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「っあ~……
なんかもう、昼も夜もおれと一緒でごめんねぇ……」
「いや、あの、嬉しいんですけど大丈夫ですか……?」
嬉しいとか、言わない方がいいんだろうけど。
こんなにべろんべろんならまあいいか――考えることを放棄するくらいに目の前の宮代さんは酔っ払っている。
慌ただしく退勤処理をし、社外を出たところでひどく深刻な顔をした宮代さんに夕飯を誘われたのだ。
「他人の噂話で伝わるよりはおれから説明したいと思うけど……
無理にとは」
「聞かせてほしいです!」
食い気味に答えた俺に目を瞠った後、宮代さんはまた少し悲しそうに「じゃあ本当に一応になっちゃうけど、歓迎会だね」と笑い、昼休みと同じ居酒屋に落ち着いたのが30分ほど前。
その時点、最初から酒が入る前提ではなかったかもしれないが、内容を思うと酒でも入らないと、というのも無理のない話ではあった。
「人事部長はおれのこと、何処までしゃべってたかな」
「ええ……と、その……」
「ああ、ごめん、言いづらいよね。
……崎谷くんは、お酒はどう?」
どう、と言うのは、どう答えるところなんだろうか。
何か飲んだら? とすすめてくれているのか、アルコール耐性の程を聞かれているのか、ド平日の明日は入社2日目という夜だと思えば何にせよそれほど過ごす訳にもいかない。
「好き……ですけど、まあ明日もあるのでウーロン茶で……」
「そっかぁ、
おれはね、ちょっと飲ませてもらっちゃいます」
店に入ってから、宮代さんの口調が少しゆるくてかわいい。
多大なるストレスの挙句ってことだろうからあまり浮かれるのも申し訳ないんだけど、一人称が「おれ」になっているのも、語尾にやわらかく「ね」と付くのもどきどきしてしまう。
俺には、既にある程度気を許してくれていると思っていいんだろうか。
「お待たせしました、カルーアミルクとウーロン茶です」
「あ、カルーアミルクおれです」
恥ずかしいけど、ビール苦手でね。
言いながら照れ笑い、軽くグラスを合わせてくる宮代さんは一体俺をどうしたいのか。勿論何の気なしの軽い親しみでしかないことはわかっている。弁えている。だけど既によこしまな眼を向けてしまっている俺には過ぎたるご褒美、思わずウーロン茶を飲み干してしまった。
「はあ……ええと、それじゃね、
なんでおれが女性と話すのも無理になっちゃったのか、から話そうか」
カルーアミルクで喉を湿してちらりと唇を舐める。キスで普段は絶対に頼まないような甘い酒の味を共有出来たら――妄想に沈みそうになる意識を強いて留める。
「あの、辛いようならいいですよ……
事情がどうあれお役に立てれば」
「いやー……崎谷くんには聞いてほしい……んだと思うんだ」
たぶん、同情して、かわいそうだって思われたい。
新卒のペーペーの、出会ってから24時間経っていない年下の男に対してこうまで率直なのは、それほど弱っているからなのか俺の気持ちを見透かしているからなのか。当然前者だろうことは想像に難くない。
ない、が……隣に移動して抱きついて、俺の胸で思い切り愚痴と弱音を吐いてもらって一向に構わない、というかそっちでお願いできれば有難い訳だが高望みはせず神妙な顔で頷きのみを返しておく。
「同僚だった、好きだって、結婚したいって言ってくれた女が
我が社の御曹司とオメデタ婚してね」
「え……っ、と?
乗り換えられてショックだった、んですか?」
「んん、乗り換えだったらまだよかったんだけど……
産休のタイミングからすると並行期間がそこそこあって」
「へいこう、きかん」
「おれは、ちゃんと結婚する前にしたがるなんて不誠実だって言われてた」
宮代さん、したがるんだあ……。
大変、本当に申し訳ないことながら、その部分に注意が集中してしまう。どうせ絶対に自分には向かない好みの男性の性欲状況を妄想の糧にするくらい許されたい。元カノの二股女はとんでもなくもったいないことをしたものだ。要らないなら俺にくれればいいのに。
「身体が大きいから怖いって……
背が高くてかっこいい、って最初は言ってくれてたんだけどなぁ……」
「背が高くてかっこいいですよ!!!」
同情とかかわいそうとかなんかじゃなく、魂の叫びとして伝えたい。俺なら、宮代さんが欲を向けてくれるならどんなに雑に扱われても喜んでしまうだろう。そもそも身体が大きいところがまずタイプだったのだ。
だけど相手を尊重すればこそ拒まれたらそれ以上押せなかったんだろうなということも、今日一日一緒に過ごしただけでも推測できる。
「失礼しまーす、焼うどんとほっけ、唐揚げでーす」
「あ、スクリュードライバーピッチャーでお願いします。
崎谷くんは?」
「俺は、ウーロン茶で」
一人で飲むのにピッチャーで頼む人を初めて見た。店員さんも若干引きぎみで「グラスお持ちしておきましょうか?」と聞いてくれる。
この様子だと、俺は素面をキープしたほうがよさそうだ、と「大丈夫です」と答え、宮代さんに向き直る。
「宮代さん、とりあえずご飯入れましょう。
すきっ腹に飲んだら悪酔いしちゃいます」
「崎谷くんは、やさしいねぇ……」
やさしくしていたら、好きになってくれればいいのに。
好きになって、手を出してくれたらいいのに。
