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第11章
学園祭が近づき、《劇団吟遊詩人》の稽古はこれまで以上に白熱していた。
さぼり気味だったというガトーもようやくもどって来て、アリカも稽古に力が入る。
「だからって姐御、なにもイゾルテの衣装で生活しなくても」
「おとり捜査もここが正念場よ。意味なくわたしに近づく者をしっかり見張っててね」
張り切るアリカに《黒妖犬》のメンバーは呆れて嘆息する。
しかしその日、早くもその人物は現れた。
そっと、アリカの背後に立つ美影身。
「アリカちゃん、今日の稽古の後、残っててくれる? 誰にもないしょで、大事な話があるんだ」
耳もとで誘うような囁きに、《黒妖犬》とアリカに緊張と戦慄が走った。
(まさか……──!)
だが思い返せば、確かに彼は「髪切り魔の被害に遭った子のフォローにいやに熱心」だったりと、不可解な行動も多かった。
(髪フェチだっていうし、マオさんにもしつこく話を聞いてたらしいし!)
もしも彼が切った髪を集めていたり、被害者からその恐怖を聞き出すという、嗜虐的な嗜好の持ち主ならありえないことではない。
アリカはヘーゼル特製のハッカスプレーにトウガラシをまぜたものを護身用に忍ばせ、待ちあわせ場に臨んだ。
灯りの消えた誰もいない稽古場。スポットライトに照らされ彼は佇む。
「やあ、待っていたよ、アリカちゃん。そのイゾルテの衣装、よく似あってる」
「……は、話ってなんですか?」
観客席の裏では、メンバーたちが息をひそめて待機している。
「きみに運命を感じたのは間違いじゃなかった」
「どういう意味です?」
「ふふっ、きみのうなじは思い出の色」
何を言っているのかわからないが、
(気持ち悪っ)
見慣れた美貌が、今日はことさら不気味に感じる。彼は喜びに陶酔した表情で、アリカに近づいて来た。
「これ──」
ポケットから何かを取り出そうとしたとき──
「御用だ、ガトー!」
《黒妖犬》の群れがわっとのしかかり、ガトーは取り押さえられた。
「なっ何をするんだ、きみたち!」
「鋏を出すつもりだぞ、縛れ、こいつを拘束しろ!」
アリカのハッカスプレーも噴射される。
「やめないか、ぼくが何を……痛い! 目が痛い!」
「黙りなさい、この髪切り魔!」
「ええっ!?」
「──おい、何やってんだお前ら! 髪切り魔が出たんだぞ!」
カーンが稽古場に飛び込んで来たとき、ガトーはす巻きで吊るされる直前だった。
人だかりができているのは寮の前だった。《淑女の宴》のメンバーにまじり、ヘーゼルも心配そうに中をのぞいている。
「あっ、アリカさん。大変です、ヒルダさんが!」
「まさか……そんな、ヒルダさんが!」
「生きてるわよ」
ヒルダが、鬱陶しいと言わんばかりの声で集団からのそりと現れた。
「よかった、無事だったんですね……!」
ほっとアリカが息をつくも、ヒルダは怒り心頭で頭をぶんとふる。
「無事じゃないわよ、見てココ!」
ヒルダはポニーテイルの先を、アリカの目の前に突きつけた。
五ミリほど不ぞろいになっている毛先に、アリカは眉をよせる。
「え……どこ? この枝毛?」
「油断したわ、切られたのよ! 絶っっ対に許さないから。まだ近くにいるはずよ。アリカ、必ずつかまえなさい!」
燃えさかる怒号に吹き飛ばされ、アリカは、ついでにヘーゼルも駆け出した。寮から少し離れた場所で、アリカは考える。
「ねえ、ヘーゼルだったら、ここからどこへ逃げる?」
「そうですねえ、庭は隠れるとこないし街は目立つし森は怖いし。校舎かな」
「じゃあ森へ行きましょう」
「なんでですか! ぼくに訊いた意味は?」
ヘーゼルが悲痛な声を出す。
「庭と街は条件的に×。建物である校舎は、入ればうちの番犬が嗅ぎつけ逃げ場はない──なら残りはひとつでしょ?」
アリカは悪戯っぽく片目をつぶった。
「それに、髪切り魔はきっと『語り部の森』を怖がったりしないわ」
森は冷たく澄んでいた。虚ろな目が夜空の三日月を見上げ、呪文のようなつぶやきが聞こえる。
「金のりんご、トゲトゲりんご、もうあんなに細く……」
マントの人物は、鋏を持ってふらふらと歩いていた。
誰かが追って来ている。とにかく逃げなければと、フードを深くかぶる。
ああでも、もう逃げるのも疲れた。ずっと、戦っているふりをして逃げて来た気がする。
(それなら、相手を切ってしまえ──)
頭の中で声がした。
鋏をにぎりしめたとたん、
「ユードラさん!」
名を呼ばれ、びくりとマントの肩が動いた。
顔は見えなかったはずなのになぜ。
「……その靴、会長ですよね」
ヘーゼルが痛ましげに足もとを見つめた。彼は、学園の住人全員の靴を覚えているのだ。
ゆっくりとフードが上げられる。
マントの下に現れた顔にアリカはつらそうに問うた。
「ユードラさん、どうして……」
返事の代わりに、鋏の刃がシャキと鳴る。
「わゎ、アリカさん、まずいです……!」
だがアリカは自分からユードラへ踏み出した。
「言って下さい、ユードラさん。レザンを殺してないって」
「……レザン・クッペには粛清を与えた」
抑揚のない声、剥落した双眸。
こんなユードラは見たことがなかった。
彼女は賢く愛らしく、くるくると表情豊かな少女だったのに。
「どうして粛清を与えなきゃならないんですか、ユードラさん」
ヘーゼルが衣装のすそを引っ張るが、アリカは下がらない。
「……レザンは『トゲトゲりんご』の名を出した。願いが叶う『トゲトゲりんご』。みんなに広まってしまう。わたしとマスターしか知らないのに──」
鋏がアリカの頭上にふり上げられる。
(──!)
その瞬間、ユードラの腕が強くつかまれた。
「カーン!」
同時に、パン、とふたりの眼前で大きく両手が打たれる。
目覚めたようにはっと見開いたユードラの瞳に光がもどり、鋏が地に落ちた。
手を叩いたのはガトーだった。
自分を取り巻く者たちを改めて見回し、ユードラは困惑していた。
「わたし……?」
(自覚がなかった?)
アリカには、演技をしているようにも見えなかった。
ユードラは落ちている鋏を、ゆっくり確認するようにひろう。
「わたしが、彼女たちの髪を切った……?」
「ユードラさん!」「会長!」
今度は間にあわなかった。
ユードラは自分の髪をつかむと根元から千切るように鋏で切り、そのまま気を失った。
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