第2章

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(急いでトランクにつめてきたけど正解だったわ)  ホールへ入るなり、鉄線柄の浴衣姿のアリカはたちまち学生たちに囲まれた。 「素敵!」 「クレマチスの模様ね!」  民族色豊かなキモノは、やはりどこの世界でもうけがいい。  みな口々に褒めてくれる。 「今のきみ、とてもファンタスティックだよ☆」  女の子をぞろぞろとひき連れたガトーも、板についているであろう歯の浮くセリフでウィンクを飛ばしてくる。    アリカからすれば、吹き抜けの上階を自前の翼で羽ばたく者、ホールの薔薇窓より輝く瞳を持つ者と、彼らの存在のほうがよほど幻想的(ファンタスティック)で瞬きもできない。 「すごいわねえ、本物の妖精……」  ひらりと舞い降りる『エアリアル』に目をチカチカさせるアリカに、ヘーゼルが驚いて尋ねた。 「飛翔系の妖精は人間には視えないって聞いてますけど、アリカさんは視えるんですね」    これがどうやら『妖精の眼』のおかげらしい。 「さすが留学生に選ばれるだけあるわね!」   再びわっと歓喜の声があがった。だが、 「今いくつ?」 「人間界ってどんなところ?」 「しっぽは何タイプ?」  と質問攻めで、なかなか彼らを観察するひまがない。  木苺入りソーダのウェルカムドリンクを横目で見ながらやや息切れしてきたとき、群衆の中からヒルダが現れた。 「まあみなさん、アリカさんを困らせてはだめよ」  うふっと笑うと、軽やかにアリカを連れ去る。  広間中央のテーブルに案内され、すぐに料理も運ばれて来た。 「どうぞ、召し上がれ」  ハーブと花のサラダやくるみのリゾットなど、ごちそうがずらりと並ぶ。  目にもおいしそうではあるが、まずは飲み物がほしくて席を立とうとしたとき、ヒルダがさえぎるようにとなりにすわった。 「ところでアリカさん、ギルドはお決まり?」 「ギルド?」 「ええ、人間界ではクラブとかサークル、って言うのかしら。わたし、パーティを企画する夜会研究会、《淑女の宴》のマスターを務めているの。よかったら──」    どうやら誘われているようだ。しかし、ここは捜査が優先でほかに割り当てる時間はあまりない。  それ以前にアリカは、部活動に苦手意識があった。 「わたし、ギルドはちょっと」 「あらだめよ、この学園では必ずどこかのギルドに属することが義務づけられているの。ウチはイベント盛りだくさんで楽しいわよ、どう?」    ヒルダは逃さないとばかりに、しっかりとアリカの手をにぎる。  彼女は社交家で、学生に顔が広そうだ。助力を得るためには断らないほうがいいのだろうかと、迷ったそのとき、    どん、と肩に誰かがぶつかり、ドリンクがアリカの浴衣にこぼれた。 「──ああ、これは悪い」  数刻前、アリカの下敷きになった少年が、たいして悪いとも思っていない口調で手にしていたシャンパングラスをおく。 「染みになったな、こっちへ来い」 「あ、ちょっと!?」  眉を吊り上げるヒルダを無視し少年はアリカの手をひくと、なぜか階下の食堂(リフェクトリー)へ連れて行った。    誰もいないフロアの中、彼は何か言いたげに硬質な目でじっと見つめる。濃灰色の前髪の間からは、ハスキー犬のような蒼い瞳がのぞいている。    アリカは沈黙に耐え切れず、混乱しつつも尋ねた。 「あ、あの、染みは……」 「あれはただの水だ。お前をここへ連れ出すためにわざとこぼした」    とたんにアリカは赤面する。  彼はわざとアクシデントを起こしたのか。アリカが勧誘に困っていることに気づいて。    そう考えると、土手でのあの敵視線も何やら熱いまなざしに思えてくる。 (わたしのこと、気になる裏返しだったのかな?   うふふかわいい。名前なんだっ──)    ──ガン!    突如テーブルに頭を押さえつけられ、アリカは一瞬何が起きたかわからず頭がまっ白になった。  少年はいきなりアリカのうなじに顔を近づけ、くんと首すじの匂いを嗅ぐ。 「ギルドはまだ決まっていないようだな」 「ちょっ……!」  見かけに反する剛力で、ばたばたと暴れるアリカを固定し、少年は唸るように囁く。 「お前何者だ」 「──わ、わたしはふつうの留学生よ!」 「ふつうと名乗るところがなお怪しい。お前が来てから列車とトンネルに事故が起きた」    それについては自分も下手をしたら犠牲になっていたのかもしれないのだが、弁解するひまもなくぐいと髪をつかまれ、反ったのどに爪を立てられる。 「痛っ、な何を──!」 「覚えているな? お前には貸しがある」    かちゃり、という鈍い金属音がして、犬のような首環が装着された。間をおかず、息を切らしたヒルダがリフェクトリーに飛び込んで来る。 「カーン、あんた彼女に何をしたの!?」 「一足遅かったな。こいつのギルドは決まった」  ヒルダの肩が戦慄いた。 「彼女からお金を巻き上げるつもり?」 「お前もそのつもりだったんだろうが。ニンゲンは金持ちだからな」 「……っ、この駄犬が! 学園の番犬のくせに!」 