チャイムの音

6/8

28人が本棚に入れています
本棚に追加
/49ページ
※ ※ ※ 莉子が退院して数ヶ月ほどの日付が経った。 退院してから、しばらくは家で自宅療養をし、それから学校生活に復帰した。もうその頃には寒い冬の季節。学校生活で廉の姿を見ることはなくなった。そのまま3年生の卒業シーズンを迎えた。最後まで莉子達は会うことが出来なかった。お互い連絡を取り合うこともない。学校ですれ違うとしても、携帯電話という機械で繋がれたとしても、軽い気持ちで会話をしたくなかった。お互いがきっと、同じ気持ちだった。 そして母との生活もまた再び始まった。以前の生活と比べて変わったことと言えば、朝食を一緒に食べるようになったこと。それだけでも父がいなくなってから初めて2人きりの生活が新しくスタートした気分だ。家事の担当分けも決めずにお互い気づいた方が動く。時々言い合いはあるけど隠し事はなし。各々自分がしたいことをする時間は会話が全くない時もあるけど、それはそれで居心地が良かった。 最近は朝、母がお気に入りのハーブティーを2人分淹れてくれて飲むのが日課になっている。一口飲んで母はため息混じりに言った。 「これから仲良くしましょうね」 急にそんなことを言われて思わず笑ってしまう。 「いきなりどうしたの」 「やっぱり仲が良い方が家の中も楽しいじゃない」 「その通りだけど」 そんなことを想っていても口に出さない人だったのに、と母を見る。 「お父さんも人と人との間には無限の距離があるってゆってた」 「無限の距離?」 「親子でも恋人でも、人との距離は無限である。いつ言ったかな。昔、お父さんは莉子のことが可愛くて可愛くて付きっきりで手厚く大事に育ててくれたけど、思春期になった莉子はお父さんのこと、「私のことは何も分かってない」って言ったことがあったのよ。お父さん、莉子のことをずっと想って見守って面倒見ていたつもりだったから、何も分かってないって言われて拗ねてたのよ。その時に言ってたのよ」 母は思い出し笑いをする。 「ずっと見守って育ててきたからって関係ないのよね。親子の間でもあるのよ、無限の距離が 。だからこそ、その人とどう関わっていきたいか大切に考えないとね」 「人間って難しいね」 「難しいわねぇ」 だけど、相手が大切だと思える人なら、限りなくどこまでも深い関係になれる。 今目の前にいる母に対してもどこまでも大事に思えた。この朝食の時間を楽しめるように。時は無限に続くのではないのだから。手元のハーブティーを飲みきり、声を出して溜息をついた。 母を一瞥する。莉子が過去を話したあの日だけ、たくさん泣いていた母。もうこれから泣くようなことはさせない。そう誓った。 ※ ※ ※ その日の夜、莉子は玄関から出て家の門まで歩き、大きく息を吸って深呼吸をした。冷たい空気が肺に入り、一瞬で身体は冷えた。だけどそれが気持ち良く感じた。 莉子は少しずつ夜道を歩けるようになっていた。最初は5メートル、そして10メートル。 歩く練習をするたびに母は心配だから、と後ろで見守っていてくれる。母の前で莉子は少しずつ歩く。側から見たら面白い光景だった。誰かが当たり前に出来ることが、自分にとって難しいことでも、人と比べなくて良い。自分にとって新しく出来たことが一つ増えただけでそれは大きな成長だ。そう言って母は莉子が歩けるたびに大袈裟に喜んでくれた。 父も喜んでくれているだろうか。自分の成長を見守ってくれているのだろうか。誰かが近くで見守ってくれたからこそ、莉子は歩けることが出来たとそう思っている。 少し不思議な出来事が一つあり、夜空を見上げながら、ふと思い出した。それは母にもまだ話してない。通り魔に襲われたあの日、莉子は病室で意識が遠のく中、ある人の姿が見えたような気がした。それは優しく微笑んだ父だった。父は莉子の手を握り、「大丈夫」とずっと声をかけてくれていた。莉子はうわ言のように「お父さん」と何度も名前を呼んだ。お父さん、そばにいてくれてありがとう。お父さん、どうか廉くんを助けて。幻だったかもしれないが、父は近くにいると思った。普段、目に見えなくても、きっとそばにいると。 お父さん、もっとあなたと話したかった。一緒に過ごしたかった。いろんなところに遊びに行きたかった。もう叶わないけど、ずっと大切な人。だからいつも近くにいてほしい。 見上げた先には、今日も綺麗な夜空が広がっていた。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加