ネコの気持ちはわかるまい

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 昨今の若者、新入社員は電話を恐れる。そんな定説から新しい○○ハラも生まれている――なんてのは、俺に限って言えばあたらない話である。  そういう意味ではこの『お客様相談窓口コールセンター』配属もそれほどのダメージにはならず、もし会社が面倒な新人を自分から辞めていくように仕向けたつもりなら残念でした、というところ。  ここで通用するかはまだわからないが、割合バラエティに富んだバイトをこなしてきた都合電話の経験値だけは受ける方もかける方もそれなりだと思う。 「――って感じで、無理そうだったらヘルプを出してね」 「はい、わかりました」 「電話だったら、私も女性でも大丈夫ですから」 「ありがとうございます」  そういうものなのか……覚えておこう。  なんとなくの憶測でしかないけど、宮代さんの女性恐怖症は社内の人間関係きっかけなんじゃないかなという気がしている。更に俺と同じく『セクハラ絶対安全圏』として、恐らくは左遷のような形で実質女の園に放り込まれた――会社に対しては絶望が深まる一方だ。  好みだ、抱かれたいなどという俺のエゴは置いておいても、できるだけ宮代さんが楽になれるよう役に立ちたい。会社を共通仮想敵に設定して共に苦難を乗り切る仲間になれるように。これは結構アガるガソリンになり得るな、と少し準備の手も弾む。  ばしっ、と肩を叩かれる。見ると那須さんが口パクで「崎谷ァ、お前の」と促していた。マニュアルはいつでも確認できるように、録音の準備も完了。  初仕事を、こなしてみせられればいいんだけど。   「ハァ……ハァ……なんかしゃべってよ……  発射10秒前……9……8……」    で、いきなり初手からこういうのドローするか!?  この会話は、録音されてるんですけど!?  あからさまな喘ぎ声、何やらねちゃねちゃした音。製品について質問や相談、であろうはずもない。   「ご用件を、承ります。如何なさいましたか?」 「あ? なんだ、男か」  これはもうまともな会話は成立しなそうだな、と思うものの、ガチャ切りをこちらから出来る訳もなくマニュアル通りの挨拶を口にする。考えようによってはまわりの女性の皆さんがこの通話を回避できたことでまずひとつ役に立った、のかもしれない。   「男じゃしょうがねぇだろうがよ~……  いるんだろ、若いねえちゃん。  耳元でしゃべってもらわねえとイけねえよ~」  酔っ払っているのだろうか、妙に語尾がのびるだみ声に忙しない呼吸が混じる。  親しくなった男性との間でご要望があれば音声を介した性的な遊びもやぶさかではないが、それはあくまで双方同意の上でのこと。ましてこんなTPOも弁えない一方的なやり方は気持ち悪いばかりだ。   「僕でご用向きが足りなければわかる者に代わりますので。  まずご用件をお聞かせください」    少し苛立った口調になってしまっただろうか。懸念がよぎった瞬間、ヘッドセットをかけた左耳に大音量が響いた。たぶん、何かを蹴倒した、投げつけた破壊音――今はまだ、物に対しての。   「うるっせぇ、ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!  女出せってんだよ!!」  怒鳴りながら、回線越しに次々に何か壊れているような音が響いている。  これは、直接俺を痛めつける音じゃない。上手くさばいて、早く終わらせなきゃ。   「……っ、女性でなければならないご用件と判断しましたら、  お電話を引継ぎますので」 「判断だァ?  てめえ何様だコラァ!!」  違う、俺が何かしてしまったからじゃない。この怒鳴り声は、俺を責めてるんじゃない。  ――この後の、殴る蹴るに耐えなきゃ、逃げたら余計に痛めつけられて――   「崎谷くん」  大きな手をそっと重ねて、背中に柔らかな体温。右耳に名前を呼ぶ小声を吹き込まれる。 「おれが代わる、ごめんね、大丈夫?」  二、三の操作をして自席に戻り、通話を開始した宮代さんの背中を呆然と眺めながら固く握っていた拳を開く。そんなに長い時間ではなかったはずなのに、くっきりと赤く食い込んだ爪の跡が残る手のひらはまだ震えていた。
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