第12章

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 光量をしぼったステージにぽっとライトが灯り、舞台は開幕した。  書割りの城を背景に、アリカとヒルダに出番が来る。  それぞれトリスタンの現在の本妻、元カノの姫といった役柄だ。 「トリスタンさま、トリスタンさま、わたしの心は永劫にあなたのもの」 「ダッシュの分際でェ! トリスタンはアタシのものよ!」  ヒルダの素の剣幕に、どっと笑いが起きる。  今回の舞台は脚本が大胆に改変され、美しい伝説の述作がどろどろと愛憎うずまく創作劇となっている。 「どこが多少のアレンジだ」  客席のカーンが呆れ気味につぶやいた。  となりではヘーゼル、ギルドのメンバーが腹を抱えて笑っている。    アリカはヒルダと取っ組みあいを模したマイムで絡みながら、会場を仰ぎ見た。  外の者にも物語が聞こえるよう、劇中の音声はキャンパスの野外スピーカーから聞こえる仕様だ。    すべるようにワルツが流れ、トリスタンとさしのダンスシーンへ舞台は変わる。  軽やかにガトーの腕をすり抜けたアリカはスポットライトの中、取り出したフルーツポマンダーを高くあげた。 「至上の媚薬『トゲトゲりんご』は、まだこの学園にあるわ! これをトリスタンさまに飲ませれば──」 「(アリカちゃん、台詞違う!)」  ガトーが驚いてささやく。    劇中、媚薬は「愛の薬」という重要な小物として登場する。  言い回しが変わり劇団員たちも戸惑っていたが、物語の流れに変更はないためそのままシーンは移り変わった。    その後Wヒロインは壮絶な争いをくり広げ、媚薬の効果でトリスタンは愛していたはずの元カノを裏切り本妻へ心が傾く。  赤い照明の下、憎しみのため邪妖精へとなり果てるヒルダのイゾルテ。  やがて彼女はトリスタンたちを呪い殺し、自らも命を断つという悲劇の結末へ。  皮肉あり笑いありの型破りな古典劇は、嬉遊曲の中大喝采を受け終幕を迎えた。    役者たちは一度舞台袖へ下り、すばやくカーテンコールの準備に入る。アリカも控え室で着替え直し出番を待った。  勝手に台詞を作ってしまったため団長からお咎めがあるかと思ったが、控え室を訪れたのは意外な者だった。 「エルアードさん」          「無事終わったようだね。準備はいいかな、あと三十分で出発だ」  エルアードは紳士的な所作でアリカをドアへ促したが、 「だめなんです。わたし、帰れません」  思案するようにアリカがうつむくと狼狽えた。 「何を言うんだ。任務を放棄したとしてタスクが取り消しになるぞ。警察官になれなくてもいいのかね」  だがアリカには、事件を、ユードラを放っておいて、何もなかったように職務に就くなどできなかった。 「このままでは、警察官になる前に何か大事なものを見失ってしまいます。関わった以上、わたしはこの事件を見届ける責任があるんです」  学園で出会ったみんなの顔が頭を横切った。  今なら、いつかの彼に答えることができる。 (これがわたしの正義なんだ)    エルアードは不機嫌な声色に変わり、だんだんと苛立ってきた。 「だからといって、舞台で違法薬の名を口走るなど軽率ではないかね」  アリカは顔を上げた。 「……わたし、違法薬のことなんか言っていません」 「『トゲトゲりんご』と言っていただろう」 『トゲトゲりんご』。それは確かに、ユードラが所持していた薬の名称だ。 「でもどうして、知っているんですか?」 「きみがさっき任務の報告で──」  違う、まだ特務調査書にさえ書いていない。 「ユードラさん、言っていました。『トゲトゲりんご』は、わたしとマスターしか知らないって。そのために、野外スピーカーで劇を流したんです。売人なら、きっとわたしを訪ねて来ると思って」  強張った顔で見つめられ、エルアードはうっすらと糸目を開いた。 