第10章

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 体液検査の結果、ギャラガーは陰性。薬を服用しているわけではなく、罪は密売のみと判明した。 「でも、肝心のルートも元締めも不明かあ」  カーンとアリカでギャラガーを尋問したが、箱の送り主とは会ったことがないという。ある日突然自分宛に荷物が送られて来て、それから取引が始まったらしい。 「髪切り魔? 殺し!? おれが()るわけないだろう!」  取り調べに、ギャラガーは目をひんむいて抗議した。 「レザンに(たね)を売ったことはあるらしいが、殺しの件はやつにはアリバイがある」  結局解決には至らず、犯人はわからずじまいだ。  夕食後もふたりは、一五八号室で話しあいを続けていた。 「なぜ、ふたりは殺されたの? 髪切り魔は今回の事件に関係あるの?」 「もともと髪切り魔が現れたのは、留学制度の話が上がった最近だ。会長がなんとか反対派を治めてはいるが、その反動で犯人は行動に出たんじゃないかとおれは踏んでる。髪切り魔もレザンを殺したやつも、麝香の香りを残してるだろ。違法薬に関わってるということだ」 「そのことなんだけど、わたし、髪切り魔と殺人犯は同一人物じゃないと思うの。イゾルテ役やマオさんの髪を切ったのは、おそらく髪切り魔ね。でもレザンを殺した人物は、髪切り魔の犯行に見せかけようとしたんじゃないかしら」 「なんでそんなことわかるんだよ」    アリカは絵で図解して説明した。  被害者はみな無作為に髪を切られていた中で、レザンだけが頭頂と前髪の辺りが一部、これ見よがしにカットされていただけなのだ。 「それがなんだ、切られたことに変わりはないじゃないか」 「女の子の気持ちのわからないひとね」  アリカに半目で睨まれ、むっとするカーン。 「あのね、イゾルテ役の子たちの髪は、ざんばらに切られていたの。妖精の力はもちろんだけど、女の子にとって髪は特別なものよ。レザンの場合と違って、悪意や敵意のこもった切り方だわ」 「だとすると、そいつは彼女らの被害状況を見ていないってことか?」 「そう、あれだけ騒がれたのにおかしいと思わない?」 「だが、香りの件はどう説明する?」    アリカはむむと唸ってうつむいた。結局はそこに行きづまっているのだ。  (この事件は、いつも香りが残っている。何か、大事なことを忘れているような……)  しばし考えていると、唐突にカーンが尋ねてきた。 「──なあ、お前はなんでこの事件を調べようとするんだ?」  ずばり核心を突いて来たので、一瞬妙な間が空く。 「ええと……将来探偵になりたくて」 「探偵ね……」  呆れるような口ぶりだったが、疑ってはいないようだ。この際とばかりに、アリカも訊いてみる。 「カーンは、どうしてユードラさんの下で働くの?」 「そうだな……」    少し考え、カーンは言葉少なに話し出した。  十年前、自分はユードラの屋敷の前で行き倒れていたこと。マージナルアカデミーに入るまで、トレメイン家で面倒を見てもらったこと。 「会長は、行き場のなかったおれに居場所を作ってくれた」 (そうか、だからカーンはユードラさんに忠実なんだ)    見たこともないおだやかな顔でカーンは目を伏せる。  ガトーが、カーンを海にたとえたことがわかるような気がした。 「ここへ来る前は?」 「……あまり憶えていない。トレメインのお館さまが両親を捜して下さったが『人狼(ワーウルフ)』はラースランドには生息していないらしい。捨てられたのかもしれないな」    あきらめのまじった投げやりな口調だったが、カーンは頭の後ろで手を組み、天井を見上げ続けた。 「まあ、親に会いたくないと言えば嘘になるが」    アリカは、やっと、初めて、カーンの本心にふれた気がした。  自分に投げられる彼の言葉は、いつも怒りや嘲笑とセットだったから。  たったそれだけのことが、これまでのカーンの所業を忘れるくらいうれしかった。    我ながらあま過ぎるとぽりぽりと首をかいたとき、その仕草を見たからかカーンがアリカの首を指した。 「鍵も返さないとな」  ぽかんとした表情をしていたのだろう。カーンは怪訝にくり返す。 「あのときおれが池に捨てた首環の鍵だ。それつけたまま、人間界に帰るわけにはいかないだろ」 「あっ──そうよね。国交問題になるわよね、はは」  自分でも乾いた笑いに驚く。  それなのにじわりと目はうるみ、カーンがぎょっとして後退った。 「な、なんだよ、おれ、何か悪いこと言ったか?」 「言ってない」    珍妙なものを見るような目で見つめられ、自分がいたたまれなくなって、アリカは後ろを向いた。 「見ないで」 「なんでだよ」 「ほっといてったら」 「わけを言えよ」    こんな気持ちは、到底説明できない。  自分がいなくなることに、カーンはなんの感慨も抱いていないのだから。 「おい、こっち向けって」 「カーンなんかユードラさんにしっぽふってればいいじゃない、もうどっか行って!」    顔が上げられなかった。  こんな言い方をされれば、誰だって関わりたくないはずだ。カーンも煩わしくなったかもしれない。  しばらく沈黙が部室を流れた後、ぎい、と床を踏む音がした。 「お前が言った通り、おれには女の気持ちがわからない。ましてやニンゲンのことなんか……だからこっち見ろよ」  おそるおそるふり返ると、狼姿のカーンがちょんと行儀よくすわっていた。  思わず目をまるくする。 「女や子どもは、け、毛が好きなんだろ。こ……今回だけ、もふっていいぞ」  驚きで涙も引っ込んでしまった。  彼なりに必死に考え抜いた策だと思うと、吹き出しそうになった。だが笑うと怒りそうなので必死に耐える。     おずおずとそっと肩に手をおく。初めてふれるカーンの獣毛は張りがあり、思ったよりやわらかかった。  なでているうちにうずうずとたまらなくなって、アリカはぎゅっと抱きしめた。    カーンの躰がびくりと固まる。  他人にさわられるのは、獣バージョンでも苦手なのかもしれない。 「人間、きらいなのにごめん……」  肩ごしにつぶやくと「別にきらいじゃない」と短く返ってきた。 「……お前は不思議だ。いつの間にかまわりを巻き込んで、みんな味方につけちまう」  カーンは静かにそう言った。  ふわふわの灰色の毛に頬をうずめると、乾いた土と草の匂い。涙もさっきまでの澱んだ感情も、吸い込まれていくように思えた。 (せいいっぱいがんばろう、ここにいる間は)  ユードラの顔も、今は夜に溶けてゆく。  伝わって来る体温に安心して、子どものようにアリカは目を閉じた。
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