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 下校のチャイムが鳴り響く黄昏時、茜色の空気に包まれた花壇に、その女生徒は一人で立っていた。  長く艶やかな黒髪、すらりと整った体付き。影になっていて顔は見辛いが、長く丸まったまつ毛を見るに、それなりに美人ではあるのだろう。  女生徒は細くも芯のある脚で、柔らかな土を踏み締めていた。その様は同年代とは思えないほど色っぽい。夕焼けを背景に凛と佇む姿は、まるで女王様のようだ。  きっと彼女の足元では、幾本もの花が散っていることだろう。嗜虐的に踏み躙られ、ガラス片のように砕かれた花弁が舞っていることだろう。  少々乱れた思念に突き動かされ、私は改めて花壇に目を向けてみた。ところが予想に反して、植えられている花の数は少ない……というか一本だけだった。  柵で覆われた小さな大地の中央に、場違いのように咲いている花。形状からしてパンジーだろうか。丁度女生徒の影が掛かっていて、何色なのかは分からない。  忘れられたような園に開いた一輪の花。それを見下ろすように立ち尽くす謎の少女。それだけでも意味不明な光景だ。  しかし最も不可思議だったのは、女生徒が手に持つコップだ。透明な器の中で揺らぐ水は、夕まぐれの暗闇を飲み込んで赤黒く輝いていた。  不意に女生徒はコップを持ち上げると、中の水を一口だけ飲んだ。僅かな水をじっくりと舌で味わい、やがて時間をかけて喉に流し込んだ。  それから彼女は何をしたか。コップの中に残った水を、全て花の上に注いだのだ。  緩やかに傾けられた器から、チョロチョロと液体が流れ出し、ふかふかの地面に染み入っていく。 「キスをしているんですよ」  突然彼女はそう言った。こちらの方には目をくれず、一心不乱に水を零しながら。 「彼が人間だった頃はね、ただ唇を重ね合わせればそれで良かったんですよ。でも今はこんな有様ですから。根を掘り起こして直接触れることも考えました。でもそんなことをして、万が一彼が死んでしまったら、取り返しがつかないでしょう? だからこうするしかないんです。水に想いを託して流すしかないんです」
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