第三章:嘘をつく理由

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 「えっ、何って……」  蛍里もひそひそ声で、返す。  部長も、他の社員も二人のやり取りに気を 留める様子はない。  「笑い声聴こえたからさ。あれ、専務の声 でしょう?」  こっちまで聴こえていたのか、と、そのこ とに驚きながらも、苦笑いする。結子は興味 津々といった眼差しを蛍里に向けている。  「ちょっと私が馬鹿なことしちゃって……。 それで、専務に笑われちゃったんです」  「馬鹿なことって?」  「それはですね……」  何となく、口にするのが恥ずかしくて蛍里 が言葉に詰まっていたその時、タイミング よく結子の席の内線が鳴って、蛍里はほっと 胸を撫で下ろした。  結子が話をしている間に、ささっ、と引き 出しから鞄を取り出し、廊下に出る。どこに 行くのかと、そう訊かれてしまえば、余計に 答えるのが難しい。  蛍里はどくどくと騒ぐ胸を抑えながら、 更衣室に滑り込み、私服に着替えたのだった。  「お待たせしました」  着替えを済ませ、地下にある駐車場に行く と、専務はすぐ横の柱に背を預け、誰かと 携帯で話していた。蛍里の姿をみとめ、目を 細める。    彼の笑顔をみるのは、これで3度目だ。  話を終えると、榊専務は携帯を懐にしまっ た。そうして営業車ではなく、私有車に蛍里 を乗せた。  「あの、何処へ行くんでしょうか?」  シートベルトを締めながら、蛍里は隣を 覗き見た。いつのまにか、細いメタルフレー ムの眼鏡をかけた榊専務が、車を発進させ ながら答える。  素顔のままでも十分整っている顔立ちが、 いっそう知的に見えて、蛍里は余計に緊張 してしまう。  「そう硬くならないでください。前々から 気になっていた他店の視察に、同行してもら うだけです。ちょっと一人では入りづらい店な ので、ずっと足を運べないままだったんです」  「じゃあ競合店の視察、というお仕事なんですね?」  別に、専務を恐れているわけでも、警戒しているわけでもないのだけれど……一介の社員にすぎない自分が、こうして専務の私用車に乗って外出すること自体が稀で、恐縮してしまう。  その他にも、こんなことが他の女子社員に 知れたら社内でどんな噂をされることか、と、 そういう不安もあった。  彼には“婚約者”がいるのだ。  迂闊に近づいて悪い噂が流れれば、蛍里だって困る。  そう考えて、無意識に膝の上で手を握りし めていた蛍里に、穏やかな声が聴こえた。  「心配しなくても、他の社員の目に触れな いよう僕も気を付けるつもりです。ただ、 視察に行きたいと思っていたところに、偶然、腹ペコのあなたがいた。それだけだから、そんな誘拐される子供みたいな顔しないで」  可笑しそうに目を細めながらそう言った 榊専務に、蛍里は思いきり彼を向いた。  顔が熱い。
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