02.崎谷樹の諦念

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「夜でも気温下がらなくなってきましたね」 「ほんとにね。おれは割と暑がりだからしんどい」 「あ~、筋肉が」 「そう、筋肉で」  一日の業務をしめて、最寄り駅まで一緒に帰る。こんな甘酸っぱい行動パターン、リアル学生時代にも有り得なかった。うっかり顔が赤くなっていないか、夜が隠してくれるだろうか。  暑がりだという宮代さんの、その体温が感じ取れるほど距離を詰めるのはまずいな、と少しだけ離れたところに次の一歩を着地させる。 「筋肉といえば、崎谷くん、力が弱いの?」 「力だけじゃなく、運動全般ダメです」 「えっ、ほんとに? 疑う訳じゃないけど  ダンスなんか得意そうと思ってた」  ダンス、ですか。  なにダンスであっても人生で最も遠い領域だ。どこをどう見たらそうなるのか、純粋に疑問で聞いてみる。 「俺、手足4本をいっぺんには制御できないレベルですけど、  似てるダンサーさんがいる、とかですか?」 「掘り下げて聞かれると恥ずかしいね……  似てる人、というよりはあの、多分だけど  アイドルとかそういうイメージがあって」 「アイドル!?」  思わず声量を出してしまい、振り返らせてしまった人に愛想笑いと会釈をしておく。  アイドル――アイドルとは。悪意ある表現ではないだろう、と普段の様子から類推できる、いや、したいけど――。 「あー、ごめんねほんとに、馬鹿なこと言って。  仕事でヘッドセットするでしょう、  あれが、崎谷くんだったらオフィス(こんなとこ)じゃなくて  ステージのほうが似合うのに、って思ってました」  赤面は、照明ばっちりのこの道では隠せないな。  図らずも目の当たりにし確証を得たものの、つられて上がる自分の顔面の温度を止める術もない。    それは、仕事中に、用事がない時に、俺を見てくれてたってこと?  俺の、見た目はまあよく思ってくれてるってこと?  期待してないなんて大嘘だ。笑いかけてもらったりほめてくれたり、些細なことで浮わついて動揺して隠し通すことも出来ない。 「なん、て言えばいいか、その……  ありがとう、ございます……」 「どういたしまして……?  はなんか変、だね……?」  傍から見たら一体どういう二人組に見えるのだろうか。お互い顔を赤らめて照れ笑い、だけど宮代さんと俺では心の内にひどい温度差がある。それを寂しく思うなんて、あってはいけない事なのに。 「あのっ!  宮代さんは? なんか運動してたんですよね?」 「水泳をやってた、けど、  他の運動は全然できないんだ」 「ダンスとか?」 「うん、もちろんダンスなんか全くダメ。  球技もダメだし、得物が要るのもダメ……」 「得物って!」  なんとかいつも通りの空気に戻したくて、ちゃっかり気になっていたことを聞いてみる。  水泳か……。水に浮くように他の競技よりは少しだけ脂肪も必要で、さらに抵抗を軽減するため筋肉があまり筋張らずやわらかな形状で発達するらしい、と耳年増、頭でっかちの豆知識を思い出す。更には肺活量、持久力が鍛えられるスポーツな訳で――。  よし、大丈夫。いつも通り。妄想が捗るいつもの帰り道だ。 「もしよかったら、水泳教えようか?」 「……え……?」 「女性が怖く(こんなに)なっちゃってからは  ちょっと伝手を頼って泳ぎを続けててね。  他の人がいない状態で泳げるから」  昔インストラクターのバイトをしたこともあるし、運動のとっかかりにどうかな。  とても親身な、俺の事情や実態に配慮してくれた申し出。プライベートを垣間見せて、そこに招いてくれるという言葉。せっかくのお誘いを、素直に喜んでお世話になれればよかったけれど。  宮代さんが普通に戻った時、女性に対して恐怖を感じなくなった時に、()()()()()()()が心残りになってはいけない。  俺は、水が怖い。  暴力的、高圧的な声や行動に過剰反応するよりもっと、隠しようもなく怯えてしまう。これ以上宮代さんに余計な心配、面倒をかける訳にはいかない。 「やだなぁ、宮代さん。水泳はまずいですって」  自虐ネタ、卑屈な言い方はしたくないけど、遠慮ではないとわかってもらうにはこう言うしかないだろう。 「もちろん俺は節度ある人間なんで、  突然襲いかかったりはしないですけど。  ゲイを相手に『水泳教える』なんて……  もう少し自分の身を大事にしてください」  羊の番を狼にさせるようなものだ、って言ったら伝わりますか?  さすがに気持ち悪い、と、引かれてしまうかもしれない。だがそれならそれで、どんどん欲張りになっている気持ちの歯止めとしてもちょうどいい。服の上からでも妄想をたくましくしてしまう宮代さんの、しかも濡れた身体を直に見て興奮を見せず冷静でいられる自信もないし、全くの嘘、言い訳ではないだろう。 「……()()()()()、 おれと水泳ってそんなに無理な感じ……?」  しょんぼり、そう表現するほかないような悲しい顔で宮代さんは言う。たぶん俺と、親しくなりたい、くらいには思ってくれているのだろう。差し伸べてくれた手をゲイという属性を盾に振り払うのは俺だって辛い。  だけど、自分の中の深い、暗いところを開いて見せるのはもっと怖いんだ。宮代さんのために作った顔や声、態度――見せても大丈夫なところをよく思ってくれているなら尚更『本当の崎谷樹』なんて見せたくない。 「無理、ですね!  やっぱりあからさまムラムラしてるの  見られたくはないです」 「おれは……気にしない、  むしろ嬉しい、かも、って言っても……?」  赤くなって、そらした目をちらちらと時折俺に戻して、一生懸命に言葉をつなぐ宮代さんに、勘違いしていっそ飛びついてしまえたら。  嬉しいかも、なんて思わせぶり、当然一切計算や駆け引きなんかじゃないんだろうけど、とか、そんなことばかりが先に気になってしまう俺には到底無理な話だ。 「あっ!  俺、電車来そうなんで! お疲れ様でした!」  ひどい強制終了、先のことを全く考えないぶった切りで逃げ出した。自動改札に定期を叩きつけ、駆け出す俺をきっと宮代さんは呆気にとられて見送っているだろう。気をつけないと上がり切らない足を階段にひっかけて転ぶ可能性もある。  俺と同じようになんか、俺のことを好きになってくれなくてもいいんだ。  簡単に上がってしまう情けない呼吸を電車の中で目立たないよう焦って整えながら、改めて自分に言い聞かせる。  宮代さんが、人の心を食い荒らして何とも思わない人だったらよかったのにな。でもそうなら、こんなに好きになってしまうこともなかったんだろうな。  家に帰ったら、電車から降りたら。少し泣いて、今日は早く寝てしまおう。明日は朝いちで謝って、それで元通りだ。
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