ギルフォードに愛を

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「空気を読んで、お世辞に聴こえないようなお世辞を言うのも処世術として大切なものだ。僕だってそういうキャラクターは散々小説の中で書いてきたし、理解はしている。しかし、そういう素振りをさせられるのは、僕が主人公の立場も相手の心情も理解している作者であればこそ。現実の僕ではないのだから、察しがいいキャラクターも書けるし、僕では理解し得ないことを知っているのも道理だろうさ」 「ああ、だから恋愛小説の依頼を片っ端から断っていたと」 「よく知っているね。その通りだとも。これも理由と言えば理由だ」  はああ、と彼は深くため息をついた。まだミルクを追加するらしい。コーヒーはすっかり茶色が薄くなって、既に甘いカフェオレも同然と化している。 「ホラーなら散々書いた。ミステリーやサスペンスもね。しかしどうにも、恋愛だけは頂けない。未知の幽霊や妖怪を描くより、人と人との心の機微を、愛を描くほうが余程難しい。愛はシンプルであるはずなのに、理屈で図れないことが多すぎる」  なんだか私は笑ってしまいそうになった。彼について組まれた特集記事は、雑誌でもネットでも幾度となく読んだことがある。ついこの間取り寄せた雑誌で、インタビュアーに答えたこととまったく同じことを言っているのがなんだかおかしい。よっぽど、恋愛や青春の物語を書きたくなかったのだろう。  彼の作品もたくさん手に取ったが、やはり既刊はホラーが圧倒的に多かった。次いでローファンタジー、ミステリー。あとは歴史とハイファンタジーとSFが少しと言ったところ。ごくごく稀にヒューマンドラマもあったかなといった具合か。恋愛モノは一冊もなかった。けして、物語の中でキャラクターの心理描写が下手ということもないというのに。 「ホラーなら、人間の根源的恐怖を追求していればそれだけで共感を得やすいんだ。特に不思議な力も持たない主人公が、幽霊でも妖怪でも邪神でも生きた人間でも……とにかく本人が想像しえなかった恐怖と遭遇し、追い詰められていく様を描けばそれでいい。何かに追われて逃げられないとか、何処かに閉じ込められて出られないとか、見えない何かにじわじわと侵食されていくだとか。世の中に恐怖がない人間なんて殆どいないものだからね。その本能に訴えかけるものを書けば、少なくとも共感を得るのは難しいことではない。勿論それはそれ、技術が必要ないとは言わないが」 「つまり、恋愛は技術だけでは片付けられないものがある、と」 「その通り。だから私は頼まれるたびに言ったんだ、恋愛だけは何が何でも書きたくないとね」
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