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「崎谷……だよね?
俺、グループ面接で一緒だった斉藤」
「……お疲れ様です。
廃棄書類の回収に回ってるんだけど」
「休日出勤で? なんでそんなことやらされてんの?
お前新人研修にもいなかったしよそ行ったんだと思ってた」
8階でエレベーターのドアが開くやいなやの怒涛の会話。おれの体積が目に入らない、なんてこともないだろうが、自称崎谷くんの同期の斉藤君はすごい勢いで崎谷くんに語りかけ、質問攻めにしている。
「あの、とりあえずエレベーター止めっぱなしだから。
降りていいかな。何階行くの?」
「今はもういい、とりあえずうちのフロア来いよ!
先輩にも紹介してやるし、廃棄書類の回収は業者にやらせりゃいいだろ」
8階にある部署ならマーケティング関連のどれかだろうか。新人研修期間を経てそれなりに花形と目される部署に配属され、不遇の同期を救ってやろうと考えた。随分と余裕のあることで、と少し批判的な見方をしてしまうが、同期や他部署には崎谷くんのアウティング、それを理由にした不当な配属について知らされていないのであればこれは良い機会なのかもしれない。
「……斉藤君、だっけ。
君はなんで休日出勤してるの?」
「俺は先輩が歓迎会してくれてんだよ、実地研修って名目で。
一人くらいまぎれてもわかりゃしないし崎谷も来いよ」
「ふーん。仕事じゃない、って訳だ」
ひやり、と、頸動脈を手で押さえられたような感覚が走る。崎谷くんから聞いたことがないような声音、おれには向けられたことがない口調が飛び出して、思わず唾を飲んだ。
崎谷くんは、優しい、というより――。
「はあ? 仕事じゃないってどういう意味だよ」
「俺は正味申請通り、仕事で出社して社内を回ってる。
君の部署が回収先なら行くけど紹介なんか必要ない。
遊びでやってるんじゃないんだよ」
切り捨てるように言い切り、唇をゆがめる。整った造作に蔑みを浮かべ糾弾する、その初めて見る顔に腹の底へ冷えた塊が落ちる。
おれは、絶対にこんな顔を向けられたくない。8階におれ一人で来ていればこんな顔をさせることはなかったのに。
後悔の一方で、ぞっとするほど――美しい、と思った。
「ンだとコラァ!
研修も要らねえクソみたいな仕事でイキってんじゃねえぞ!」
「っ! うるさい、な。
瞬間湯沸かし器はご自慢の研修じゃ直らなかったんだ?」
声を荒らげる斉藤君に対して煽りを止めない崎谷くんだが、怒鳴り声に跳ねる身体を無理やりに抑えた気配が伝わる。
崎谷くんが怒鳴り声、攻撃的な音声や暴力に大きな反応が出てしまう様子を何度か目にしてきた。これ以上相対させておく意味も必要もない。そっと肩に手を乗せ後ろに回ってもらう。
見上げる視線が瞬間絡み、揺れる目にまた申し訳なさを感じながらせめて少しでも安心してほしいと笑ってみせる。
「アァ? あんた、業者かなんか?
引っ込んでろよ」
「崎谷くんの配属先、お客様相談窓口コールセンター長の
宮代です」
名乗りながら距離を詰める。怖がられたり、自分でも総身に知恵が回りかね、と持て余すガタイがこういう時には役に立つなと改めて思う。
「え……と、すんません」
「斉藤君、でしたか。
回収の予定は聞いてないようですね」
「は、はあ……」
「では、8階は回収希望がなかったものとして飛ばします。
私達は今日、ここには来なかった」
「えっ……?」
「8階で他部署含め廃棄書類が出ているようでしたら、
月曜の朝までに駐車場まで自力で運んでください」
「え、なんで俺らが……」
反射で不満げな表情を浮かべる斉藤君の察しの悪さに軽い苛立ちを覚えながら、用は済んだとばかり背を向ける。何か言いたそうな崎谷くんの背中を強引さを感じさせないよう軽く押して、何も変化がない台車と共に再びエレベーターに乗り込んだ。
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