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01.種はまかれて
夕暮れの太陽の元、列車はオレンジ色の海を横切る。
寝台列車の最後尾。ひとつだけ埋められた個室。窓は全てカーテンに覆われ、レトロなランプを模した照明は暇をもてあます。
そんな薄暗がりの中。男女は向かい合って腰を下ろし、中央のサイドテーブルにささやかなお茶会を広げていた。
果物かごには鮮やかな赤い果実が詰まれている。青年の手は特に鮮やかな赤を手に取り、見えないはずのカーテンの向こう側を眺める女へ声をかけた。
「イヴ様、リンゴはいかがですか?」
青年に呼ばれた女は口元へ指を運び、微笑んだ。
「ありがとう、アダム。いただくわ」
彼女の答えを受け、アダムは果物と共に添えてあったナイフを取る。果実へ刃をあてた彼の手から赤い帯がするすると籠へ下りていった。
手際よく果実を切り分ける青年の顔を眺め、イヴは瞳を細める。彼女の瞳は切り分けられていく果実よりさらに深い真紅をまとう。
「ブルーガーデンも随分と賑やかな場所になったわねぇ」
「10年も経てば致し方ありません」
「こちらは暑いから、私もあなたも。お洋服を買い直さないとね。あの頃のお店はまだ残っているかしら」
「私は自身で適当に身繕いますので、まずはイヴ様のお洋服を……」
「ダメよ、アダム。あなたったら、本当に自分に無頓着なんだから……」
ため息をつくイヴにアダムは苦笑した。
彼は切り分けたリンゴをのせた皿を差し出す。イヴは短く礼を言って、白く剥かれた果実にそっとフォークの先端を立てた。
「あなたとこの街で出会ったのが、つい昨日のことのような気がするわ」
「イヴ様にはそうかもしれませんが……」
アダムはやや目を伏せ、手ぬぐいでナイフを拭う。
窓の外から差し込む斜陽は弱まり、代わりに派手なネオンが通り過ぎていった。
イヴがリンゴへ歯を立てると、みずみずしい果実から甘い香りが漂う。
「私ももう子どもではありませんよ。イヴ様」
「あら。私にとって、あなたはいつまでもかわいい私のコよ、アダム」
白い指先が濡れた口元を拭う。薄く紅を引いたような唇の合間から、鋭利な犬歯が覗いた。
「いつまでもね」
リンゴをまた一口かじる。
細い三日月が夜の帳を下ろし、街明かりが暗闇をかき消す。短くも長い夏の夜が始まった。
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