀林院(しゅうりんいん)様は、それはもう気性が荒くて、凄かったのよ? 美人だから、笑ってないとだいたい恐いし。それがいつも怒ってるんだから、四六時中般若の世話よ。疲れたわ」 「いいなぁ、霜姐」 「よくないわよ。ただでさえ気性の荒い奥方のところに、もっと気性の荒い夫が目を血走らせて突っ込んでくるの。そうすると、どうなるかわかる? 血を見るのよ」 「燃える……!」 「燃えません。謀反人の娘とは言え、山奥に幽閉された奥方の見張り。なんか平和に過ごそぅ~と思ったのに、はぁ……血みどろの夫婦喧嘩を何年も傍で見て巻き込まれて御覧なさい。うんざりするから」  私は上杉軍軒猿、女忍衆が一人、棕櫚。  それでこの胸と尻が肉厚な年増女は、先達の女忍、(しも)。    上杉家への忠義を尽くし、私たちは細川忠興(ほそかわ ただおき)の正室である秀林院様の侍女として、細川の屋敷に潜伏している。つまり聞者役だ。  私がこの世に生を受けた頃、秀林院様の父親・明智光秀が謀反を起こしてくれたおかげで、織田勢の猛攻によってまさに風前の灯火だった上杉家は滅亡を免れた。と、聞いている。  たぶん二親は戦乱の世がために死んだのだろうけど、孤児だった私は軒猿に拾われ、こうして元気に生きてきた。  光秀本人にその気はなくとも、秀林院様は謂わば恩人(景勝様)の恩人、の愛娘。  もうそれだけで、なんか好き。 「まあ、あんたは娘みたいな年だから。せいぜい可愛がってもらいなさいな」  そんな事を言う霜だって、秀林院様が好きなくせに。   「だけど〈でうす様〉には気をつけて。忠興様に鼻を削がれるわよ」 「その話、本当なの?」 「嘘ついてもしょうがないでしょう」  織田信長の亡き後、天下人となった豊臣秀吉が出した伴天連追放令。  そんなのはなんのそので切支丹になった、摩訶不思議な秀林院様である。伴天連の教えを信奉し、異国の神〈でうす様〉を崇め、謀反人の娘から更に邪教の徒へ。どこまでも背負う稀有な御人だ。  影響を受けた侍女が何人も〈洗礼〉なるものを受け、切支丹になっていた。    で、怒った忠興様が棄教を迫り、脅し、ついには侍女の鼻を削いだという話。 「物騒だなぁ」 「物騒よ。そもそも忠興様が伴天連教を教えたのに、とんだとばっちりだわ」 「忠興様って、ちょっと病んでるよね」 「ちょっとどころじゃないわよ。『棄教しないなら俺は5人側室を持つ』なんて脅して、『まずはこの巨乳の霜から』とか言ってその場で迫ってきたんだから」  現在、秀林院様と霜は微妙である。  だから娘みたいな年の私が聞者役として補充された。ふたりの姫の間くらいの年である私には、忠興様も、手は出せまいという事で。 「『お好きになさいませ』って言ってた」 「秀林院様、お強い!」 「他が血を見る夫婦喧嘩よ。ぜひお好きになさらないでほしいわ」  長く侍女を務めた分、苦労が多かったのだろう。心中察するに余りある。  でも羨ましい。 「まあ、頑張りなさい」  ぽん、と肩を叩かれた。  内輪話はおしまい。  秀林院様の侍女として、日夜、働く私たちである。
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