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第4章
やけに外が騒がしい朝だった。
夕べ遅くまで洗濯していたため、寝過ごしてしまったようだ。
(どうしたのかしら)
ガウンを羽織り部屋を出て来たアリカに、ヘーゼルがあわてて駆けよって来た。
「大変です、アリカさん!」
リフェクトリーの一角に、人だかりができている。まだ眠い眼をこすりながら確認すると、中心にいるのはなんとなく見覚えのある少女。
よく見ると、夕べの『ケット・シー』のマオである。
だがすぐにそれとわからなかったのは、帽子を深くかぶっていたからだ。
「髪切り魔がまた出たそうよ」
「嫌だわ、怖いわね」
「こんなときの監査官だろう。《黒妖犬》は何をしてるんだ」
テーブルから、ひそひそと囁く声が聞こえる。マオは憤りを涙にまじえてわめいた。
「寝ている間に誰かに切られたのよ!」
就寝中の女子寮での犯行とは、なんて悪質なのだろう。アリカに敵意むき出しの厄介な子だったとはいえ、こんな所業は許せない。
(絶対に捕まえなくちゃ)
アリカは決意を胸にこぶしを固めた。
しかしその日の午後、早くも容疑者は浮かび上がった。
彼がカーンによって《万神庁》へ連れて行かれたと聞いて、アリカは上階の生徒会室へ乗り込んだ。
騎士団たちを前に、少年は小さくなってふるえている。
「ヘーゼル!」
彼が犯罪など犯すはずがない。
怒り心頭でアリカがカーンに物申そうとしたとき、《黒妖犬》のほかのメンバーたちが、近衛騎士を押し退けてどかどかと生徒会室へ入って来た。
「待って下さい、会長!」
「お前ら、何を勝手な……!」
カーンが、自分より大きな《黒妖犬》の部員を険しく一瞥する。どうやら、彼の独断でヘーゼルを引っ張って来たらしい。
メンバーたちは、みな口をそろえてユードラへ訴えた。
「へーゼルは靴作りしか能のない腰抜けです! 深夜女子寮へ忍び込み、猫女の髪を切る度胸などあるわけありません!」
「その靴作りに使う革用の鋏が、現場に落ちてたのをおれが見つけたんだよ」
カーンが苦い顔で吐き捨てる。
「閑古鳥が鳴くほどヒマなやつのギルドです。そんなもの、誰にでも調達できる!」
ひどい言い様だが、同じコケモモ組の仲間だからか、彼を弁護(?)している。
ヘーゼルも地獄に仏とばかりに、涙目でうなずいていた。
しかし、ユードラの決定は意外にも非情なものだった。
「言いたいことはわかりました。じゃ、ヘーゼルを懲罰房へ」
お上のお達しに、ぱたりとヘーゼルが気絶する。
「会長! おれらの話──!」
メンバーたちに次いで、アリカも力んで喚起する。
「そうです、まだヘーゼルが犯人とはわからないじゃないですか!
人間界では、疑わしきは罰せずと言います!」
「檻に入っては檻に……」
「言いません!」
「と、とにかく! 真相がはっきりするまでは、ヘーゼルを返すわけにはいきません」
納得いかないまま全員生徒会室を追い出され、アリカは呆然と廊下に立ち尽くした。
少し離れたところでは、《黒妖犬》のメンバーたちが、カーンに厳しく叱咤されながらも反駁していた。
「ヘーゼルにあんなことできるわけないだろ、マスターよ」
「そうだ、ヘーゼルは確かにのろまで使えないやつだが、あんな仕打ちひどすぎるぜ」
だがカーンはまったく聞く耳を持たない。
「お前らもリフェクトリーで聞いただろうが。このままじゃ、《黒妖犬》の沽券に係わる。言われっぱなしで悔しくないのか」
(面目を保つためにヘーゼルを生贄にするなんて、やっぱりあいつサイテー)
アリカは嫌悪でこっそり舌を出した。闇のエルフだという強面の部員たちのほうが、よっぽどまともである。
「学生が平和に過ごすためにおれらがいるんだ。こんなの、学園自治のギルドじゃない。前々から思ってたがカーン、あんたのやり方は道を外れてるぜ」
「ギルドが気に食わないなら辞めろ」
カーンが言い捨て、結局その日の放課後は《黒妖犬》の活動は何もなかった。
