要恭弥

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要恭弥

 タイムアウト後、コートに戻る摂田は「ごめん! 僕が皆の打ちやすいトスを責任持って上げるからコートに入れて!」と改心の言葉を口にした。次いで、自身の頬を両手で強く叩いてメンバーを若干引かせた。その行為で摂田は、本当に気持ちを切り替えるらしい。  傷む寸前の熟れきった林檎のように、摂田の両頬は赤かった。    こちらのサーブから始まった巻き返し戦。実を言うと、セットも先制されているので、本当に後のない戦いである。  サーブが存外いいところに入った。そのせいで返球は大きく、ネットを超えそうだ。一番得策なのは要をはじめとするブロッカーが相手陣に直接叩きこむ方がいい。  だが、現状は真ん中に立つ摂田のところへと飛んで来る。  要はいつもの摂田のプレーから察知して「強打来るぞ!!」と後衛に指示を出した。その声から後衛が強打に対するレシーブ体形を作る。いわずもがな、相手は叩き込むモーションをとる。これでもし、強打ではなければ摂田と同じようなプレーをする選手だと嘲るところだった。  即ち、積極性のないサボったプレーだ。    だが、この予想は大きな誤算を生んだ。  それは相手も手出しができない程の大きさでこちらへボールが返って来たこと、それと何よりは「速攻!!」と言ってからフェイントで片手トスをしたのは、サボり魔になっていた摂田だった。  ノールックでレフトのアンテナいっぱいまで飛ばされたボールは、余計な回転などなく速攻のスピードでスパイカーへと繋がれた。  接田の声に驚きはするものの、接田とのコンビは幼少の頃からやっている。  反応こそ遅れたが、テンポ感は間違えない。憎たらしい程完璧なボールを寄越されて、要が決めないわけがなかった。  そのおかげで連続得点にはなったが、要は開いた口がしばらく塞がらない。  大ピンチだが、風向きが一気に変わったのを肌で感じた。摂田の一つの変態的とも言えるセットアップで。  しかし、ここでもまたこちらからのタイムアウトで流れを途切れさせる。焦れったく思ったが、監督の思惑はすぐに分かる事になる。  ベンチに下がってきた摂田が誰かの指示を待つ間もなく、マイテーピングらしきものを持ち出して真剣な面持ちで巻き直し始めたのだ。丁寧に、慎重に。   「よし」という合図から摂田はすぐに要のいる輪に戻り、次の策を共有する。歴とした「司令塔」として機能し出した摂田。  要はこの摂田を望んでいるはずだった。輪の中で話す摂田はいつも通り。だが、プレースタイルは先刻までの摂田とまるで別人。もはや手を抜いて要たちに合わせていた、と言われても疑念の余地はなかった。  そして、それは次のプレーで確信的となる。  このセット最後のタイムアウトを使い切り、再度こちらのサーブで試合が再開する。  今度も鋭いスピードで相手陣へ落ちていく。そのお陰で三本目でこちらへ返って来たのは山なりの緩いボール。このチャンスボールが返ってきたのを皮切りに、一本目を触る奴以外は攻撃体勢に入る。  ——摂田はジャンプトスでどのスパイカーに上げるのだろう。  要は自分がエースで、自分のところへボールが集まるはずであることに自信を失いかけていた。  その揺らぎが体に現れてしまった。ケースバイケースだが、速攻へは最初の一歩が出遅れると、ブロックに捕まるだけでなく、セッターとのコンビネーションも合わなくなってしまう。  要が気づいた時には一歩と半歩分のタイミングが遅れていた。——刹那、摂田と視線が合う。  そして、摂田は綺麗に返ってきたボールをスパイカーへは送らず、自分で打って叩き付けた。いわゆる「ツーアタック」だった。さらに摂田は、要と合わないと分かってからも、トスを上げると見せかけるためにまで両腕をギリギリまで出し、打つ瞬間に体をネットと正面になるよう腰の回転を使って打ったようだ。  連続で摂田(セッター)に翻弄され、相手の監督は激昂し出す。相手のセッターがいきなり攻撃型セッターへと変貌を遂げいているのだから、後一点がどうしても取れないことに焦りを感じ始めている。  この後も数点連取し、あれよあれよとデュースまでもつれこむ。勝利まであと二点。  一方で要の汗が冷えていく。気付けば、二回目のタイムアウトから要はスパイクを打っていない。  緊張感あふれる状況で、要は自暴自棄に似た心の鎮火を感じていた。    摂田の覚醒により、こちらは流れを引き寄せて離さない。ラリーが続いている今も、不思議と自陣のコートにボールが落ちる不安はさほど無い。 (今度は俺が輪を乱してる。どうして、こんな気持ちにさせられるッ)  ラリーが続けば続くほど、試合が白熱すればするほど、要の脚は止まっていく。無論、それは醜い嫉妬の類である。  そして、ラスト一点まで追い詰め、逆転してしまった。  それまでずっとサーブを打ち続けているメンバーも未だ集中力を切らさず、攻めた打ち込みを見せる。相手も必死に流れを変えるべく、死に物狂いで雄叫びのように声を出す。  おそらく、この試合は今日の公式戦で一番良い試合をしているだろう。相乗効果で互いに難しいボールを拾ってはスパイクを打ち込むことの繰り返し。いつの間にかギャラリーには観客が集まり、興奮の坩堝と化している。  そのような状況下、もう何度目か分からない相手からの凄まじいスパイクを、何とか体に当てて拾う司。  落とさなければ相手に点は入らない。だからこそ、ここは慎重に。 (——俺。今、攻めてない)  二本目は司ともう一人の後衛が後ろから二段トスでスパイカーに上げそうだ。そう思った矢先、「みんな! 好きなとこ飛んで!」と要に視線を合わせて摂田が駆けて行く。 (——早く、飛ばねぇと)  今の今まで急な摂田の覚醒で動揺していたが、司令塔の次のオーダーはどうやら要らしい。アイコンタクトまで送ってきたのだ、長年一緒にいる要が気付かないはずはない。   (急がないと、繋の気色悪い速攻に間に合わない)  誰よりも早く攻撃体勢をとって脇目も振らず走り込む。尚、摂田は真上に上げることで精一杯だった司の元へ逆行している。  要は後ろから来るトスが苦手だった。  この時は必ず此処へボールが来るという安心感からか、苦手意識を気にするといった次元にはいなかった。そのどれひとつに根拠はない。だが、必ず此処へボールが来るし、だから苦手を気にする必要もない。これを俗にいう阿吽の呼吸だと後に顧問は言う。  「みんな! 好きなとこ飛んで!」という声に、スパイカーは司以外の全員が攻撃に参加し出す。超攻撃型シフトなど、摂田から聞かされていない。完全に摂田の独断だ。    そして、いち早く速攻に飛んだ要の後ろから、鋭く回転のない打ちやすいボールが掌に届けられた。   (俺がやるべきことは結局、これしかねぇ!)  摂田が要を背に見えないところからドンピシャの位置で要の速攻に合わせた。   (もう、認めるしかねぇ。コイツは何でもそつなくこなすんじゃねぇ。そもそもセンスがあったんだ)  手を抜かない摂田の気味が悪い程のドンピシャトスから、要はただボールを打ち込む事だけに集中した。どうせ、この変則的なセットアップでは、ブロックに捕まりっこないのだ。要だって、合わせたことのないテンポ感なのだから。  ただ、相手のコートに叩き付ける。たったそれだけの簡単な仕事を任され、腕を振り下ろした。
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