チャイムの音

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莉子の体調は日に日に良くなり、退院日が決まった。もういつでも自宅に帰れるくらいの体調になれたと自分でも思う。自力で歩けるようになった頃、莉子は病室を抜け出すとデイルームへ向かった。そこでは患者との面会で談話をしている人達や、自動販売機で飲み物を買ってゆっくり外の景色を眺めながら休憩している人もいた。莉子は少し人気のない場所に移動し、設けられたソファー型の椅子に座ってある人に電話をかけた。 「もしもし、神谷くん?」 相手はすぐに電話に出てくれた。返事をしてくれるかどうかは分からなかった。でも話を続けた。 「転校するって聞いた」 質問をしても答えてくれないならと勝手に話を続けようと莉子は喋り続ける。 「私はあなたと会わなかったらずっと事件のことを知らないままだった。いつかは向き合わなければならないことだった。知れてよかったって思う」 だから感謝しているとは、言わないけど。その一言を付け加えずに、心の中で思う。 『当たり前のことを言うかもしれないけど』 しばらくの間沈黙が続いたが、意外にも早く神谷から返事が来た。 『清宮から話を聞いても事件を最後まで追求しても、兄が人を殺した事実は何も変わらなかった』 うん、と小さく返事をする。当たり前じゃないよ、気づいたんだよ、私たち。結局はすべての事実は何も変わらなかった。ただ事件に対しての自分達の向き合い方が変わっただけなんだ。 『家族ってことも変わらないんだよ。犯罪者になろうが、どれだけ距離を置こうが、家族って事実は絶対変わらないんだよ』 うん、と莉子は頷く。 『だから、もっと事件のことじゃなくて、兄貴のことを考えればよかった。兄貴がなぜそんなふうに行動したのか。家族の中でどんな存在だったか。もっと俺たち家族が出来ることはなかったのか。もっと兄貴の為に考えれば良かったとか…悩めば悩むほど、疲れたよ。だから…もうこの事件には関わらない。君にも関わらないようにする』 さようなら、そう言い捨てて電話を切った。もう関わることはない。あとはそれぞれの道だ。途中で交わってしまったが、これからは別々に進んでいく。下がることはない。前へ前へと。 神谷の兄が罪を償えるよか、加害者家族がどのような道に行くのかは分からない。だけど神谷の兄を救うことが出来るのは神谷の家族だけだ。 そのことに、神谷も何となく気づいているような気がした。 もしかしたら莉子も、考え方が違う方向に向かっていたら神谷のように誰かを恨み、妬み、忘れられない痛みを誰かにぶつけるようなことをしたかもしれない。 そうならなかったのは、廉に出会えたから。 その出会いですべてが変わった気がする。本気でそう思う。 そしてきっと、これからは神谷と出会うことはないだろう。 ※ ※ ※ 退院日の前日、看護師さんから聞いたのは花火のことだった。 「季節外れの花火大会、今日だね。」 胸が高鳴った。いつのまにか今日の日を迎えた。廉と約束していた花火大会が今日行われる。 「この部屋からね、見えるのよ。あそこの山の麓の方。絶景の場所ね」 看護師さんは慣れたような手つきで点滴の針を抜きながら言う。莉子は顔だけを横に向けて外を見た。 まさか、この部屋から花火が観れるとは思わなかった。 莉子にとって空に咲く花火を見るのはいつぶりだろう。3年前の事件の日、父を失った花火大会以来だった。廉と花火を見るということを叶えられず、この部屋で一人で見ることになる。夜道を歩なことが怖い莉子にとっては、特別席だった。だけど、隣に廉がいたらもっと最高だったのに、とも思う。 夕暮れ時になり、その時間帯から莉子は外を眺め続けた。変わっていく空の色を眺めながら時は過ぎていく。街の姿も昼と夜ではまた違った。この空の下で、きっと皆が待ち構えている花火はもうすぐ上がる。 完全な夜。しばらく窓の外の景色をながめていると一筋の光が上がり、大きな花火が音と共に空に広がった。一つ一つの炎が合わさって暗い空に華が広がる。暗闇に映えた色鮮やかな光。見たかった、一緒にあの人と見たかった。 夜空の下で、人それぞれが色々な想いを持って見上げているのだろうか。 先輩は?どうしてる?莉子はふと携帯を見た。きっと電話をかけても声は聞こえない。自分の声が届いているかも分からない。だけど自分は喋ることが出来る。声に出すことはできる。部屋の中まで聞こえる花火の音が連続して聴こえてくる中、ゆっくりと携帯に手を伸ばした。 今伝えたいことがある。メールは何を言っても嘘みたいになる。それなら電話で。廉の名前を探して繋いだ。 繋がれ。お願いだから。 莉子は目を閉じて額に携帯を当てる。 機械音が止まる。胸の音が跳ね上がる。静かに耳を澄ませると、携帯から花火の上がる音が聞こえてくる。今目の前で上がる花火とは別の音。少し遅れて響く。 繋がった。先輩に繋がった。莉子は目に涙が滲む。花火の景色が見える余裕がないほど。 「先輩、お久しぶりです」 声が震えてしまっていた。花火の音が聞こえているなら繋がっているはずだ。 「先輩、聞こえてますか?」 返事がなくてもいい。声を届けることができるならそれでよかった。期待はしてなかった。だけど、次の瞬間。花火とは違う音が聞こえてきた。 ーーートントン。指で軽く当たるような音。携帯を当てる音だろうか。それが聞こえてきて胸が躍った。 「先輩のところからも花火が見えてますか?」 ーーートントン。また聞こえてくる音。まるで返事をしてくれているような合図だった。 廉は答えてくれていた。それが莉子にちゃんと伝わった。まるで会話をしている。 「先輩、私、この前。少しだけ、夜道が歩けるようになりましたよ」 ーーートントン。 「また先輩と、一緒に帰ったり、一緒に花火を見たいです」 ーーートントン。 「先輩。」 ーーー『またいつか、会いましょう』 ーーートントン。そして会話が終わった。携帯の電話を切り、また窓の外を覗くと花火大会はもう終わっていた。煙が余韻を残すように舞い上がり、夜空へと吸い込まれるように消えていった。 溢れ出る涙も溜まっていた。 もう今日から、ただ一人きりの暗い夜は、来ない。ただひたすら、夜明けを目指しながら歩いて行こう。
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