正解

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「今年も終わりか……」  カウンターに座った常連客の石野が感慨深げに呟く。 「まあ、何はともあれ、またこうやってこの店で飲むことが出来るようになってよかったよ」  隣に座ったもう一人の常連、片岡が目の前に掲げたグラスを眺めながら相槌を打つ。 「それもこれも、鳥飼ちゃんが何とかこの店を維持してくれたからだよね。本当、有難うね」 「いえいえ、とんでもないですよ。こうやって常連のお客様が支えてくれたからこそ、何とか閉店だけは免れることは出来たんですから。こちらこそ本当に有難うございました」  カウンターの中の鳥飼が神妙な顔で頭を下げる。 「片岡さんと飲むのも久しぶりだね。でも、いいの?あんまり遅くまで飲んでると、また奥さんに怒られるよ?」 「大丈夫さ。いいんだよ。大丈夫」  石野がからかうと片岡が妙に意地をはる。 「この店も色んな常連さんがいたよね。いつの間にか来なくなっちゃった人もいるけど」 「どうしても休業せざるを得なかった期間は何回かありましたからね。その間、一旦足が遠のくと、そのままになってしまうお客様もどうしても出て来ちゃうんですよね。本当あれは痛かったです」  鳥飼が悲しそうな顔をした。 「そういや、大下さんていたよね。あの眼鏡かけてちょっと痩せた人」  ふと思い出したように石野が口にした。 「ああ、いたねえ。なんか、やたらと都市伝説に詳しい人だったな。あの人、最近来てるの?」  片岡の問いかけに、鳥飼は首を振る。 「いえ、あの方はもう随分前からお見えになってません。消息も全然こちらには入って来ないんですよね」 「よく、色んな都市伝説を披露してくれたね。ベタな怪談みたいなやつとか、ちょっと謎かけっぽいやつとか色んなパターンがあったな」 「謎かけっぽい?」 「そう。よく引き合いに出されるのがさ、旦那を事故でなくした未亡人が、葬式の時に、弔問に訪れた旦那の同僚のイケメンに一目ぼれしちゃった。その後暫くして、未亡人は残された自分の幼子を殺してしまった。何故でしょう?ってやつ」 「ああ、子供が再婚に邪魔だったから、というのが常識的な答えだけど、正解は、もう一度葬式を出せばそのイケメンに会えるから、ってやつね」 「そして普通は、そういう発想をする人はいないけど、過去二名だけ ”正解”をした人がいる、ってやつですよね」  何度も同じ話を聞かされている鳥飼が、薄笑いを浮かべている。 「そう、いずれも凶悪事件の犯人だったってやつね。いろいろバリエーションがあるけど、そこがまた都市伝説っぽい気もするけどね。鳥飼ちゃん、これ、お代わり」 「かしこまりました」  石野のオーダーに応えて、鳥飼が丸氷を削り始める。 「都市伝説って言えばさ。こんな話知ってる?」  片岡が切り出した。 「え、片岡さんもいよいよ都市伝説にはまっちゃったわけ?」  石野が面白そうに片岡の顔を見る。 「うん、まあね。で、こういう話なんだけど、一人の女性が駅前のショッピングモールから出てくると、突然サイレンの音が聞こえて来た。見ると、何台もの消防車や救急車が大通りを走って行く。それを見た瞬間、彼女は慌てて、消防車と反対の方向に走り出した。何故でしょう」  片岡が意味ありげな笑いを浮かべる。 「こんなのは?実は、彼女は消防隊員の奥さんだった。だから旦那さんのことが気になって、消防署に駆けつけようとした。消防署は消防車の走る方角と反対側にあるわけさ」  石野が手早く自分の案を披露する。 「なるほど。でも、気になって駆けつけるんなら、消防車と同じ方向、つまり現場に向かうんじゃない?」 「それもそうだな。じゃあ、消防署長の奥さんだったら?署長である旦那さんの手助けをしようと、消防署に向かおうとしたんだ」 「ああ、それなら反対方向でもいいわけか。でも、やっぱり署長さんだってそういう時は忙しいだろうからさ。却って邪魔になるんじゃない?」 