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第2章
驚いたことに、街に見えた通りや広場はすべて学園の敷地だった。
簡易的だが、銀行や郵便局などの公共施設もある。さしずめ学生は、学園都市の市民といったところか。
辺境と聞いて失礼ながら勝手に荒んだ環境をイメージしていたアリカは、想像以上の壮大な規模にさっきの事故も忘れ心が沸き立った。
(素敵、ほんとに留学してもいいかも!)
わくわくと建物を見上げるアリカを最後尾に、ユードラとガトーはローズグレイの煉瓦造りの学舎群に入る。
上階の一室、蔓草模様の壁紙が貼られた格調高い執務室が生徒会室のようだ。
「アリカ、学園はあなたを歓迎します」
正面の飴色の机にユードラがすわり、改めて口上を述べる。
「とんだアクシデントが起きましたが、わたしたちがあなたの乏しい異文化と交わりたいことに変わりは」
「はいはい会長、その前に」
天然の暴言を阻止すべく、ガトーが口を挿んだ。彼は副会長らしい。
「アリカちゃん、実を言うとね、今きみは人間界とは別の世界にいるんだ。信じられないかもしれないが、それはまあたいした問題じゃない」
比喩でなければ問題にしたい案件だが、ユードラもうなずき、
「そう、問題は列車とトンネルです。列車が無人で、そのうえトンネルまで爆破されるなんて陰謀を感じます。現在調査中ですが……」
と困ったようにガトーに言葉をつないだ。
「唯一の入り口だったトンネルが壊されてしまった。つまり、工事がすむまで、アリカちゃんは人間界には帰れない」
──人間界。
ガトーは列車の中でもそう言っていた。
特区への交通経路がそれだけというのもおかしな話だが、交信も列車での郵送のみだ、本当に道は一本しかないのかもしれない。
調査書は書きためて提出するつもりだが、その前にここはどこなのだろう。
アリカは、無意識に尋ねていた。
「トンネルの向こうが人間界なら、こっちは……?」
「異世界特区『ラースランド』。そしてここが我が学園都市『マージナルアカデミー』です、貧困の君!」
ユードラが『清貧』と掲げた豪華な額縁の下でまぶしく微笑んだ。
「大変なことになりましたね」
生徒会室の外では、ヘーゼルが待っていた。
学生寮まで案内してくれるという。広大な敷地内を歩きながら、アリカは今ひとつ理解できない妖精界の仕組みを訊いてみた。
「大昔のことですから、ぼくも知識として覚えてるだけですけど。あの戦いの後、妖精族は別次元に通路を開いて、ヒトの干渉できない世界で生きて来たんです」
「じゃあ、ラースランドはどこにあるの?」
「妖精界と人間界の、あわいの地です。結界が張ってあって、列車でしか通り抜けできない場所です」
まったく理解できなかったが、つまるところやはり異世界であろうか。
顔色の冴えないアリカが不安そうに見えたのか、ヘーゼルが純朴な瞳で笑いかける。
「大丈夫ですよ。ラースランドは行き来できるタイプの異世界ですから」
「でも、もどったら三百年後だったりとか……」
「ミスターウラシマ! 知ってる、トラベラーのレジェンドですね」
(ほんとに大丈夫かな)
「安心して下さい。ラースランドの時間軸は、基本人間界と同じです。ちょっとした海外留学みたいなものですよ」
「……そ、そうね」
留学と偽っているのが心苦しく、アリカは苦笑いした。
寮は、古いが歴史あるホテルを改装したような、由緒正しい雰囲気だった。ヘーゼルがドアを開けると、ふわりとスパイシーな香りに迎えられる。
香りのもとは、左右の柱にリボンで吊るされた奇妙な球体だった。
カビだらけのボールに鋲が生えたような、面妖な星球武器の形をしている。
見たことのない飾りを前に妙な顔をしていたのだろう。ヘーゼルが手に取ってくれた。
「これは『フルーツポマンダー』。
乾燥させたオレンジやりんごにクローブを刺して、シナモンをまぶしたポプリの一種です。香りのお守りで、たいてい自室や部室に飾られていますよ。スパイスの調合も好みなんです」
「わ……」
リボンをつまんで軽くゆらせば、果物のさわやかな香りが広がる。妖精独自の文化だと思っていたら、人間界でもクリスマスには作る地域があるという。
せっかくなので、アリカはヘーゼルにレシピを頼んだ。
広い玄関ホールの敷居をまたぐと、ねじれた手摺の階段がなだらかなカーヴを描き降りていた。
アリカが到着するやいなや、学生たちがぴょこぴょこと二階から顔を出す。諸所で、動物の鳴き声に似た囁きが聞こえた。
一身に視線を浴び緊張気味のアリカに、ヘーゼルは笑いかける。
「大丈夫、ニンゲンの女の子がめずらしいだけですよ」
「でも、みんなヒトにしか見えない」
獣の耳やツノが生えている者もいるが、ハロウィーンの仮装のようで、見た目は人間と変わらない。
もともとアリカが知る妖精とは、絵本の挿絵などで描かれる薄い羽を持った、幻のような生き物である。
だがここに、花と戯れるようなメルヘンなフェアリータイプは見当たらない。
「これから人間界と行き来する機会もありますから、できるだけヒトの形態を取るよう言われています。ぼくは『レプラコーン』。靴職人の妖精です」
ヘーゼルが改めてにっこりと自己紹介をした。
「それで靴や足の構造にくわしいのね」
アリカが感心してうなずく。
「あ、ちなみにガトーさんは『ガンコナー』。女性を誘惑するのが仕事の遊び人」
(それは仕事でなく性分なのでは)
胸中呆れるアリカに、ヘーゼルのまなざしが一転憧憬にきらきらと瞬く。
「会長のユードラさまは、大王の血をひく『ディーナ・シー』の一族です。学生とギルドのことを一番に考えて下さる、すばらしい方ですよ」
彼女を心から尊敬しているようだ。副会長のガトーとの紹介の差が、わかりやすいことこのうえない。
「そうだ、ギルドっていうのはですね」
「あらヘーゼル、帰ったの?」
ふり向くと、蒼く艶やかな縦ロールのポニーテイルをリボンで高く結った女性が、数人の取り巻きをともなって階段から降りて来た。
スカートからのぞく美脚がグラマラスな迫力美人である。
ヘーゼルがさっと言葉を添える。
「寮長のヒルダさんです」
「ようこそ、マージナルアカデミーへ。待っていたのよ」
体格のいい高身長の上体を堂々と反らし、ユードラよりも女王然としている。
「これからあなたの歓迎パーティを用意しているの。大ホールへいらしてね」
パーティ、大人数が集まる催しだ。学生を観察するいい機会である。
アリカは喜んで応じた。
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