第11章

2/3

32人が本棚に入れています
本棚に追加
/38ページ
「まだ意識はもどらないけど、命に別状はないよ」  病室から出て来たガトーの顔を見て、アリカたちはひとまずほっと胸をなで下ろした。   ここはラースランドの病院だ。ユードラは大量に生命力を失ったため、一時危篤状態となり運ばれたのだった。  アリカが驚いたことに、カーンとガトーは共同戦線を張り、極秘にそれぞれ事件を追っていたという。 「カーンが違法薬を、ガトーさんが髪切り魔を?」 「互いの捜査には干渉しないが、相手に有益な情報は交換しあうという約束でね」  ガトーは正義とは無関係の種族だと思っていたので、アリカは少なからず感心した。 「女の子の髪を切るやつなんて許せなくてさ」   めずらしく、きりりと真摯な顔をしている。被害者が男性だったら捜査に乗り出したのだろうかという疑問はさておき、ガトーも学園のために動いていたのは事実だ。 「でもそれなら、カーンが拘留されたとき助けてくれてもよかったじゃないですか」  不満げなアリカにガトーは大仰に肩をすくめた。 「互いの捜査には干渉しないって言ったろ? ミスは自己責任、自分の領分で起きたトラブルは己で片づける。どちらにも関われば、いずれ捜査は明るみに出てしまうからね」    カーンはガトーの当てつけには答えず、嘆息しアリカに尋ねた。 「……お前、気づいてたのか? 髪切り魔の正体」  「そんなわけないじゃない。さっきまでガトーさんのこと疑ってたんだし」 「いや、ひどいよね、ほんと」  ガトーはまだハッカが沁みるのか、涙目になっている。 「ごめんなさい。よく考えたらわたし……」  アリカは、ユードラの部屋を訪ねたときのことを思い出した。 「ユードラさんのフルーツポマンダーが、ずっと気になってたんですよ。どこかで嗅いだ匂いがブレンドされてるって……あれは麝香だったのね」    カーンは何も言わなかった。  アリカの頼みでユードラとレザンの部屋のフルーツポマンダーを押収すると、クローブの代わりにあの(たね)が棘のように刺さっていたのだ。    さらに薬草学の教師に(たね)を確認してもらったところ、ギャラガーが売っていたものとは違うことも判明した。  ソーン・アップルと同じ科の植物ではあるが、服用すると幻聴、催眠などの症状、取り過ぎると死に至る危険な種類だという。  マオの死因であることは間違いない。  薬の特定を恐れ、薬草辞典を盗んだのも、おそらくユードラだったのだろう。 「『トゲトゲりんご』はソーン・アップルじゃなかった。常習者のフルーツポマンダーだったんだな……」  レザンが持っていたあの(たね)を、ユードラも用いていた。  カーンにとって、最も最悪な事実だった。 「……何のために会長は、おれに違法薬の捜査を依頼したんだ。からかってたのか?」  カーンはがっくりと(こうべ)を垂れる。 「本当に会長がレザンを殺したのか?」 「まだユードラさんと決まったわけじゃないわ。それにマスターって誰のことかしら」    アリカには、何か忘れていることがあるような気がしてならなかった。だがどちらにしても彼女自身が自供したのだ、状況は悪い。  カーンは八つ当たりするように声をあげた。 「でもイゾルテたちの髪を切ったのは会長なんだろ? なんでだよ!」 「それは羨望、いや妬みかな」  きつく柳眉をひそめるガトーにアリカもうなずく。 「ユードラさん、ずっとイゾルテの歌のパートを練習してました。演りたかったんですよね、役が」 「そうだ。ユードラのしたことは犯罪だが、こんなことになるまでぼくは彼女の苦しみに気づいてやれなかった。一番近くにいながら情けないよ」 「バカを言うな! 妬みだと? イゾルテ役がいなくなれば自分が演れるかもしれない。そんな子どもじみた動機で、会長が髪切り魔になったと言うのか!?」    立ち上がり激昂するカーンに、ガトーが苦笑する。 「そう言うがカーン、きみはどれだけ『会長』を知っているんだい? 本当の彼女を見ようとしたことはあるかい? わかっているのか。自分の恩人というだけで勝手な偶像に祭り上げ、それがどれだけ、彼女のプレッシャーになっていたかということも」    ガトーはもう笑ってはいなかった。代わりにわずかな怒りが閃いていて、本当はカーンよりずっと怖いひとなのだとアリカは思った。  青ざめていたカーンをかばうこともできたが、ガトーの言葉はアリカが言いたかったことでもあった。    アリカが知るユードラは、不完全な自分に悩んだり笑ったり、日々をせいいっぱい生きている等身大の女の子だったから。 (でも、わたしの仕事はもう……)    自分の任務は髪切り魔を見つけること。  そして犯人は判明したのだ。ここでの時間はもう残り少ない。  アリカが病院の窓をのぞくと、三日月が嘲笑うようにこちらを見ていた。 「レザンを殺したのも会長らしいぜ」 「しばらく、アカデミーは休めってパパが」  学園ではユードラへの中傷が囁かれるまま、何もできない日々が過ぎていった。    ユードラは未だ目覚めず、話を聞けてはいない。