第四章 特訓

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第四章 特訓

 守が起きると、その日は珍しく羊が起きていた。 「珍しいな。こんな早くに」  しかも、自分で紅茶を煎れてカップを出し、飲んでいるのだ。 (いつもは俺より遅く起きて、俺より早く寝るから、頼まれたことなかったけど、ちゃんと自分でできるんだな)  守が感心していると、羊がおかしなことを言い出した。 「守、今から特訓よ」 「今から? いや、飯を食ってからでも――」  そう言おうとした守は、羊の目を見た瞬間に言葉が引っ込んだ。  目元が赤く腫れていたのだ。 「師匠、まさか寝てないのか?」 「よくあることよ」  魔術師としては一人前とはいえ、羊はまだ十五歳だ。ちゃんと寝ないと発育が悪くなる。  だが、羊は有無を言わせぬ雰囲気で二冊の本を持って外に出た。 「着いてきなさい」  仕方なく黙って着いていく。  外には不自然な程に誰もいなかった。  キョロキョロと辺りを見渡すが、道の先にも、通行人どころか車もいない。 (なんだこれ。どうなっているんだ……)  困惑する守に、羊がその答えを言う。 「凄いでしょう。人払いの結界。町一つ覆うのに丸一晩かかったけど」  どうやら町の人たちは、羊の張った結界のせいで町からいなくなってしまったらしい。  だが、守からしてみれば、それは魔術師の領分から外れている行いに見えた。 「こんなことをして、騒ぎになったらどうするんだ!?」 「大丈夫よ。私の師匠……《心》の魔術師に頼んで、精神的な結界も張ったから、誰もここに入れないことを不思議に思わないわ」  それでもまだ疑問は残る。 「何のためにそんなことを……」  羊は二冊の本を浮かせ、守に言う。 「特訓。守には今から私と戦ってもらうわ」  模擬戦。確かに魔術師は決闘することも珍しくはない。故に、その訓練をするのも不思議ではない。 「エリアはこの町内。私を倒せば勝ち。一日経っても私を倒せなければ守の負けよ」  だが、昨日は基礎的な時計仕掛けの魔術師の訓練だったのに、なぜ今日は急に実戦訓練なんてするのか。守には分からなかった。  だが、この訓練は間違いなく「自分」のためになる。 (俺のためになることなら、殺し合いだってやってやる。たとえ自分より格上の魔術師が相手でも!)  守の目を見た羊は、フッと笑みを浮かべた。 「覚悟は決まったようね。じゃあ――スタート!」  言うと同時に二冊の本が守に向かって飛び込んでくる。  《本》の魔術師の攻撃力は決して高くない。魔術師全員の総合評価で見ればかなり低位だろう。  だが、それでも素人同然の守よりは強い。  しかも、高速で飛んでくるのはハードカバーの本。頭に喰らえば気絶は必至。  それでも、守はあえて距離を詰めた。 (俺が距離を離せば、もうこれ以上近くにはこれない。近距離の今しか勝算はない!)  一冊目の本が高速で守の頬を掠め、二冊目の本が上半身に意識を裂いた守の脛を狙う。  だが、その瞬間に守の鼓動と時計仕掛けの魔術師の秒針のタイミングが重なる。  時間を止め、二冊目の本を飛び越えて羊に向かう。  同時に時間停止が解け、二冊目の本が一秒前に守の脛のあった場所を通過する。 「へぇ。上手く時計仕掛けの魔術師を使っているじゃない」  思わず羊も感想を述べてしまうほど、タイミングも持続時間も完璧。守の努力が分かる魔術だ。  だが、付け焼き刃の努力は才能には叶わない。 ――ゴッ!  凄まじい音がして、守の頭に本が直撃する。頬を掠めた一冊目の本が、Uターンして守の頭を打ったのだ。 (流石()の魔術師。本に関することは完璧か……だが――) ――カチッ。 ――ドクン。  付け焼き刃の努力では才能には勝てない。だが、才能の限界はあるが、努力による限界はない。  守の心臓の鼓動と時計仕掛けの魔術師の秒針が重なり、再び守の周りに魔力が迸る。  まだ守は《時》の魔術師としては未熟だ。