真実というのは、----------

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2.追跡に追跡  翌日、江草刑事は、朝早くから前日に連絡した通り埼玉県警本部に向かい警視庁時代から交流のあった捜査一課の紀央刑事課長と二宮刑事課長補佐とに迎えられた。そして、今現在捜査中である元警視庁だった沼津 明氏の関わりの疑い深い人質事件で、埼玉県警への挨拶と今後の協力の要請を江草刑事は伝えた。特に、 以前警視庁と埼玉県警の共同捜査の時、当時の佃指揮官の下必死に共に追跡の考えの食い違う積み重ねの中犯行グループ5人を逮捕にたどりつけた紀央刑事課長からは連絡はいつでも下さいと励ましの言葉をかけてくれた。  早速、埼玉県警察本部を出ると今も捜査中ではある富世林署へと向かった。そして、車で1時間半ほどして到着した。富世林署に着いて応接間へ通していただき、待つこと10分ほどして刑事課の榊原刑事課長と飯島刑事課長補佐が入って来られ、お互いに挨拶を交わした。例の沼津氏の関わりの疑い深い人質事件の 発端から、1か月ほどして犯人をもう少しで逃がしてしまい人質であった一人の若い大学生を亡くすという最悪の事態までの行きさつを榊原刑事課長が詳しく語ってくれた。  事件ファイルに目を通してしばらくして、事件の発端が手島駅界隈であったのに犯人グループをもう少しで、捕まえられるはずであったかなり距離の離れた(80km)深沼市付近に潜伏していたのは、過去にも例にないのではと江草刑事は、疑問に思い小声で投げかけた。 すると、榊原刑事課長は、1か月間駅界隈を捜査員20人規模で必死に捜索活動して約1週間後、捜査員の一人が背後から尾行されている不気味な気配を感じ翌日2,3人で2、3線捜査をしくと元警察活動(警察用語に敏感な上、警察内部の追い方に敏感)に詳しいと感じざるを得ず、埼玉県警本部にも即座に連絡し遠隔から不審人物を慎重に分析してもらった。 すると、駅界隈や独自の監視カメラにこちら警察に興味を抱いていた不審人物が何名か映っており1週間ほどして元警視庁の沼津氏である疑いが出てきたとのことだった。事件発端後1週間ほどして、犯行グループより人質を1人連れて遠方へ行くと富世林署に連絡があり、至急不審車を一斉に洗い出していった。早速、不審車の一台が深谷市内で発見されたということで、追跡に覆面パトカー3台で3時間ほど追跡したが、予備の後続車に乗り継ぎ逃げられ不審なキャラバンを確保したが、人質の大学生は、乗り継ぎ直前に殺害されていたとのことだった。しばらくして、江草刑事は、3か月前の年末ごろ始まった人質事件のホシに挙がっている疑わしい人物4人のを被写体画像を受け取った。そして、あっという間に夕方になり富世林署を後にして、しばらく埼玉県にて活動するということで中央駅前のホテルで宿泊をした。宿泊先で、いつもと変わらず報告関連のファイルを浅錬署の猪飼副署長に送信した。  翌日、朝になりしばらく部屋でパソコンを使って、捜査情報や今後の活動予定を整理していた。 
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