ギャラガーが入手した違法薬の出元もわからないままだ。 (ここでわたしにできることは、もうないのかもしれない)  そんな中、幸か不幸かラースランドに新しいニュースがもたらされた。『ノッカー』たちによるトンネル工事が、ようやく完了したという。    アリカは、どこか他人事のような気持ちで知らせを聞いていた。これで、いつでも人間界へ帰ることができるのだ。  いや帰らなければならない。  そう言い聞かせないと、決心がつかない自分がいた。 (また、いつかみんなに会えるのかな。ううん、そう簡単に行ける場所じゃないから、しばらくは無理?)  わたり廊下から、すっかり馴染んだ学び舎を眺める。 「工事もすんだし、いよいよだねえ」  唐突に能天気な声が降ってきて、アリカはぎょっとガトーを見上げた。 「……そうですね。でも帰るのは初めから決まってたことですし」 「いや、明日の学園祭のことだけど?」  しれっとしてガトーはキャンパスを指さす。    校庭では模擬店の準備が進められている。学園に不審感が飛び交う今だからこそと、ガトーが開催を決定したのだ。 「工事もすんだし、ラースランドからお客さんがたくさん観に来るだろうなあって」 「あ、そうですか……」  見納めと思っても、いつものしたり顔に腹が立つ。 「アンニュイな雰囲気出してたね。アリカちゃん、帰りたくないんだ?」 「そんなこと言ってないです」 「ホームシック?」 「違います」 「じゃあ帰りたいの?」 「もうしつこいなあ」 「やっぱり帰りたく──」 「──帰りたくないですよ!」    アリカはほとんど叫んでいた。 「なんにも解決してないし、ユードラさんのことだって心配です! カー……みんなと会えなくなるのだって……!」  怒りながら泣くアリカを、ガトーはふわりと毛布のように包んだ。不思議と、今回は抵抗感はなかった。 「大丈夫、ユードラはきっと元気にもどって来るよ──アリカちゃん。この間、ぼくがきみを稽古場に呼んだのはね」  ガトーは、古い一枚の乗車券を手にしていた。  色あせているが、アリカが列車に乗った際提示した切符と同じものだ。 「これ、わたしのお守りの中に入ってた……?」 「そう、ヒルダが持っていたのを見てびっくりしたよ」  ガトーは少年のように無邪気に笑った。 「だって、ぼくがにあげたんだ」 「?? ──ガトーさんが、おばあちゃんに?」 「うん、人間界で会ったんだ。言ったでしょ? うなじがきれいな子」    アリカは混乱して目を白黒させた。 (ガトーさんとおばあちゃん? まさかマオさんが言ってた、ずっと忘れられないひとって……てか何十年前の話!?) 「……失礼ですけどガトーさん、今おいくつですか?」  アリカはまじまじと胡乱な目でガトーを見上げる。 「八十八歳、青年期まっただ中。ああ、人間界では〝べーじゅ〟って言うんだっけ」 「この切符は……」 「ぼくが妖精界に帰るとき、結婚しようと約束して贈ったんだよ。OKなら使ってくれって……でも、彼女は来てくれなかった。やっぱりフラれちゃったのかなー」    茶化すように頭をかくガトーの胸ぐらをつかんで、アリカは訴えた。 「何言ってるんですか、ガトーさん!」  ヒトならわかる。会いに行けなかったわけが。 「あなたと人間は、寿命が違うでしょ……!」  ガトーはきょとんと驚いた顔をする。 「遊び人を名乗る『ガンコナー』なら、少しは女心読んで下さいよ! ガトーさんとの思い出が一番大切だったから、この切符をずっと取っておいたんじゃないですか!」    なぜ自分が『妖精の眼』を持っていたか、やっとわかった。  ガトーから祖母にわたった切符を、アリカが受け継いだからだ。 (妖精にものをもらったことは?)  エルアードの質問を思い出す。  妖精界のものをもらうと視えるひとになる。  これが、広い世界へ旅立たせるおまじないだったのだ。    祖母は、祖父と結婚して幸せだったと思う。  だが彼女は時おり、鳥のように遠いまなざしをしていた。  陽のあたるテラスで、海の見える窓際で、家事のあい間に遠い世界へ思いを馳せる姿がアリカには目に浮かぶようだった。  この切符を使わなかったのが、祖母の選択だったのだろう。 「おばあちゃんは、憶えていてほしかったんですよ、きれいだった自分を!」   思い出を守るために。 「ぼくは……彼女が彼女なら、いくつだってかまわなかったんだけどなあ」  ガトーは、切なそうに微笑んでいた。アリカはガトーにしがみつき、泣きながら祖母を思った。 「ガトーさんのバカー!」  ぎゅっとガトーがまわした腕に力を込めたとき、 「お、お前ら、こんなところで何を──!」  カーンが頓狂な声をあげ、こちらを指さしていた。  泣いている女子を抱きしめる青年、どう見てもワケありだ。  赤くなって回れ右をするカーンに、ガトーがあわてて「劇の練習だよ」と弁明する。    アリカとガトーの笑い声は、放課後のわたり廊下にいつまでも響いていた。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加