一秒間だけしか魔術を使えない。だが、それは、一秒間だけならば《時》の魔術師としての力を振るえるということだ。  自分に魔術をかけ、自分の身体を一秒前に戻す。  頭を下げ、先程守の頭を打った一冊目の本を走りながら回避する。  その姿に、羊は舌を巻いていた。 (ありえない! あの不意打ちの攻撃を、“まるで知っていたみたいに”躱すなんて!!)  その隙に守は距離を詰める。 「しまっ――」  守は羊を押し倒し、地面に押し付ける。その際、羊の頭を左手でカバーすることも忘れない。  数秒の沈黙の後、羊は自分が負けたことを悟った。 「守。あなた、魔術の才能はないのに、戦闘の才能はあったのね」 「師匠。あんた、魔術の才能はあるのに、戦闘の才能はないんだな」  守が羊を解放すると、羊は服に付いた埃を払いながら立ち上がる。 「師匠。何でそんなに急いでるんだ?」  羊は数秒の沈黙の末、腹を括ったように話し始める。 「私が守を魔術師にしたのは、善意からじゃないわ」 「時計仕掛けの魔術師を解析するためだろう?」 「それももう終わっているのよ」 「?」  もう解析が終わっているというのは、この数日間で解析が終わったというわけではないだろうと守は考えた。時計仕掛けの魔術師は天才魔技師が作った魔道具だ。そうそう簡単に解析ができるわけがない。 「師匠が俺の家に時計仕掛けの魔術師を送ったのか?」 「いいえ。それをあなたに託したのは《心》の魔術師。私の師匠よ」  それでも納得はっ出来ない。守は魔術の才能がない。そんな人間に、解析が終わっているとはいえ、貴重な魔道具を、しかも郵送で送るとは思えない。 「何のために?」 「世界を救うために」  羊の真剣な目が過剰な表現ではないことを物語っている。 「詳しく聞かせてくれ」  場所が変わって羊の屋敷のリビングに来ていた。守がお茶を煎れ、羊が優雅にそれを飲む。 「で、世界のために俺を魔術師にしたってのは?」 「一ヶ月前、私の“未来を予測”する研究が実を結び、世界の危機を予測したわ」  守は自分の煎れた茶を飲みながら、羊は続ける。 「その結果、二ヶ月後に世界は滅ぶと予測されたわ」  守は、机に思い切り手を叩き付ける。 「ちょっと待てよ! その時点で二ヶ月後ってことは――」 「そう、あと一ヶ月よ」  それが羊が守の修行を急いだ理由なのだろう。だが、まだ疑問は残る。 「何で急に急いだんだよ。昨日はあんなにのんびりしてたのに……」  羊は言いにくそうに守に言う。 「予定が変わったのよ。本当なら私の師匠である《心》の魔術師が協力してくれるはずだったんだけど、海外から帰ってくるのが遅れそうなの」  このタイミングで遅れるということは、敵勢力の妨害によるものと考えた方が自然だろう。「それで、その《心》の魔術師の代役を俺にさせようと?」  羊は逃げも隠れもせず、椅子から立ち上がり、素直に頭を下げた。 「ごめんなさい。あなたを危険に巻き込んで」  守は度肝を抜かれた。羊の方が魔術師として格上で、師匠なのだ。いくら年下とはいえ、頭を下げるのは屈辱的だろう。 「頭を上げてくれ、師匠」  羊はゆっくりと頭を上げる。 「やってくれる?」  守は頭をガシガシと掻き毟りながら、渋々という感じで言う。 「俺がやらないと世界が滅ぶんだろう? じゃあやるしかないじゃないか」 「守なら、そう言ってくれると信じていたわ」  羊がニッパリと笑みを浮かべながら言う。  その姿を見て、守は自分の顔が赤く染まったことに気付いていた。  慌てて目を逸らす。 「どうしたの守? 顔が赤いわよ」 「い、いや。ちょっと疲れたかもしれない。今日の修行はこれで終わりでいいか?」 「え、ええ。今日はもう十分よ。また明日ね」  そう言って、羊は自室への階段を上がっていく。  守は自分で煎れたお茶を飲み干すと、無言で洗い物を始めた。
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