女だというだけでこの人に求められて、こんなに深く傷つけて捨てていく――俺なら、捨てられる側にしかなり得ないのに。
「それでね、未来の社長夫人の元カレをどう扱ったものか、
になったんだろうねぇ……コールセンターに異動になってですね」
「もう弊社だからいいか、マジクソですね会社」
「それな。って崎谷くんぐらいの若い人は言うんだよね」
「俺はあんまり言わないです」
「あはは、そっか~……」
宮代さんの手元のグラスは空いていて、本当はもう少し食べてからにしてほしいけど次を注ぐ。
「そうしたら、でかくてキモイみたいなことを女性社員から言われるようになって」
「異動前はそんなことなかったんですか?」
「自分で言うのも何だけどおれ割とモテてたと思うんだ、
彼女いてもいいから付き合って、とか言われたりもあった」
でも、モテてたのはデキる風の、会社での出世レースの位置でしかなかったんだよね。
うつむいて、ほっけをつつき回しながら語るその声音は湿っている、ような気がする。先を促して話を聞くのがいいのかどうか迷うところだけど、少なくともほっけの骨は俺がとっておいた方がいいか。取り分けたものの手を付けていなかった唐揚げと交換し手振りですすめてみる。
「確かに、女性が怖くなっても仕方ないかもですね」
「女性、全体に広げて認識しちゃうのはほんとにダメなことだとわかってる、んだけど……」
「精神的な、自分ではどうしようもないところじゃないですか」
「産業医の先生もそう言ってくれたんだ。
でもおれが勃たなくなったかも、って相談したの会社に報告してて」
「はぁ!?
え、産業医ってそういうものですか?」
「よそは知らないけどうちではそうだったみたいだね。
で、まあ会社中がおれの下半身事情を把握してる事態ってのがダメ押しで、
うちの部署のみなさんには本当に申し訳ないんだけど女性全般に怯えることになっちゃった」
「ちなみに、もしかして産業医の先生も……」
「女性です。
社長夫人予定のあの女とは仲が良かったみたい」
胸糞悪すぎる話にもはやどんな顔をしたらいいのかわからない。
俺なんかが、こんな目に遭って辛いこの人に何か役に立てるんだろうか。
アルコールは一滴も口にしていないのに、俺の口は勝手に回っていた。
「人事部長とおんなじこと言うの嫌ですけど、
男を試してみる、ってのはどうですか」
「……え?」
ほぼ空のグラスを取り上げ、遠ざける。爪から浮き出た骨を辿り、手首まで撫で上げて指を回して持ち上げて、宮代さんの手越し、過去受けがよかった実感がある笑い方を思い出しなぞる。
明確に、誘うつもりの目を向けた。俺を、都合よく使ってくれたらいいのに。祈るような気持ちで、物慣れた風を装って目を合わせたまま指先にキスをする。
「俺は、男が何処をどうされたらイイのか結構詳しいですけど」
「え、ええ? 試す、って、崎谷くん、と?」
「女性より頑丈だし、多少の痛いことには慣れてます。
後腐れもないですよ?」
何かを期待したり、要求したりしない。
「だめだよ、そんなこと」
だめ、か……まあそうだろう。あとは上手く冗談だった、という体で、時に際どい話題も織り交ぜながら気安く話せる相手になるルートに入れればいいけれど、もう気持ち悪がられてしまうだろうか。
「おれが同情されたいなんて言ったから?」
大きな両手で、反対に手を包み返される。酔いの残る顔色の中、水気のある目玉はしっかりと俺を見ている。怒りに触れてしまったのだろうか。不遜な身の程知らずと思われただろうか。目を逸らして謝ろう、そう思うのに囚われたように見つめた視線を動かすことが出来ない。
「男、全体じゃなくて――
君の好きな人、君のことが好きな人とすることでしょう」
ね? と説得するように、首をかしげてやんわりと窘められる。その顔に、声に、こんなに顔が熱くなるのが好きという気持ちじゃなきゃ何なんだ。
「俺はもう、あなたのことが好きなんだ」
「崎谷くん……」
「あなたが俺を好きじゃなくてもいいんです。
こんな話をきかせてくれるくらいには信用があるなら、
俺の身体も、なんだって使ってもらえるほうが嬉しい」
「そんな、おれだって崎谷くんのこと好きだよ!
か、身体がどうのってのは……持ち帰って検討だけど」
「えっ、検討の余地アリなんですか!? 気持ち悪いとかは!?」
「気持ち悪い……と感じるほど具体的に想像できない、かな……
崎谷くんにエロ要素ってのがまだ……」
「そんなこと言われたの初めてですよ!」
一体宮代さんには俺がどんなふうに見えているんだろう。
でもまあどうあれ、好きだと思ってくれているのは嬉しい。そういう意味じゃないとわかっていてもやっぱり嬉しい。
「宮代さん、エロいことしたくなったら言ってくださいね。
俺がんばりますよ」
「う、う~ん……?
ありがとう、って言えばいいのか……?」
戸惑いながら干したグラスに間髪を入れず注ぎ足して、改めて乾杯の動作。
ネコの手よりももう少し役に立つ、あなたを裏切らない忠犬になりたい。
そんな気持ちを込めて出来る限りきれいに微笑んだつもりの顔を向けると、宮代さんは少しむせ、赤みが上乗せになった顔で「……今後ともよろしく」とつぶやいた。
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