第3章

3/3
前へ
/38ページ
次へ
「アリカちゃん、カーンの下僕になったんだって?」 「げぼっ……」    夕食のリフェクトリー。  トレイを持ったガトーが、にこにことテーブル向かいにすわる。 「おかしな言い方やめて下さい、ガトーさん」  スープにむせながらアリカはじろりとガトーを睨んだ。  ただでさえ孤立しているのだ、変なうわさを立てられて、これ以上みんなにさけられては困る。 「みんなもう知ってるよ。そんな首環して、誓約(ゲッシュ)も交わしたんだろ?」 「無理やりです、あんな嫌なやつ」 「へぇ、無理やり」  わざと言っているに違いない。  ガトーはニヤニヤとスプーンを回し遊んでいる。 「で、用件はなんですか?」  アリカは疎ましく口調を強めた。 「あっ、冷たいなあ。ぼくたち、どこかで縁があったかもしれないのに」  そう言って、ガトーがさりげなくアリカのとなりに席を移す。 「いやほんと気になるんだよね」 「おい、ニンゲン」  頭上から話を叩き割るような声がして、ガトーがやれやれと顔を上げた。 「やあカーン、こんばんは。何か用?」 「お前じゃない、ガトー。そのニンゲン、だ。そいつにはまだ仕事がある」  しっぽは無事引っ込められたようだ。カーンは、いつもの寝不足のような渋面でアリカを見下ろしている。    ガトーが呆れ気味にため息をついた。 「カーン、お前が人間嫌いなのは知ってるよ。でもアリカちゃんは何も悪くないだろう。それに仕事って、ギルドの時間はもう終わったんじゃないのかい?」 「今日は邪魔が入ってな、ノルマがまだ残ってる」  わざと背後のテーブルを顎でしゃくると、ヒルダがチッと舌を打つ。 (そうだ、放課後ギルドに来いと言われてたんだっけ)  アリカは思い出した。  そもそも命令を忘れていたため、あんなことになったのだ。  それにガトーがとなりにいると、女の子の敵を作りそうで怖い。 「わかったわ」 「ええ、行くのー?」  残念そうなガトーと、少女たちの嫉妬や羨望の視線をちくちくと受けながら、アリカは食事の途中だったが席を立った。   「まずはこれだ」  どさりとわたされた荷物に、アリカは早くもついて来たことを後悔した。  藤かごに、こんもりと積まれた制服の山。派手に立ち回ったのかケンカでもしたのか、みな泥だらけだ。 「洗濯しろ。裏庭に井戸がある」  この世界、おそらく手洗いなのだろう。 「なんでこんなにたくさんあるのよ」 「メンバー全員の制服だ。洗ったら繕いもやっておけ」  そう言うと、カーンはさっさと部室を出て行った。    洗濯物は、おおよそいろんな部分が破損していた。スラックスの尻部分が破れているのは、カーンの制服なのだろう。  犬にもどると破くのか。そしてその都度自分が縫うのか。 (それなんてマネージャー?)  うんざりと洗濯物を見下ろすが、ここでさぼればまた同じ罰が待っている。  アリカは藤かごをかかえ、のろのろと裏庭へ向かった。  日中もろくに陽の射さない裏庭は、暮れてますます寒々としていた。アリカは、部屋から取って来たコートのボタンを首まで閉める。    水は冷たかったが、きれいなのが救いだった。手洗いは初めてで、片っぱしから桶に突っ込み、ガシガシと洗ってゆく。    ハンノキに張ったロープに適当に干していると、ひとりの女生徒がアリカに近づいて来た。 「アリカさん、ですよね?」  ユードラやヒルダのような美女ではないが、ふわふわとした髪がかわいらしい純朴そうな女の子だ。 「あの、アリカさんはカーンの下僕ですよね?」  予想外のジャブ。とりあえず真顔で答える。 「違います」 「じゃあ奴隷?」    前言撤回だ。かわいいがデリカシーはないらしい。あまりお近づきになりたくないなと思ったら、先に言われた。 「奴隷なら、ガトーさまに近づかないでほしいんです」    自分のチャームポイントなのだろう、やわらかそうな髪を指先でほぐしながら満面の笑みで微笑まれ、アリカは苛ついた。  カーンにはこき使われ、捜査も芳しくないうえ、どうでもいい因縁までつけられている。 「わたし忙しいんで」  相手にせず作業にもどろうとすると、ぱちんと音がして、干した洗濯物がいっせいに地面に落ちた。  鋏を持った彼女が、ふふっと悪戯っぽく笑っている。    切られたロープを見たとたん、アリカはつかつかと歩みより少女の頬を打った。  仕事の邪魔をされるのはきらいだ。せっかく洗った制服がまた泥だらけである。 「あーあ」と少女を無視して洗濯物をひろうアリカに、彼女はしばらくぽかんと頬に手を当てていたが、みるみる獣じみた貌に変わり突如つかみかかって来た。 「よくも──!」    当然、こっちも応戦する。突進して来る少女の腕を引き、逆に投げ飛ばす。  警察を目指す身だ、ある程度の武道は心得ている。  だが少女はくるくると回転すると、猫のように華麗に着地した。 「シャアァァァーッ!」  間髪入れずに、犀利なピンク色の爪がアリカに襲いかかる。 (速──!)    負傷を覚悟したアリカだったが、突然少女は躰をひねり、後転してハンノキまで後退った。 「ニャアッ!」  辺りに湧く、強烈なハッカの匂い。 「アリカさん! 大丈夫ですか?」  スプレーを携えたヘーゼルが、アリカの前に立ちふさがっていた。  アリカは、かすかな刺激に目を(しばた)いた。 「ヘーゼル? 何をしたの?」 「ミントを噴射しました。『ケット・シー』は、この香りが苦手なんです」  アリカが目を開けると、毛並みのいい白猫がどら声で叫びながら、校舎の陰に逃げて行くのが見えた。  犬の妖精がいるなら、猫の妖精もいるのだろう。 「ありがとう、ヘーゼル。彼女は……」 「『ケット・シー』のマオです。アリカさんがガトーさんと親しいからやっかみですよ。それより、カーンにまた無茶言われたんですね」 「そうなの。部員全員の制服を洗濯しろって」 「わざわざ井戸水で?」  ヘーゼルが意外な顔で首をかしげた。 「……洗濯機、あるの?」 「寮のリネン室のとなりがランドリールームですけど……」    初耳だ。わざわざカーンが井戸で、なんて言うから洗濯機があるとは思わない。 「人間界には及びませんけど、科学力はラースランドも不便のない程度は備わっていますよ」    アリカはもう聞いていなかった。 (わざとだ、あいつ、わざとに決まっている) 「ねえ、カーンのズボンだけ、チャック壊しちゃおうかな」 「アリカさん……」  ヘーゼルの頭に、まぜてはいけない薬品がふたつ浮かんだ。  学園に月明かりが満ちる時刻。  シャキシャキ、シャキシャキ。  金属を擦るような音がこだまする。    月光を浴びて、キャンパスに伸びる長い影。  鋏を手にした人物は金色の満月を見上げ、静かに立ち止まる。 (金のりんごはトゲトゲりんご。口にすれば願いが……)  翳した鋏を虚ろな目で眺めると、影はまた刃をシャキシャキと動かした。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

34人が本棚に入れています
本棚に追加