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第3章
「だから言ったじゃないですか、面倒なことになるって……」
「だって、あんな横暴なやり方許せないわ」
授業後の掃除時間。立腹するアリカに嘆息しながらヘーゼルはもくもくと箒を動かす。
「嫌がらせにかけてはあいつ、天下一品なんですよ」
あのませた口ぶりを思い出すだけで癇に触る。
「『クー・シー』って性格悪い妖精なのね」
「カーンだけです。『クー・シー』はもともと番人が仕事で、真面目な妖精がほとんどです。
《万神庁》の騎士団や警護にも、犬族が多いんですよ」
そう言われても釈然としない。
だが冷ややかな目がアリカを一瞥する学園の中、生徒会以外ではヘーゼルだけが変わらず接してくれるのはありがたかった。
あれから、男子も女子も遠巻きにアリカをうかがうだけで、接触を試みても逃げられてしまうのだ。おかげで、捜査はまったく進んでいなかった。
「それはそうとアリカさん、『犬小屋』に呼ばれてませんでした?」
「犬小屋?」
「《黒妖犬》の部室ですよ。一五八号室」
カーンの命令を、すっかり忘れていた。
「ぼくそろそろ仕事があるから行きますね。アリカさんも早く行ったほうがいいですよ」
心配そうに、ヘーゼルは裏庭を出て行く。
(授業の後は、ギルドで働くのが学園の決まりだって言ってたっけ)
しかし悪行三昧のカーンのギルドなど、ブラックに決まっている。やってられないと、開き直ってアリカが寮にもどろうとしたそのとき。
ちくり、と虫刺されに似た小さな痛みを首もとに感じた。
首環にふれると、何やら違和感がある。アリカは、校舎の窓ガラスに映る自分の顔を見て卒倒した。
首に、多数のトゲがワラワラと蠢いている。よくある犬用のスタッズとは異なる、節足動物のような異様な脚が、首環から生えているのだ。
ギルドマークが、生きている。
「きゃああああ!」
裏庭に響く悲痛な悲鳴に、近くにいた学生たちがふり返った。
首環はグロテスクな形状に変わり、金属のムカデのようだった。
虫は大の苦手だ。動けば今にも攻撃されそうで、アリカはずるずると校舎の壁にもたれすわり込んだ。
「あらあら、大変」
涙目で見上げると、楽しげな表情でヒルダがのぞき込んでいる。
「あんた、呪いをもらっちゃったのね?」
「の、呪い?」
「カーンに逆らったんでしょう」
(──放課後、ギルドに来い)
あの高圧的な声が甦り、アリカの胸に嫌な予感がせり上がって来た。
「ギルドストーンについては、あんたも知っているでしょ。各ギルドの所属の印で、メンバーが常時身につけるものだって」
ヒルダが額に垂れた髪をかき上げると、蒼い石が耳にゆれる。
「ただ血の誓約を交わしたメンバーだけは、ギルドストーンを身につけた瞬間から従属の関係が生まれるの。
ギルドマスターの命令は絶対よ。破れば、呪いが発動するってワケ」
(血──)
あっ、とアリカは首に手をやった。
あのときカーンが爪で引っ掻いた傷。このためだったのだ。
「爪でよかったじゃない。牙でも立てられて噛まれたら、呪いじゃすまないわよ。相手の操り人形になっちゃうんだから」
まんまと罠にはまったことを知り、アリカはわなわなとこぶしをにぎりしめる。
「辞めます、こんなギルド!」
「一度血の誓約を受けたら、マスターの許可なしに抜けることはできないわ。過半数のギルドストーンを集めて、ギルドを乗っ取るなら話は別だけど。ま、あんたじゃ無理ね」
「そんな……」
絶望的な表情のアリカに、「でも」とヒルダは悪戯っぽく囁く。
「ひとつだけあるの、メンバーの意志でギルドを退会する方法。
教えてあげましょうか」
「できるんですか?」
「ええ、呪縛も解除できるわ。その代わり、首環がとれたら──」
「《淑女の宴》に入ります!」
ヒルダが我が意を得たりと、にぃと笑った。
どれだけ運営費を巻き上げられようと、こんな非道な仕打ちをするカーンの下よりはましである。
(封建時代じゃあるまいし、どこまで独裁者を気取れば気がすむの)
アリカは肩を怒らせてずんずんと部室棟を目指した。『犬小屋』のドアの前に立ちはだかり、となりをちらりと見るとヒルダがうなずく。
作戦があった。アリカの役目は、まず初めに部室にいるカーンを廊下へ引っ張り出すこと。
そして、ヒルダが彼を捉えたすきにアリカが──
だが、一五八号室にカーンの姿はなかった。
(自分が来いと言っておいて、どういうこと?)
