マンボウの中心から愛をこめて

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家族の応援がなければ食費をここまで切り詰められなかっただろう。 ピアノをやめてくれないかと娘に言っていたかもしれない。 おかわりするなら豆腐にしてくれないかと息子に言っていたかもしれない。 もう少し給料の良い職場はなかったのかと夫に泣きついていたかもしれない。 クリーニング屋では足りず、スナックとか掛け持ちしていたかもしれない。 そんなもしもの世界を考え、肺一杯にためた息を吐いた。 ――今の暮らしは、私が守る。 「それでは開店しまーす」 従業員がけだるそうに自動ドアを開ける。 ――いちについて、よーい ドン! 頭の中でピストルが鳴る。 幸恵は、全速力で歩く。1円のもやしのために歩く、歩く、ただひたすらに歩く。 松尾さんと花村さんも歩いて食らい付いてくる。この二人もなかなかの早さだ。 店内で走ってはいけない。絶対に走ってはいけない。走ったらつまみ出されて終わり。振り出しに戻るのである。屈強な従業員たちがレジや食品売り場、生鮮売り場から客を監視している。彼らも真剣だ。 ルールを破る客に、この勝負への参加権利はない。 一度身をもって体験した。 初めて訪れたスーパーマンボウで幸恵は小走りになり、自分より3倍ほど大きな女性従業員に外へとつまみ出されたことがある。 だから幸恵たちはひたすらに、もやし売り場を目指して歩く。
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