文学的帰納法

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 ※ ※ ※ 「そうですか」  数学教師のくせに文芸部の顧問をしている茂木先生は、俺の退部の意思を聞くと、いつも通りの飄々とした笑みを浮かべたままそう言った。 「はい。ですので、退部届をください」  最後まで続けることが大事ですよ、とか。  部活で鍛えられる精神力は社会に出てからも役に立ちますよ、とか。  そういう量産型説教を口にするタイプの教師には見えないけれども、はたして。 「わかりました。では、こちらに保護者のサインをいただいてきてください」    そう言って茂木先生は、デスクから一枚の簡素な書類を取り出し、俺に差し出した。 「あ、ありがとうございます」  覚悟していた面倒なやりとりは、どうやら一切必要じゃなかったらしい。  戸惑いを隠せないまま、目の前に現れた退部届を受け取る。 「止めないんですね、とか思いましたか?」  その言い方だと、俺が止めてほしかったみたいじゃないか。 「いえ、別に」  あまりにもスムーズに事が運びすぎて、逆に気味が悪いと感じたのは事実だけれども。 「理由がなんであれ、本人が辞めるといった以上、引き止める権利は誰にもありませんからね。ただし——」  最後の接続詞を耳にして、ひそかに身構える。  こっちの意思を尊重するふりをして警戒を解きつつ、なんとか懐柔しようとする算段ではないか。    なにを言われても辞めてやる、と内心意気込んで、次の言葉を待つ。  けれども結局、うるさい説教や説得が俺の耳に侵入してくることはなかった。  茂木先生が口にしたのは、もっとずっと、意味不明な言葉だった。 「部活を辞めるのは結構ですが、最後にお願いしたいお仕事があります」 「仕事?」  ええ、と頷いて、さっきとは違う引き出しから茂木先生が取り出したのは、パンパンに膨らんだクリアファイル。  差し出された紙束を手に取って、目を見開く。 「これって……」  一番上にあったのは、よく見覚えのある文章だった。 「ちょうど、一番上が君の作品でしたね」    コンテスト落選が判明したばかりのホラー(のつもりで書いた)小説。  今更こんなものを見せて、どうするつもりだ。 「うちの文学部で作成された作品のうち、公募で結果が出なかったものから十本ピックアップしました」  意図が汲み取れずに無言で紙束を眺めていると、茂木先生が嫌に穏やかな声色で続けた。 「この中から、《もう少しで賞》を決めてください」
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