沸き立つ怒りを抑えつつも部員に行き先を尋ねるが、彼らも知らないようだ。
「伝手総出で捜すわよ」
ヒルダは《淑女の宴》を総動員し、カーンの行方を追った。彼らはキャンパスの学生を捕まえては、カーンについて尋ねて回る。
ギルド最大手だけあって瞬く間に知らせは集まり、ヒルダの持つ情報網の広さにアリカは驚いた。
「カーンは『語り部の森』へ向かったようです」
部員の報告に、ヒルダはふんと眉を跳ねる。
「点稼ぎに出かけたみたいね」
「どういうことですか?」
「『語り部の森』は犯罪の温床だから、あまり立ち入らないよう《万神庁》からおふれが出てるのよ。一般生徒はまず近づかないわ。風紀違反のネズミ捕りには、もってこいってワケ」
「犯罪、ですか?」
「えーえ、校内ですら私刑にカツアゲと学園も平和じゃないのよ」
こちらの世界もなかなか問題はあるようだ。
いちおう部室を訪ねたからか、首環は今のところもとにもどっている。
アリカたちは森へ入ることにした。
「ヒ、ヒルダさん、怖くないんですか……」
霧の湧く湿った苔の道を歩きながら、アリカはきょろきょろと辺りを見回した。
下を見れば絶対に食べてはいけない系のきのこ、上方にはぎゃあぎゃあと集るカラスの群れと、なんとも物々しい雰囲気。
「アタシに怖いものなんか──いたわ、あいつよ!」
鬱蒼とした木々の中、灰色の小さな影が前方に見えた。
カーンはこちらに気づくと、舌打ちをし走り出す。ふたりに見つかって逃げたのは明らかだ。ヒルダは奸計の笑みを浮かべ、瞳孔を縮めた。
「何か捕物で裏取引でも犯したんじゃないかしら。怪しいわ」
校則を取り締まる監査官が財布をかっぱらうくらいだ、ありえないことではない。
ふたりがカーンを追ってなおも奥へと進むと、視界が開け光が射し込んできた。
眼前に、ちょっとした湖ほどもある大きな澄んだ池が広がる。
こちらの桟橋には、お椀をひっくり返したような小舟がこれに乗って来いと言わんばかりにつないであり、中央の浮島にカーンが立っているのが見えた。
(あんなところで、ひとりで何をしているの?)
訝しげに目を細めるアリカをおいて、ヒルダはさっさと進む。
「ちょっと待って下さい、罠かもしれ──」
言い終わらないうちにアリカはヒルダに襟もとをつかまれ、水上へ放り投げられた。
「ひゃああああぁ!」
ヒルダは自分も跳び上がり、落ちて来たアリカをどんな腕力を以ってかキャッチする。そのまま抱きかかえると、浮島に華麗に着地した。
アクロバティックな業に腰を抜かしたアリカだったが、もっと驚くことに、ヒルダは瞬殺でカーンを水際に追いつめ羽交い締めにした。
彼女のほうが高身長とはいえ、なんという怪力か。
「何をしてたワケ? もう逃げられないわよ」
「……」
「まあいいわ。あんたの闇稼業なんか興味ないし。さっさとこの子を解約なさいな」
カーンはやはり無言のままだ。
アリカは、身動きが取れないはずの彼が落ちつきはらっているのが不気味でしょうがなかった。ヒルダがイライラしてきたのがわかる。
「しょうがないわね。アリカ、ひと息にやっちゃいなさい」
わたされた鋏を、アリカはにぎりしめる。気分は、姉に急かされ王子を殺めんとする人魚姫だ。
(これで、こいつの……)
「わかったわかった、降参だ。誓約は解いてやる」
鋏を見たからか、カーンは大仰にため息を吐いた。
ヒルダがにやりと笑い、腕をゆるめる。
カーンはあきらめたふうに首環の鍵を取り出し──
池へ投げた。
(え?)
一瞬を突いて、カーンはヒルダの顔に頭突きし後方へ跳んだ。顎を押さえた美貌が憤怒に変わる。
「おのれェ! この場所でお前に勝ち目はないわ!」
アリカは仰天して目を見開いた。カーンがそのまま池に飛び込んだからではない。水に足を踏み出した彼女の躰が変形したのだ。
制服に裂け目が入りみるみるふくらむ。
首が伸び胴が伸び、脚はたくましく隆起する。蒼い髪はなびくたてがみへと変わり、蹄を立ち上げ高らかに嘶いた白いその姿は、
(う、馬────!?)
ヒルダ(馬)は、カーンを追って自分も池に飛び込んだ。アリカはなすすべもなく、うろうろと波打つ水面をのぞく。
その瞬間、派手な水しぶきとともに、水中からヒルダ──らしき者が叫び声をあげ飛び出した。
「ぎゃあああぁ!」
アリカの目は、衝撃でゴマ粒ほどに収縮していたかもしれない。
その人物がヒルダだとしたら、蒼い髪は無尽に乱れ、表情は恐怖にゆがみ、地面を転げ回る裸体は男性のものだったからだ。
浮島に上がったカーンは、惚けたアリカから鋏を取り上げると、躰をくの字にして縮こまった彼の髪に刃を当てた。
「やめてェ!」
ヒルダが悲痛な声をあげる。
作戦は、「ヒルダがカーンを捉え、アリカが彼の髪を切る」だった。
誓約の契約者はマスターの髪を切ることで、その呪いを解くことができるのだという。
おろおろと戸惑うアリカだったが、全裸の男性が目の前にいては正視できない。自分のジャケットを、そっとヒルダにかけてやった。
よくよく思い返せば、初めから男性だった気もする。
「お、オカマさんだったんですね……」
「オネェよ!」
ヒルダはアリカのジャケットを腰に巻き、つけまつ毛の落ちた凄まじい形相でかぶせてくる。それにしても、いったい池で何が起こったのか。
「確かに水中じゃ、水馬のお前──『アッハ・イシュカ』にはかなわない。だが……」
カーンが持っていた蓋の開いたビンをぽいと投げると、ヒルダはひぃと飛び退る。
「お、覚えておきなさい!」
ヒルダはキッとこちらを睨むと、馬並みの俊足で池を飛び越えて行った。
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