「きみは思ったより賢すぎたな」 「それじゃあ……」  エルアードは、初めて会ったときと変わらぬ顔で微笑んだ。 「ユードラさんに何をしたんですか? あのときの彼女、明らかにおかしかった!」  アリカはエルアードを責めたが、順序立てて考えればすぐにわかった。  服用すると幻聴、催眠などの症状が現れる(たね)。  ひとを洗脳する違法薬。 「あれはもともと不安定な子でね。満たされない状況が薬で二重人格を生んだ。コントロールしやすかったよ」  エルアードは、罪悪感の欠片も感じられないさらりとした口調で言った。 (ユードラさんを『トゲトゲりんご』で操り、通り魔事件を起こさせたんだ)  徐々に彼の計画が浮かんで来る。 「レザンもマオさんも、あなたが殺したんですね……!」 「彼らを勝手に殺害したのは彼女だ。わたしの指示ではない」  エルアードは大仰に(かぶり)をふったが、アリカは受け入れない。 「いいえ、ユードラさんにはできない理由があります」 「『ディーナ・シー』といえども殺意はあるだろう」 「ユードラさんは生粋の『ディーナ・シー』じゃありません。知ってました? 半分の血を占める『セイレーン』の特質で、陸ではひとを襲うことができないんです」  エルアードの目尻がぴくりと上がった。    そう、やっと思い出した、ユードラ自身が打ち明けてくれた彼女の秘密。  彼はユードラを麻薬犯、そして最終的に殺人犯に仕立て上げるつもりだったのだ。 「なぜ彼らを殺す必要があったんですか!」  声を荒げるアリカと対照的に、エルアードはため息まじりに答えた。 「レザンはあの薬の名前を暴露したのだ。決して口外するなと言ったのに、酔っ払いはモラルがない。あの『ケット・シー』に関しては感謝してほしいな。彼女はきみに何をするかわからなかった」 「そんなこと、頼んでなんか……!」 「きみが危害を(こうむ)ったら、計画が変わってしまう」    困ったように肩をすくめるエルアード。  彼にはこれっぽっちも響いていないのだと、アリカはくらりと目の前が暗くなった。  彼はどんな目的があって、学園を窮地に追い込むような真似をするのか。  なぜ自分はこの世界に派遣されたのか。 (落ち着いて、落ち着いて考えるの)  これまでのすべての情報をカードのように頭に集める。 (妖精がきらい? 学園に恨みが? ううん)  それは売人である証拠の隠滅。  廃校になれば、人間界とのつながりも消える。 「妖精界と通じると、自分が人間界から違法薬を流したのがばれるから……!」    思わず口にした結論に、エルアードはわざとらしく手を叩いた。 「本当にきみは勘がいいな。だが残念、逆だ」 「逆?」 「あの(たね)は妖精界の原産だからね」 「エルアードさんが、妖精界から持ち出した?」 「あれは人間界の気候があうのか、向こうのほうがよく育つんだ」  その言葉に、アリカは違和感を感じた。 「……あなたは、妖精族なんですね」 「ああ、長く人間界に勤めている。だがわたしはもともと交流には反対なのだ。あの戦いに蓋をし、表面だけの友好などまるで偽善だ」 「違います、そんな凄惨な過去を受け入れて、ユードラさんはヒトに歩みよろうとしていたんです!」    誰であろうと、ユードラのひたむきな努力を簡単に否定してほしくはなかった。そんなアリカをエルアードは鼻で笑う。 「若者の夢言にはつきあってられんよ。マージナルアカデミーとの交換留学が決まり、わたしはほとほと困ってね。反対派を増やすため髪切り魔を投じることにしたのさ」    ガトーの話と一致する。  髪切り魔が出没したのは、交換留学の話が上がった頃だと言っていた。  すべて仕組まれた周到さに怒りとともに、アリカにひとつの疑惑が沸きあがった。 「まさか、列車事故もトンネルの爆破もあなたが……」  エルアードの微笑が答えだった。 「わたしは『トロール』だ。自由に地底を動き回れる」    復旧した列車で来たのではない。  