姉妹

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姉妹

彼女は空を見ていた。 黄昏時、赤とんぼと一緒に… 「もうすぐあっちゃんが迎えに来るの」 幸せそうに微笑んでいた。 明るく人懐っこい姉と、常に理性的な妹、子供の頃はそれなりに仲も良かった。 姉は体が弱く寝込むことが多かったが、好奇心が強く無理をしがちだった。 それを諌めるように、妹が後から着いていく姿は、子鴨が親鴨について行くような、可愛らしさがあったそうだ。 年頃になると、実家の商売が傾きはじめ、姉は売られるように豪商の後妻に入った。 妹は、親から逃れるように家を出て、芸者の世界に身を沈めた。 二人が再び出会ったのは、奇しくも同じ病棟だった。 姉は、持病の悪化から結婚生活を続けられず離縁され、方や芸者の世界で名が知れるほどの妹も、囲われものになった後、体を壊した。 「うれしいわ、あっちゃんにまた会えるなんて」 「なに言ってるの?姉さん。こんな状況で、うれしいわ、なんてよく言えるわね。」 「でも子供の頃以来だもの。私がお嫁に行った後、全然会えなかったじゃあないの!あっちゃん家出ちゃうし…さみしかったわ。」 「まあ、あのまま家にいたらどこに売られるか分かったもんじゃあなかったからねぇ。うちの親、強欲だから。」 「うふふ、あっちゃんはいつもお父さんに厳しかったからね。」 「あの人、姉さんには優しかったけど、私には容赦なかったからね。」 「似た者同士ね。」 「やめてよ!虫酸がはしるわ!」 今日も待合室で二人が話している姿を、他の人も微笑ましく見守っていた。 そんな日は長く続かず、主治医から姉の状態がよくないと告げられた。 「ねぇ、あっちゃん。私が先にあの世に行っても泣かないでね。」 まるで人ごとのように、笑いながら告げる姉に向かって、妹は苦笑しながら、 「大丈夫。ちゃんと供養してあげるから。心配しないで。」と、何でもないように答える。 それを聞いた姉は、「頼りになる妹がいて、私は安心だわ。後はよろしくね!」と、嬉しそうにお願いしてきた。 「でも、もし、あっちゃんが先に行くことがあったら、早く迎えに来てね。また離ればなれになるのは寂しいから。」 「はいはい、分かりました。でも姉さんが先の時は迎えに来なくても良いからね!うちはまだまだ、あの世に行く気がないからね~」 「えーっ、ヒドイ!私一人じゃ寂しいじゃない!すぐ迎えに行くから逃げないでよ!?」 「逃げるって…、まぁその時になって考えるわ。」 他の人が聞いたら、何の話をしているか分からないくらい、楽しげな雰囲気が二人の間には漂っていた。 そして別れは突然やって来る。 妹は病室で倒れ、目を覚ますことなく逝ってしまった。 粛々と葬儀が終わり、初七日が過ぎた。その間、姉は泣きもせず呆然としたまま過ごしているように見えた。 周りの人はどう声をかけて良いのか分からず、ただ見守っていた。 妹が亡くなってから四週間が過ぎた頃、彼女に変化があった。 以前のように明るく笑顔が見られるようになったのだ。 同じ病室の人たちは、彼女が無理に明るくしているのではないか、と心配していたが、とても自然に笑っていた。 その頃から、夕方になるとベランダに出て赤く染まった空を見つめ、微笑んでいる彼女の姿を見かけるようになった。 心配して機会がある度に声をかけると、彼女は笑って 「大丈夫よ、空がキレイだから見てるだけよ。」と、答えた。 「ほら見て、夕陽の赤い色がトンボに移って、空を赤く染めているみたい!」 秋も深まり、赤トンボが空を舞う美しい季節、夕陽に映える彼女の白い肌が、とても印象的だった。 「もうすぐ、あっちゃんが迎えに来るの。」 何の脈絡もなく教えてくれた。 「だから、悲しくないし寂しくないの。」 ああ、そうなんですね、と話をしながら、いつも背筋が真っ直ぐで凛とした「あっちゃん」の姿が浮かんだ。気難しく取っ付きにくい人ではあったが、自立した大人の女性のイメージだった。 風が冷たくなったから入りましょうと、入室を促す。しぶしぶ入ってくれたが、とても機嫌が良かった。 それから穏やかな日々と共に、季節が移り変わりはじめ、ぽつぽつとトンボの姿が少なくなった。 同じように彼女の口数も少なくなっていった。  ある日休憩時間に同僚と、今日は天気が良かったね~、と話しながら顔を上げると、美しい夕暮れが目に入った。空には二匹の赤トンボが飛んでいた。 大分少なくなったけど、仲良いなぁと思いながら気がついた。 今日は彼女の姿をベランダで見てないことに。 だれかきて! 遠くで誰かの声が聞こえた。 まさかと思いながら、急いで声が聞こえた部屋まで行くと、彼女がベットに横たわっていた。 眠っているように見えた。とても穏やかな顔で。 白いシーツに赤いシミがなければ…。 その日は「あっちゃん」の四十九日に当たる日だった。 亡くなった人は、しばらくこの世で挨拶をしてから四十九日目にあの世へ旅立つのよ。 誰かから聞いたことがあった。なんとなく感じていた世界が、本当にあったんだなぁと、鳥肌がたった。 ちゃんとあっちゃんが約束守ったのね、 迎えに来てくれて良かったね。 はじめて悲しくなかった。 寂しかったけど、辛くはなかった。人を見送ることに… 知っている、挨拶を交わしたことがある人たちが逝くのを見送る立場だけど、いつも心が苦しくなる。 師匠は、 「ここは修行の場、辛くて当然。その中で喜びを見つけるという醍醐味もある。」と。 なかなかその心境に到達できないでいるが、せめて残りの時間が幸せだったと、穏やかだったと思って欲しい。 ささやかな望み。 ベランダで一人、二匹の赤トンボが飛んでいるのを眺めていた。
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