それよりもヘーゼルが心配だった。ガトーに案内を頼むと、快く引き受けてくれた。
懲罰房はキャンパスから少し離れた、塀に囲まれた敷地にあった。地下への階段を下りながら、アリカはガトーへ不満をもらす。
「ユードラさん、判断が早急過ぎると思います」
「会長も慎重になっているんだよ。学園はこのところざわついてる。今が一番大事な時期だからね」
「大事な時期?」
ガトーの話によれば、髪切り魔が出没し始めたのは交換留学の話が上がった頃で、反対派の仕業ではないかと囁かれている。
アリカに来てもらったのは、ヒトとの友好を前向きに捉えてもらおうと、ユードラが立案した企画だと言う。
「留学生に来てもらうのは初めてなんだ。チェンジリングという形で、昔々妖精が悪戯に人間と交換することはあったけどね」
チェンジリング、エルアードもそんなことを言っていた気がする。
「側近の騎士団長のギャラガーまでもが反対派だからね。学園にとってもきみにとっても充実した環境にしなきゃと焦っているんだよ、彼女は」
ガトーは苦笑しつつ、遠くを見つめた。
「もし、反対派が増えたらどうなるんですか?」
「そりゃ、留学制度はおじゃんさ。現在、鉱夫の『ノッカー』たちがトンネルを修復しているが、それがすみ次第きみは人間界へ帰らないといけなくなる」
その場合、犯人捜しはそれまでである。
「わたしは留学賛成です!」
「ぼくもさ。さあ着いた」
地下に降り立つと、左右に並ぶ牢から野次にまじって獣や鳥の鳴き声が、けたたましくふたりを出迎えた。まるで動物園だ。
「ええい、黙れお前ら!」
看守の老人が一喝しても数秒後にはまた騒がしくなる。
ぶつぶつと文句を言いながら、老人は先へ進んだ。
「もともと地下牢は『トロール』の管轄なんじゃ。あいつらだけが自由に地底を動き回れるのに、なんでわしが……」
「トンネル工事に借り出されちゃったんですか?」
気軽にさっきの話を折り返すと、老人に険しい顔を向けられる。
ガトーが看守をなだめつつこっそり苦笑いして教えてくれた。
「彼『スプリガン』という妖精で、本当は遺跡の守りなんだよ。『トロール』の前看守は今不在でね」
妖精界も人手不足なのだろうか。
騒がしい通路を老人について行くと、地下牢の一角から悲壮な声が響いてきた。
「ア、アリカさぁん……」
ヘーゼルが、べそをかいて鉄格子にしがみついている。
まわりはカタギでない面々の妖精だらけだ。こんな場所では心が休まらないだろう。
「面会は五分じゃ」
老人に言われ、ヘーゼルの牢をのぞいたアリカは驚いた。
中は一通り生活用品がそろった簡易的な個室になっていて、冷暖房も完備してある。
「懲罰房というより、宿直室だなあ」
ガトーがからかうと、ほかの牢からブーイングが起きた。
「そいつだけずるいぞ!」
「待遇おかしいだろ!」
靴やらバナナの皮やらが牢に投げ込まれ、ヘーゼルがひぃと怯えて後退る。
「ええい、うるさい! 牢は法を犯した連中専用じゃろ!」
老人の叱咤を聞き、ユードラも本当はヘーゼルを疑っているわけではないのだと、アリカは安心した。
何もしていないヘーゼルが、投獄で罰を強いられるはずがないのだ。おそらく、学園の混乱が治まるまでの処置なのだろう。
しかし、だからと言って彼が好調なわけでもなかった。
「犯人が捕まるまでは、きっとここを出られないんですよね……ぼく」
しょんぼりとうなだれるヘーゼルを、アリカはあわてて励ます。
「公欠のお休みだと思えばいいわよ」
「授業はいいんですけど、学園にもどったら……《きのこの針山》はきっともう、なくなっているでしょう」
そう、彼自身が言っていたではないか。
ここマージナルアカデミーでは、ギルドは生活の糧。収入が滞ると廃ギルドになってしまうと。
「在庫だらけの靴屋も、いよいよ廃業かなあ」
さみしそうに笑うヘーゼルに、アリカも、ガトーすらも何も言えなかった。
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