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あちらの人
その人は、他の人と一緒にお風呂に入らなかった。
なぜなら、背中に鮮やかな鯉と観音様の絵があったから。
昔は綺麗だったんだろうなぁ、と思えるほど繊細で精密なできだった。
「若気の至り」
「掘ったときは死ぬかと思った」
漫画のポ○イの様な風貌で、朗らかに話していた。
とてもあちらの人とは思えないくらい穏やかで親切な男だった。
同じ部屋で、脚が不自由な彼といつもつるんでは、さりげなく手伝っていた。
彼のワガママも言いたい放題も、笑って受け止めてくれた。
「ワシの事は気にせんでええ、自分が好きでやっとることやけぇ」
手を振って答えてくれるその指は薬指、小指の第一間接が見当たらない。
何故?どうして?と、思うことを、さりげなくでも、直接的にでも聞いたが、決して過去を話さなかった。
そんなあの人が、一度だけ怒ったところを見た。
「!」
まるで不動明王のような憤怒の形相で、怒鳴っていた。
側にいると腕や襟足の毛が逆立った。
そこには、その人の正義があった。この正義のために境界線を越えたのだろう。
正義の境界線は人それぞれ。
自分のため、家族のため、社会のため、わからない何かのため。
その人は、側にいる人のために境界線を越えたのだろう。
普段は優しい穏やかな人だった。
朗らかで親切な人だった。
鷹揚で自分のことに無頓着な人だった。
何があったのか、どんな人生を歩んできたのかは教えてくれなかったが、穏やかな日々でなかったのは想像に難くない。
その人は呆気なく逝ってしまった。
突然廊下に倒れてそのまま…
自分のことで怒ることはなかったその人は、最後まで側にいる人のため正義を貫いた人だった。
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