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「アリカちゃん、カーンの下僕になったんだって?」
「げぼっ……」
夕食のリフェクトリー。
トレイを持ったガトーが、にこにことテーブル向かいにすわる。
「おかしな言い方やめて下さい、ガトーさん」
スープにむせながらアリカはじろりとガトーを睨んだ。
ただでさえ孤立しているのだ、変なうわさを立てられて、これ以上みんなにさけられては困る。
「みんなもう知ってるよ。そんな首環して、誓約も交わしたんだろ?」
「無理やりです、あんな嫌なやつ」
「へぇ、無理やり」
わざと言っているに違いない。
ガトーはニヤニヤとスプーンを回し遊んでいる。
「で、用件はなんですか?」
アリカは疎ましく口調を強めた。
「あっ、冷たいなあ。ぼくたち、どこかで縁があったかもしれないのに」
そう言って、ガトーがさりげなくアリカのとなりに席を移す。
「いやほんと気になるんだよね」
「おい、ニンゲン」
頭上から話を叩き割るような声がして、ガトーがやれやれと顔を上げた。
「やあカーン、こんばんは。何か用?」
「お前じゃない、ガトー。そのニンゲン、だ。そいつにはまだ仕事がある」
しっぽは無事引っ込められたようだ。カーンは、いつもの寝不足のような渋面でアリカを見下ろしている。
ガトーが呆れ気味にため息をついた。
「カーン、お前が人間嫌いなのは知ってるよ。でもアリカちゃんは何も悪くないだろう。それに仕事って、ギルドの時間はもう終わったんじゃないのかい?」
「今日は邪魔が入ってな、ノルマがまだ残ってる」
わざと背後のテーブルを顎でしゃくると、ヒルダがチッと舌を打つ。
(そうだ、放課後ギルドに来いと言われてたんだっけ)
アリカは思い出した。
そもそも命令を忘れていたため、あんなことになったのだ。
それにガトーがとなりにいると、女の子の敵を作りそうで怖い。
「わかったわ」
「ええ、行くのー?」
残念そうなガトーと、少女たちの嫉妬や羨望の視線をちくちくと受けながら、アリカは食事の途中だったが席を立った。
「まずはこれだ」
どさりとわたされた荷物に、アリカは早くもついて来たことを後悔した。
藤かごに、こんもりと積まれた制服の山。派手に立ち回ったのかケンカでもしたのか、みな泥だらけだ。
「洗濯しろ。裏庭に井戸がある」
この世界、おそらく手洗いなのだろう。
「なんでこんなにたくさんあるのよ」
「メンバー全員の制服だ。洗ったら繕いもやっておけ」
そう言うと、カーンはさっさと部室を出て行った。
洗濯物は、おおよそいろんな部分が破損していた。スラックスの尻部分が破れているのは、カーンの制服なのだろう。
犬にもどると破くのか。そしてその都度自分が縫うのか。
(それなんてマネージャー?)
うんざりと洗濯物を見下ろすが、ここでさぼればまた同じ罰が待っている。
アリカは藤かごをかかえ、のろのろと裏庭へ向かった。
日中もろくに陽の射さない裏庭は、暮れてますます寒々としていた。アリカは、部屋から取って来たコートのボタンを首まで閉める。
水は冷たかったが、きれいなのが救いだった。手洗いは初めてで、片っぱしから桶に突っ込み、ガシガシと洗ってゆく。
ハンノキに張ったロープに適当に干していると、ひとりの女生徒がアリカに近づいて来た。
「アリカさん、ですよね?」
ユードラやヒルダのような美女ではないが、ふわふわとした髪がかわいらしい純朴そうな女の子だ。
「あの、アリカさんはカーンの下僕ですよね?」
予想外のジャブ。とりあえず真顔で答える。
「違います」
「じゃあ奴隷?」
前言撤回だ。かわいいがデリカシーはないらしい。あまりお近づきになりたくないなと思ったら、先に言われた。
「奴隷なら、ガトーさまに近づかないでほしいんです」
自分のチャームポイントなのだろう、やわらかそうな髪を指先でほぐしながら満面の笑みで微笑まれ、アリカは苛ついた。
カーンにはこき使われ、捜査も芳しくないうえ、どうでもいい因縁までつけられている。
「わたし忙しいんで」
相手にせず作業にもどろうとすると、ぱちんと音がして、干した洗濯物がいっせいに地面に落ちた。
鋏を持った彼女が、ふふっと悪戯っぽく笑っている。
切られたロープを見たとたん、アリカはつかつかと歩みより少女の頬を打った。
仕事の邪魔をされるのはきらいだ。せっかく洗った制服がまた泥だらけである。
「あーあ」と少女を無視して洗濯物をひろうアリカに、彼女はしばらくぽかんと頬に手を当てていたが、みるみる獣じみた貌に変わり突如つかみかかって来た。
「よくも──!」
当然、こっちも応戦する。突進して来る少女の腕を引き、逆に投げ飛ばす。
警察を目指す身だ、ある程度の武道は心得ている。
だが少女はくるくると回転すると、猫のように華麗に着地した。
「シャアァァァーッ!」
間髪入れずに、犀利なピンク色の爪がアリカに襲いかかる。
(速──!)
負傷を覚悟したアリカだったが、突然少女は躰をひねり、後転してハンノキまで後退った。
「ニャアッ!」
辺りに湧く、強烈なハッカの匂い。
「アリカさん! 大丈夫ですか?」
スプレーを携えたヘーゼルが、アリカの前に立ちふさがっていた。
アリカは、かすかな刺激に目を瞬いた。
「ヘーゼル? 何をしたの?」
「ミントを噴射しました。『ケット・シー』は、この香りが苦手なんです」
アリカが目を開けると、毛並みのいい白猫がどら声で叫びながら、校舎の陰に逃げて行くのが見えた。
犬の妖精がいるなら、猫の妖精もいるのだろう。
「ありがとう、ヘーゼル。彼女は……」
「『ケット・シー』のマオです。アリカさんがガトーさんと親しいからやっかみですよ。それより、カーンにまた無茶言われたんですね」
「そうなの。部員全員の制服を洗濯しろって」
「わざわざ井戸水で?」
ヘーゼルが意外な顔で首をかしげた。
「……洗濯機、あるの?」
「寮のリネン室のとなりがランドリールームですけど……」
初耳だ。わざわざカーンが井戸で、なんて言うから洗濯機があるとは思わない。
「人間界には及びませんけど、科学力はラースランドも不便のない程度は備わっていますよ」
アリカはもう聞いていなかった。
(わざとだ、あいつ、わざとに決まっている)
「ねえ、カーンのズボンだけ、チャック壊しちゃおうかな」
「アリカさん……」
ヘーゼルの頭に、まぜてはいけない薬品がふたつ浮かんだ。
学園に月明かりが満ちる時刻。
シャキシャキ、シャキシャキ。
金属を擦るような音がこだまする。
月光を浴びて、キャンパスに伸びる長い影。
鋏を手にした人物は金色の満月を見上げ、静かに立ち止まる。
(金のりんごはトゲトゲりんご。口にすれば願いが……)
翳した鋏を虚ろな目で眺めると、影はまた刃をシャキシャキと動かした。
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