傷だらけの再会

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傷だらけの再会

 深夜0時の飲み屋街。  仕事終わりの俺は酔っ払いの中を一人で歩いていた。 「お兄さん。遊んでいってよ」 「だからお前は駄目なんだ!!」  キャッチ、説教、絡み酒。  飲み屋やソープなどが軒を連ねるこの場所は、あいも変わらず、深夜だというのに真っ昼間より騒がしい。  そんな中を、シラフで歩いている俺の腕を赤い胸元の開いたドレスに身を包んだ、二十歳くらいの女が掴む。  鬱陶しく思いながら視線を向けると、女は妖艶な笑みを浮かべ「お兄さん。サービスするわよ」  と、囁きながらたわわな胸を俺の腕に押し付ける。  上目遣いで、あざとく「ね。いいでしょ?」  と口を尖らせる女を見下ろすと、Eカップぐらいありそうなおっぱいと谷間が視界に飛び込んできて、一瞬おっぱいと香水の良い匂いにくらりときたが、俺はわざとらしくと咳払いをする。 「今、帰るところなんだ邪魔しないでくれ」  と、女性の手を軽く振り払うと、女は「きゃっ」とわざとらしい声をあげて、此方を睨みつけ頬を膨らませる。俺は直ぐに視線を逸し、「胸見たなら寄っていけ〜!」という女の声を背に歩き出した。  鬱陶しいくらいのネオンの光を浴びながら、静かに溜め息を吐き出す。  店先に貼ってある、有名俳優がビールを持ってるポスターを見ながら「どうせなら、自分で来たかった」と独り言を呟く。  独り言をブツブツ言いながら歩いている人間は、一般的に不審者認識されるだろうが、此処じゃそんな事を気にする人間は、誰一人いない。 「クソ課長。俺に接待押し付けやがって」  脳裏に浮かぶ、ふくよかなだけが取り柄の課長に舌打ちをする。  今日は早上がりの筈だったのに、クソ課長に『相澤君。君、今日接待ね』という言葉によって、修一郎は寝るはずだった数時間を接待という地獄に費やす事になった。  それだけでも最悪な事態なのに、興味など微塵もない取引先の社長の武勇伝を延々と聞かされるという追い打ち。  接待のおかげで契約は取れたが「相澤先輩は凄いですね。俺には無理っすわ」なんてコソッと尊敬しているのか貶されているのか、分からない事を後輩に言われる始末。  全てが最悪だった。  現に、あの光景を思い返すだけで、残り少ない生命力を奪われていく。  生き生きとしている酔っぱらいを横目に『楽しいのはお前だけだぞ』と毒づきながら、なんで俺は営業なんてしているんだろうなと、何度目か深い溜め息を吐き出した。 「……早く家に帰ろう」  幾ら、溜息を吐いた所で疲労は消えやしない。  心に燻る感情や疲労を少しでも消したくて、俺は鞄から愛用している音楽プレイヤーを取り出し、昔から好きなJ-POPを流す。 「……っ!!!! この……やろ!!!!」  曲に癒やされながら、家路を急いでいると、イヤホン越しに聞こえる程の怒鳴り声が耳に飛び込んできて、思わず足を止めた。  キーンと耳鳴りがする右耳を押さえながら、前を見ると、数人集まって何かを見ながらコソコソと何かを話しているようだった。 「……なんだ?」  右耳のイヤホンを外して、俺は人の間から覗き込むと、其処には人相の悪い男が怒鳴り声を辺りに響かせながら、明るめ茶髪の男に掴み掛かっていた。 「ふざけんなよっ!! このビッチ!! 俺を弄ぶのも大概にしろ!! ふざけんな!! 何とか言えよ!!」 「……ビッチ?」  人相の悪い男は、青筋を立て、ビッチと罵りながら茶髪の男に唾を飛ばす。  どうやら、男同士の痴話喧嘩らしいが、掴み掛かられてる茶髪の男は、抵抗をせず、ずっと俯いていた。 「痴話喧嘩?」 「男同士とかないわ〜」  と、野次馬の声を聞きながら、俺は「……嗚呼、薄情だな。助けてやれば良いのに」と他人事のように思いながら、男同士から視線を逸らす。  幾ら綺麗事を思っても、俺は野次馬達と何も変わらない。薄情だが、他人の痴話喧嘩に介入して要らない問題事を抱え込みたくはない。  早く帰ろうと、横を通り過ぎようとした瞬間――ドゴッっと鈍い音が聞こえて足が止まった。  横を見ると、さっきまで掴み掛かられていた茶髪の男がアスファルトに座り込んでいる。  俯いた茶髪の男は、声も出さず鼻を押さえていた。ボタタと、茶髪の男の右手の隙間から赤い血液が垂れて、アスファルトを汚してゆく。 「何も言わないで済ますのかよ!! ふざけんなよ!!」  ドカッ!