初めから、同じ列車に乗り事故を起こしたのだ。  事件も殺人も、人間を入れたせいにして反対派を煽る。  このために自分は留学させられたと、アリカはようやく理解した。 「きみは大事な証人だ。無事、いっしょに人間界にもどってもらわないとね」 「そんなこと──何もかも真実を話すわ」  ゆさぶりをかけても動じもしない。目的ははっきりしているのに、何を考えているのかわからず不安になる。 「ニワトコの枝を部室において行ったのも、あなたなんですか」 「きみを孤立させたほうが事を運びやすいと考えたんだがね。きみは仲間に信頼を得ていたようだ」 「いったい、いつから……」  監視されていたのだろう。  ひとのよさそうな笑みが気味悪さを通り越し、アリカは背筋が冷たくなった。 「そうそう、きみの友だちのカーン・ウォーケン」  思いがけない名前が出て、ぎくりと身をすくませる。 「彼、人間界にいたって知ってるね? チェンジリングの話、憶えているかい?」 「……どういうことですか?」    なぜいきなりカーンの話など。嫌な予感がする。  だが頭では、ひどく冷静に理解していた。  人間と妖精の子どもを取り替えるという妖精族の悪戯。  もうこの世界へ来て何度か聞いた話。 「今から百年以上前、ラースランドができた頃のことだ。わたしはあの(たね)の栽培のため、ひそかに人間界への移住を考えていた。しかし我が種族が人間界へ行くにはひとつのルールがあってね。それがチェンジリング──とりかえっ子だ」 「カーンを、妖精界へ連れて来たのはあなたなんですか!?」    エルアードはなんの悪意もなくうなずく。  しかし百年以上前というのはおかしい。  カーンがユードラの屋敷の前で行き倒れていたのは、十年前のはずだ。 「あの日人間界へ着いたわたしは、庭で遊ぶカーンを誘い出し、妖精の子と取り替えた。ところが幼児のカーンを乗せたラースランド行きの列車が雷に打たれ、到着の時代が変わってしまったのだ」 「時代が?」 「天候や乗車券の状態によっては、列車は時を違えるらしい。やつが着いたのは発車から百年後。つまり、十年前の妖精界だ」    信じがたい事実にアリカは愕然とした。 「では、彼の両親はその妖精の子を育てているんですか?」 「木切れを子どもに見立てた悪戯だ。とっくに魔法は解けている」 「ひどい……」    どのみち百年以上前ではとっくに亡くなっているだろう。  両親から離され、知らない世界、まだ見ぬ時代へひとり飛ばされてしまったカーン。どんなに心細かったことか。 「カーンはあなたのせいでひとりぼっちになったのよ!」  エルアードは、わなわなとひざをふるわせるアリカを楽しげに見た。 「だからわたしは、彼を百年前のもとの世界へ帰してやろうと思ってね」 「カーンは列車に乗れないわ」 「それはチェンジリングのせいさ。わたしが呪を解けば乗車できる」    アリカにも飲み込めてきた。 「わたしが交流を阻止する証言をすれば、カーンを人間界へ、両親のもとへ帰してあげるんですね」 「もちろんだ。そしてすべて終わったら、『妖精の眼』も返してもらう」 「……!」  思わず後退る。 「きみがそれを持っていると、後々わたしにとって厄介なことになる。ああ、怖がらなくていい。痛みなどない、ただ左目が失明するだけだ」  エルアードの笑い声が、どこか遠くに聞こえた。  妖精が視えなくなるだけではない、視界が失われるのだ。  片目といえども、それは恐怖だった。  いつの間にか、小型の拳銃を向けられていた。 「時間がない。早く決めたまえ」 「……わかりました。最後にカーテンコールへ出させて下さい」 「いいだろう。ただしおかしな真似をしたら、きみの大事な友だちが、何人か銃弾に倒れることになる。くれぐれも本当のフィナーレにならないように」
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