第12章

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 アリカも顔を上げて、まばゆいライトの下へ踏み出した。  あいさつは、役者も劇団員も全員がステージに並ぶ。足は小刻みにふるえ、冷や汗が背を伝った。 (どうしよう、どうすればいい?)  客席のすみでエルアードが見ている。言葉を発することはできない。  このまま彼の言う通りもどるしかないのか。    いっそ、そのほうがいいのかもしれない。そうすればカーンはもとの世界に……  そのとき、カーンの声が聞こえた気がした。    ──みんながいる    たとえカーンが本当に声援を送ったとしても、聞こえるはずはない。客席は遠く、表情など見えないのだ。  だがアリカの胸には、確かであたたかな脈動がもどって来た。 (そうだ、わたしにはギルドのみんながついている。ヘーゼルも、カーンも──!)    アリカはほかの劇団員がするように、客席に向かって手を上げた。  くり返し、サインを織り交ぜながら手をふる。 『パー・グー・パー』。  カーンは怪訝な顔で舞台を見上げている。となりにすわるヘーゼルも首を傾けていた。 (気づいて)  笑顔で拍手に応えながら、アリカの額を汗が伝った。 (助けて、カーン──!)    カーンは突然立ち上がり、その場で空気を思い切り吸った。  鼻腔に何かを感じ取ったのか、後方をふり返る。標的に焦点があった瞬間、蒼氷色(アイスブルー)の瞳が光を帯びた。    ピィイイー──!  カーンのゆび笛が劇場に響きわたる。  バサッと遠くで羽ばたきが聞こえたかと思うと、劇場にみるみる大きな翼が近づいて来た。  風を巻き込み、派手な轟音とともに入って来たのはドラゴン便だ。    会場は何事かと大騒ぎになった。エルアードもあわてて逃げ惑う。 「荷物、三時の方向!」  カーンのコマンドに、ドラゴンは無骨な爪でターゲットの躰をつかんだ。 「──なっ! 放せこのっ!」  両腕を拘束されエルアードは足をバタつかせるが、ドラゴンは高みへ舞い上がった。 「列車が出る! わたしの力がないと、そいつは人間界へ帰れないぞ、イチヒノ!」  わめくエルアードを、 「後は任せたぞ!」  と《黒妖犬(ヘル・ハウンド)》のメンバーに託けると、カーンはアリカの腕をつかんで走り出した。 「──わ、わたしの合図、わかったの?」  息を切らし、アリカはカーンに確かめた。 「お前が言ったんだろ。『SOS』はピンチのサインだって。数字の『505』を指の数におき換えたら『パー・グー・パー』、安直だ」    聞き慣れた憎まれ口が今はほっとする。 「でも、どうして彼が犯人だって……」 「会場から、あいつだけが麝香の香りがした」    カーンは学園の敷地を出て、ラースランドの駅を目指す。すぐにターミナルのガレリアが見えて来た。  列車はもうプラットホームに待機している。 「お前は人間界へ帰るんだ」 「ちょっと待ってよ、まだユードラさんのことだって……それにカーン、エルアードの力を借りれば人間界へ帰れるのよ」 「それと引き換えにお前は何を失う?」 「それは……」    カーンは見透かすように深くアリカを見た。 「おれなんかのために……本当にバカだな」  そう言うと、カーンは突然アリカを引きよせた。  首の辺りで、かちりと音がする。 「ヒルダに池にもぐって、鍵を見つけてもらった」  首環がかしゃんとはずれ地に落ち、驚く間もなく、カーンがアリカの首すじに歯を立てた。  「痛っ、何を──!」 「〝乗れ、列車に〟」 「いやだったら! あっ?」  足が勝手にタラップを踏む。 「ど、どうして?」    どん、と強く肩を押され、アリカは乗降口に倒れ込んだ。ホームに立つカーンの口もとには小さく血痕がついている。  はっと自分の首に手をやり、ヒルダの言葉を思い出した。 (牙でも立てられて噛まれたら──相手の操り人形になっちゃうんだから) 「血の誓約(ゲッシュ)……! でもまだ、マスターはわたしのはずよ!」 「お前はメンバーみんなで解任した。もう、おれがマスターだ」 「リコールを起こしたのね! ひどい、そんな勝手に……!」  ドアが閉まるのに、アリカはもう身動きがとれない。  カーンは小さく笑い、うつむいて言った。 「いつか学園にニンゲンが来たら、少しでも守ってやれればと思ってた──」    列車はゆっくりと走り出す。  追ってホームのはしに来たカーンの口が「さよなら」と動いたが、汽笛にまぎれて声は聞こえない。  人影は点となり、やがて何もかもが煙にまかれ見えなくなり、アリカはひざをつきその場に泣き崩れた。
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