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【三】数多の星
草木も眠る丑三つ時。
探してみると、霜姐は屋根で空を見あげていた。
「ここで夜風に吹かれていると、自分が誰か思い出せる」
とか、真面目な顔して言った夜は笑わせてもらった。
感傷的なのは年増の証だ。
「やだ、真に受けるんじゃないわよ。文を待ってるの」
「梟? 鷹?」
「雀だって鴎だってやるときはやるわよ」
「雉と鶴は?」
「雉は煮て食べたわ。鶴は、足が長すぎて邪魔よ。目立つしね」
霜姐は鳥類と相性がいい。
私は狸や鼠のほうが、意思疎通できる。
そんな事は置いといて。
「あ、霜姐」
「ちょっと、またあんたなの? 物思いに耽る暇もなくなっちゃったわね」
「秀林院様に仕えていて平田家に嫁いだ小侍従ってどういう人だったの?」
隣に腰を下ろす。
霜姐は目玉を上に向けて回想し、言った。
「いい人だった」
「……それだけ?」
「ええ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ふぅん」
妬くまでもなかったみたい。
今この屋敷で傍にいる私が、今もこれからも信頼されればそれでいい。
「ご執心ね」
「だぁって! あんなに美しくて優しくて、頭がよくて──」
「はいはい。何度も言わないでよ。耳にできたタコが膿みそう」
「え? 霜姐、大丈夫? 明日、明るいところで見てあげようか?」
「言葉のあやよ。阿保ね」
「……秀林院様は私を馬鹿にしない」
「あっそう」
「ねえ、霜姐」
「ん?」
「もしでうす様が本当にいるならさ、なんで戦なんかがあるんだろう」
「ふん。そういう事は、秀林院様に聞いたら? 喜ぶから」
鼻にかかる声で霜姐が腰をあげた。
というか、大きなおしりをもちあげた。不機嫌だ。
今夜は本当に、私がお邪魔だったみたい。
「おやすみ」
姿を消す前にと思って声をかけると、霜姐がくるりとふり向いてしゃがんだ。そして私の頭を両手で挟み、額がくっつくほど近くに顔を寄せて、間近で目を覗き込んで来た。
「あまりあの女に入れ込むな。己の使命を忘れてはならぬ」
「……」
近い。
「皴が目立つ」
「……チッ」
「!」
やだ! 年増女の目から殺意が!!
こわッ!!
「ごめん! きれいだよ、霜姐ッ」
「言ってんじゃないわよ、ジャリが」
というわけで、霜姐は激高したままシュッと姿を消した。
「……」
ああ、恐かった。
明くる日、私は秀林院様に尋ねた。
秀林院様は庭を眺めつつ和歌を詠んでいたけれど、短冊と筆を置いて、揃えた膝ごと私のほうを向いてくれた。
「棕櫚や。なぜ、でうす様は戦をされないはずだと思った?」
ああ!
今日も美しい!!
「人がたくさん死ぬからです」
「それだけか?」
どうして年下の霜姐より輝いていらっしゃるんだろう♪
ってか、どうして年下の霜姐のほうが、草臥れてるんだろう……
でうす様は、どうして人を見棄てるんだろう。
「んー……死ぬにしてもやけに苦しむし、親が子を喪い、子が親を失い、とにかく悲惨です。人を愛しておられるなら、なぜ苦しめるのですか? 人は塵のように殺されます」
「うむ。そうか」
秀林院様は優しく微笑んだ。
見つめられて、うっとり。
むしろっ、もうっ、秀林院様が神です……ッ!
「あれを見よ」
秀林院様の目が庭の砂利へ流れた。
私も庭を見た。
「空を見よ」
言われるままに、目線をあげる。
「よく晴れています」
「ああ。夜は数多の星が瞬く。棕櫚や、でうす様は星も塵も愛しておられるのじゃ。星を塵に、塵を星に変える力もお持ちであるが」
「……」
「もし星を操れたとしたら、輝きに我らの胸は弾まぬだろう」
少しわかる。
秀林院様が、私からお願いしなくてもご自分の意志で微笑んでくださるから、私はこんなに嬉しい。
「愛しておられるから、天にも地にも、でうす様は自由を与えられた。戦は人が起こすもの。我らは皆、罪人なのじゃ。そしてでうす様は、罪人を愛し救ってくださる」
わからない。
でも、わからない事を仰る秀林院様は、ますます美しい。
「魔王も救うのですか?」
罪人と言えば第六天魔王・信長だ。
「……信長様は、神を畏れぬ御方」
「だから、御父上は──」
慌てて口を噤む。
言っていい事と悪い事がある。
「申し訳ございません」
素直に這い蹲って額を擦り付けて謝った。
衣擦れの音がして、秀林院様の指が、肩に触れる。
「棕櫚や。ガラシャは絶えず祈る道を与えられた。この世の罪人共を赦し、救ってくださるのは、でうす様ただ御一人じゃ。父も、夫も、このガラシャも──信長様も、そなたも。でうす様は分け隔てなく愛しておられる。だから顔をお上げ」
そろそろと顔をあげると、秀林院様が祈り始めた。
指を組み、目を閉じ祈るその姿は、さっきまでよりまたずっと美しかった。
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