第三章:嘘をつく理由

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 「すっ、すみません。わたし、一人でべら べらと」  「いや。そういうことなら、僕の心配は確か に的外れでしたね。でも、時間を忘れてしまう ほど没頭できる趣味があるのは、羨ましいです」  「専務は、本を読まれたりしないんですか?」  「もちろん、読みますよ。時間を忘れるほど、 夢中になることはありませんが」  そう言いながら、ぶどうジュースを飲み干し、 ゆったりと食事を始めた専務に、蛍里はさらに 質問する。自分もフォークとナイフを手に持つ が、いまは食べるよりも目の前の専務への関心 の方が勝ってしまう。  「あの、専務はどんな本を読まれるんです か?わたしは、ミステリーなら東山桐吾、恋愛 ものなら、宮本じゅんの作品が好きなんです けど」  目をキラキラとさせながらそう訊ねた蛍里 に、専務はメニューを手に取りながら小首を 傾げてみせた。料理が取り分けられた皿は、 すでに完食されている。  「……どんな本。そうだな、しばらく前に 読んだ横川流星の探偵シリーズも面白かった と思うし、独特の読後感を味わえる有栖川 浩一の作品も好きですね。わかりやすい結末 ではないぶん、いつまでも心に残るというか」  ぱらぱらとメニューをめくりながらそう 答えた専務に、蛍里は一瞬目を見開き、そうし て身を乗り出した。  「横川流星の探偵シリーズって、何年か前 にドラマ化された……あれですよね?」  「そう。『探偵のいう通り』です。ドラマ の方は観ていないんだけど、確か、北野景子 が主演を務めたんじゃなかったかな。視聴率は 良かったみたいですね」  蛍里はごくりと唾を飲んだ。  いま、専務が口にした作品は、蛍里の部屋に “2冊”ある。つまり、蛍里のデスクに置かれて いた本なのだ。  まさか、あの本の持ち主は榊専務なのだろ うか?  もしかしたら、うっかり彼が落としてしまっ たものを、滝田が蛍里のものだと勘違いして 自分のデスクに置いたのかも知れない。  きっと、そうだ。  蛍里はどきどきと騒ぎ出した胸を落ち着か せるために、すっかり冷めてしまった、じゃが いもやズッキーニを口に放り込んだ。    味がしない。  というか、味覚なんか吹っ飛んでしまうく らい、頭の中は散らかってしまっている。  誰かが自分の名を呼んでいるような気が したけれど、蛍里はその声が誰のものなのか 気に留めないまま、皿に残っているチキンに フォークを刺した。  その蛍里の耳に、今度は確実に榊専務の声が 飛び込んでくる。  「……折原さん」  蛍里はぱっと顔を上げた。  メニューを手に専務が顔を覗き込んでいる。  その隣には、彼が呼びつけたらしいウエイ ターが立っていた。
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