「おいおい、《淑女》の本性が出てるぞ」    あっはっはと腹を抱えると、カーンは首環の鍵を指で回しながら出て行った。ヒルダがキッとこちらを睨み、リフェクトリーを飛び出す。  アリカだけが納得いかないまま、呆然とフロアに取り残された。 「……すみません、先にギルドのこと、伝えておけばよかったです」  ホストの機嫌を損ね即座にお開きとなったパーティホールで、ヘーゼルが申しわけなさそうに(こうべ)を垂れた。 「ヘーゼルのせいじゃないわ。急にヒルダさんに誘われたんだもの。あいつのことだって初めに関わらないほうがいいって、あなたが助言してくれたのに」 (まあ、接触して来たのは向こうだけど)  だがこうなると、恩を売るためにわざわざ助けたのではと訝ってしまう。 「それはそうとこれ、どうにかならない?」  アリカは、はめられた首環を力任せに引っ張った。 「ギルドマークですね。残念ながら……ギルドを辞めるときにしかはずせません。  各ギルドには所属の印のギルドストーンがあって、天然石を使ったアクセサリーで身に纏うことが多いんです」    確かに、首環には黒い石がはめ込まれている。ヘーゼルは同情するように、石が縫いこまれた自分のギルドマークをアリカに見せた。 「うちはこういう腕章で、ほかのギルドもピアスやブローチとかです。首環なんて悪趣味なものつけるの、《黒妖犬(ヘル・ハウンド)》だけですよ」 「《黒妖犬(ヘル・ハウンド)》?」 「犬の妖精『クー・シー』、カーン・ウォーケンのギルドです。  彼以外、闇のエルフ(デック・アールヴ)で構成されていて、学園自治の活動をしています。  彼はまだ十六ですが、アカデミー一鼻が利く監査官(センサー)で、校則違反を取り締まれば《万神庁(パンテオン)》──あ、生徒会のことですけどそこから部費が出るんです」 「あんな少年が? 監査官(センサー)?」 「ええ。でも実際、因縁をつけては強引に捕まえるのがカーンのやり口で。  肩書きは学園の護りだから、みんな何も言えないんですよ」    悪ガキ、のひと言で片づけるには悪質過ぎる。アリカは、首環の上からのどに手をあてた。爪を立てられた箇所は小さな傷になっていた。 「ギルドって、絶対に入らなきゃいけないの?」 「学生の自立心を養うのが我が校の方針で、授業の後はギルドでみんな働くんです」 「学校で仕事?」  アルバイトのようなものだろうか。 「そう、ものを売ったり店を開いたり。《黒妖犬(ヘル・ハウンド)》はさっき言った通りで、ヒルダさんのギルド《淑女の宴》は、パーティメインのイベント会社です」 「じゃあ、ヘーゼルは靴屋さん?」 「いえ、靴は趣味で作りためているだけです。  昔は妖精といえば踊りが趣味で、靴を頻繁にすり減らしていたそうですが、今の時代みんな踊りなんてやらなくて……靴にこだわりもないからあまり儲からないんです。  ぼくは《きのこの針山》という手芸ギルドをひとりでやっていて、頼まれた小物や鞄、アクセサリーなんかを作って稼いでいます」    ヘーゼルはしゅんと肩を落とした。本当はもっと、靴作りをしたいのかもしれない。 「どこの世界も経済は厳しいのね」 「そんなのんきなこと言ってる場合じゃありませんよ。ここマージナルアカデミーでは、ギルドは生活の糧なんです。一定期間収入が止まると、廃ギルドになってしまいます。所属すらしなかったら──」 「ほ、本当に貧困の君に?」  ようやく現状を把握して、アリカは考え込んだ。 「仕事がなかったらどうするの?」 「学園に在籍したかったら、どこかギルドに入れてもらうしかありません。でも収入が皆無で学園を辞め、ラースランドにもどる者もいます」 「学費が払えない学生が出るんじゃ、本末転倒じゃない」 「人間界と違って学費はかかりません。稼ぐのは生活のためです。  朝夕の食事は寮で食べられますし、試験上位者にはボーナスだって出るんです」    勉強してお金がもらえるとは、なんとありがたいシステムだろう。 「ヘーゼルはどのクラスなの?」 「……ぼくは、最下位のコケモモ組です」  悄然とうつむくヘーゼルを、懸命にフォローする。 「コケモモ、ジャムにしたらおいしいよね……」 「地を這うように生えるから、このクラス名になったそうです……」  ボーナスへの道のりは険しそうだ。  だがクラス編成は、ギルドに加えてさらなるダメージをアリカに与えた。 「一◯五人中……九十番!?」    翌日返って来た成績表を、アリカは愕然と凝視した。初日に、入学のための学力試験が行われたのだ。 『アリカ・イチヒノ  コケモモ』    廊下に掲示された張り紙の前に、あんぐりと口を開けて立ち尽くす。  仮にも人間界では結構な倍率をかいくぐって進学校へ合格したのだが。 (そ、そりゃ、妖精学の知識なんてないけどー!) 「《黒妖犬(ヘル・ハウンド)》なんて野蛮なギルドのメンバーは、やっぱり底辺ね」  ヒルダがストレートな嫌味を吐いて、廊下を通り過ぎて行く。  ぽん、とヘーゼルが憐憫のまなざしでアリカの肩を叩いた。
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