と、怒号と共に聞きたくない鈍い音が耳に届く。  人相の悪い男は、無抵抗の茶髪の男の腹を何度も力一杯蹴りながら、悔しそうに顔を歪めている。茶髪の男は声を上げることも、助けを乞うでも無く、サンドバッグになっていた。 「ひでぇ」  と、誰かの声が耳に届く。  こんなの一方的な暴力だ。いくら、痴話喧嘩とはいえ、範疇を超えている。  目の前で人が蹴られているのに、俺を含めて誰も止めようとしない。それどころか、ギャラリーがどんどんと増えていく。  :--嗚呼、俺もこの場の奴らも気持ちが悪い。  と、思うと同時に俺の腕は勝手に、人相の悪い男を掴んでいた。何をしているんだと思うよりも先に、俺の口を開く。 「やめろ」  と、言うと人相の悪い男は、視線だけで人を殺せそうな眼孔で俺を睨みつけた。 「あ゛?? なんだよ」 「…痴話喧嘩か何だか知らないけど、やり過ぎだろ。死ぬぞソイツ」 「あ゛ぁ゛!!?? お前になんか関係あんのかよ。部外者が口出してくんじゃねぇぞ」  と、人相の悪い男が俺へと掴みかかる。 「まぁ、確かに部外者だが人が死ぬのを見てられないだ……」  ドゴッ。  と、嫌な鈍い音が鼓膜に響いた。俺の体はグラリと揺れ、一瞬にして視界がブレた。  揺れる視界の中で、人相の悪い男の拳が間近に見えた。嗚呼、指輪沢山してるんですねとか他人事のように思いながら、襲ってくる痛みに顔を歪めた。  殴られた。  人がカッコよく言いかけてる内に、殴るってどういう神経してんだよ。  右目を細めながら、ボタボタと地面に落ちていく血を眺めて、俺は自分のお人好しさに心底後悔する。 「部外者は黙ってろ」  ドスをきかせた声で人相の悪い男が、そう言いながら俺から手を離す。その目は、まるで下等生物を見るようだった。  今日はとことんツイてない。  俺は鼻を押さえながら「ははっ」と乾いた笑いを漏らしながら、片手で携帯を取る。  俺の笑い声に、獣のような眼に俺が映ると同時に、携帯を耳に当てた。 「……もしもし。警察ですか。……はい、事件です。今、男に殴られて……」  と、言いかけた瞬間、人相の悪い男は俺をギロリと睨みつける「ちっ!」と思い切り舌打ちして、路地裏へと消えてゆく。 「おい! 待て!」  俺が追いかけようとすると、茶髪の男がガシリと思いもよらぬ強い力で、腕を掴んできて足が止まった。  強く振り解こうとするがビクともしない手に、そんな力があるなら抵抗しろよと、掌で鼻血を拭いながら、茶髪の男を見つめると微かに震えてる事に気が付いた。俯いたまま腕を離さない茶髪の男に、俺は髪をグシャグシャと掻き回しアスファルトに膝を付く。  ビクリと震える茶髪の男の服や頭に付いている埃やゴミ屑を払い、ポケットからハンカチを取り出すと茶髪の男に差し出す。 「あー……えっと、大丈夫ですか。俺ので悪いんですけど、洗ってあるんでどうぞ」  口角を上げて笑ってみせると、茶髪の男は腕からゆっくりと手を離し、弱々しい声で「貴方は……」と呟いた。 「俺は大丈夫です」  掌で鼻を拭ってみせると、茶髪の男は俺のハンカチで鼻を押さえ、ゆっくり顔をあげて俺を見た。 「……え」  と、短く声が漏れる。  茶髪の男の琥珀色の瞳に俺が映る。あの時と全く同じ宝石のような瞳。騒がしい筈なのに遠くなっていく雑踏。 「……しゅうちゃん?」  高校三年間、嫌というほど聞いた懐かしい声とあだ名。  懐かしい筈なのに、目の前のボロボロの男が、記憶の中で幸せそうに笑う男とは似ても似つかない。まるで別人のような変わり果てた姿に、俺は動く事さえ出来ない。 「かなで」  数分かけてやっと絞り出せた懐かしい名前を口にする。  藤堂 奏。その整った容姿から、高校時代老若男女に愛されていた、俺の唯一の親友。  そして、俺があの時:--傷付けた男。  気持ちが悪いと言ったあの時の俺の声が、脳内で繰り返される。息が出来なくなる。  元気だったか、あの男は誰なんだ、なんでそんなに怪我だらけなんだと聞きたいけれど、そんな事、俺に聞く権利なんてあるわけない。  喉を押さえて俯いていると、俺の頬に指先が触れる。つぅと頬をなぞる指先に顔を上げる。 「しゅうちゃん。久しぶり」  高校時代に何度も聞いた心地のいい声。  俺の頬から奏が手を離すと、綺麗な琥珀色の瞳を数度瞬かせて、俯いた後、袖口で鼻血を拭うと高校時代から何も変わってない、ふにゃりとした笑顔を浮かべた。
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