「なるほど」 「あ、でも、助けになる場合もあるかもしれませんよ。彼女は以前、消防署で働いていたとか」  石野の前に二杯目のオンザロックを出した鳥飼も意見を披露した。 「ああ、それなら貴重な戦力になるかもね。でも、やっぱり一般人が消防署長の職場に手助けに行くってのも、何となく不自然じゃないか?」 「で、正解は何なのよ?」  気の短い石野に促された片岡が正解を披露する。 「うん、つまりね。まず、彼女の住む家の家族構成だが、旦那と中学生の子供一人、そして義母、つまり旦那の母親との4人暮らしなんだ。ところが、この義母というのが認知症を患っていてね。身を粉にして面倒を見てくれる彼女に対して、暴言を吐いたり、時には暴力を振るったり……」 「ああ……」 「来た来た」 「どうしても耐えられなくなった彼女は、義母の死をこころから願うようになった。でも、自分の手で人殺しをするまではどうしても踏ん切りがつかない。悶々としながら暮らすうちに、ある日の昼間、旦那も子供も外出中で義母が昼寝をしている間に、彼女は家を出た。キッチンには油を満たした天ぷら鍋を火にかけたままね……」 「おお、とうとう」 「なるほど……」 「勿論、とても危険な行為だ。だが、絶対に100%火事が発生するかというと、そうとも言えない。また、鍋に火が回って出火しても、発見が早ければ、義母は救出されるかもしれない。勿論、焼け死ぬかもしれない。そうなってくれれば嬉しいけど、とにかく自分の手で露骨に手を下すことは、怖くて出来ない。結局、彼女は全てを偶然に委ねることにしたわけだ」 「なるほど。そうすることによって罪の意識が軽減されるような気がしたんだろうな」 「そういうことだね。さて、彼女はそのまま出かけて、駅前のショッピングモールに来ると、普段どおりの風を装い、普通に買い物かなんかしていた。そして、出てきた途端、けたたましいサイレンの音を聞いた。見ると、何台もの消防車や救急車が自分の家の方角に走って行く……」 「うまくいったのかな?」 「ところが、それを見た瞬間、彼女はパニックに陥った。迷いに迷った挙句に、結局偶然に委ねようとした程度の決心だったわけだからな。我に返って自分のしたことを意識した途端、罪の意識やら警察からの事情聴取、あらゆることが恐怖の感情となって彼女を襲った。現実逃避の感情に支配された彼女は、とにかく現場から少しでも遠くに逃げようと思った。そこで、慌てて消防車と反対の方向に走り出した……ってわけさ」 「なるほどねえ。そういうことか……何というか、これもいわゆる人怖系の話なのかね」 「でも、意外な説明がついて、面白かったです。ある意味、都市伝説らしいお話だと思いますよ」  一応肯定的な言葉を貰って、片岡がほっとした表情を受かべた。 「ああよかった。面白いって言ってもらえてよかったよ。有難う。鳥飼ちゃん、こっちもお代わり」 「かしこまりました」  石野達が帰った後、店の片付けをしながら鳥飼は片岡と交わした会話を思い出している。  片岡さんのしてくれた話は、適度に具体性があって、説明をされてみると、確かに都市伝説っぽい気もするが、何と言うか、妙に現実臭いような感じもする。都市伝説は、勿論フィクションの部分が多い話だけど、その割にこの話は妙に尻すぼみ的というか、飛躍に欠けるような感じがする。ひょっとしたら、あれは実際の話だったのか……そしてそれが事実なら、何故片岡さんは”正解”を、つまりその事情を知っていたんだろう……実際に、彼の周囲でそういう事があったのか……例えば、家族の誰かが認知症の老人を焼き殺そうとした事件が……片岡さんは昔、何らかの形で、その事故あるいは事件に関わっていたんだろうか……それがずっと心に重く蟠っていて、誰かに話さずにはいられなかったとか……  後味の悪い思いを払拭するように、鳥飼は店の片付けに集中した。 [了]
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